第518回:流行り歌に寄せて No.313 「うそ」~昭和49年(1974年)1月25日リリース
中条きよしと聞いて、真っ先に思い出すのは『新・必殺仕事人』の三味線屋の勇次である。
三味線の糸を操り、相手の首を締め上げる殺し技。後れ毛が艶かしいクールな風貌。三味線屋であり、また三味線と端歌などの師匠もしており、夜になれば日ごと女遊びに出かける。それでいて、山田五十鈴演ずる「りく」という名の母親を、心の底から慕っている男でもある。
実に艶のある役柄で、女性ファンには堪らない魅力があると思う。男の私も、「うん、これは」と深く感心し、唸りながら観ていたものだ。
あの演技。彼は歌手よりも、元々役者志望の人だったからできたのだろう。郷里の岐阜市の岐阜東高校の商業科を中退後に、船乗りとして働いていたが、どのような経緯があったかは分からないが、その後、役者を目指し大阪の劇団に所属する。
劇団の公演中のことだろうか、ある時、プロの歌手の前座で歌う人がいなかったため、ピンチ・ヒッターとして歌ったところ、それがレコード関係者の目に止まった。
昭和43年(1968年)22歳、高波晃(たかなみあきら)の芸名で、クラウン・レコードから『帰ってきた波止場』(八反ふじを:作詞 島津伸男:作・編曲)で、レコード歌手デビューを果たす。
クラウンからはもう1枚シングルを出したが、その後、昭和46年、今度は渥美健(あつみけん)に改めて、キャニオン・レコードから『心の古傷』(小島貞二:作詞 山路進一:作・編曲)という曲で再デビューをした。
レコードの売れ行きはあまり良くなかったようで、今度は20歳代半ばにして、赤坂にスナックを出店した。なかなかの遣り手であるとともに、遊び上手な人だったのだろうと想像できる。
このスナックには、テレビ、マスコミ関係者が多かったため、そんなに歌が上手いのにもったいないという話になったのだろう。お客さんたちの勧めで、昭和48年、五木ひろし、天童よしみ、八代亜紀など多くの名歌手を輩出した、テレビのオークション番組『全日本歌謡選手権』に出場し、見事10週勝ち抜きのグランド・チャンピオンになった。
そして、この番組の審査員であった山口洋子、平尾昌晃の作詞、作曲による『うそ』で再々デビュー(レコード会社は引き続きキャニオン)を果たす。その際、平尾昌晃らによって芸名を中条きよしと命名された。
本名下村清は、晃、健を経て、ひらがな表記であるが「きよし」に戻ったのである。当時のキャッチ・フレーズは「恋の魔術師」ということで、かなりベタだが、頷けるネーミングだと思う。
『うそ』は発売から3ヵ月余りでオリコンのトップ10入りし、6週後には1位、その後8週連続1位を獲得し、昭和49年年間でも『なみだの操』『あなた』に次ぐ3位と大きなヒットとなった。累計売り上げは150万枚。この年の『第16回日本レコード大賞』大衆賞を受賞、大晦日の『第25回NHK紅白歌合戦』初出場をも果たしたのである。
その後『うすなさけ』(なかにし礼:作詞)『理由(わけ)』(山口洋子:作詞)、両曲とも平尾昌晃:作曲 竜崎孝路:作曲とヒット曲を飛ばしていく。
今回、『うそ』『うすなさけ』『理由』を聴き返してみた。3曲とも心変わりをされた女性の立場で歌われたものだが、もうこちらを見ようとしない相手の男性は、中条きよしその人であるという印象を持ってしまう。
「哀しい、冷たい、優しい」うそをつき、「いい人ほかにみつけてくれ お前を俺は不幸にするとしおらしく」(うすなさけ)言ってみたり、電話をかけてきた若い女を誰かと責めても、答えずに煙草を輪にする横顔(理由)を見せたりする姿は、まさに中条きよしにぴったりではないか。
彼は、自分の歌に登場する男性を、見事に自分と重ねることのできる妖しい容姿と素質を持っている。私などにとっては、とても感じの悪い(最高の褒め言葉)人だと思う。
「うそ」 山口洋子:作詞 平尾昌晃:作曲 竜崎隆路:編曲 中条きよし:歌
折れた煙草の 吸いがらで
あなたの嘘が わかるのよ
誰かいい女(ひと)出来たのね 出来たのね
あー 半年あまりの 恋なのに
あー エプロン姿が よく似合う
爪もそめずに いてくれと
女があとから 泣けるよな
哀しい嘘の つける人
あなた残した わるいくせ
夜中に電話 かけるくせ
鍵をかけずに ねむるくせ ねむるくせ
あー 一緒になる気も ないくせに
あー 花嫁衣装は どうするの
僕は着物が 好きだよと
あついくちづけ くれながら
冷たい嘘の つける人
あー あんまり飲んでは いけないよ
あー 帰りの車も 気をつけて
ひとりの身体じゃ ないなんて
女がほろりと くるような
優しい嘘の 上手い人
中条きよしが、令和4年(2022年)7月の第26回参議院議員選挙で、日本維新の会公認で比例区から立候補し、初当選したときは、私は少なからず驚いた。「政治の世界に関心がある人だったんだ」と思ったものである。
同年の11月15日に参議院文教科学委員会で質問に立ち、(コロナ禍の最中でもあったため)芸能人の窮状を救う制度はないかなどの質問を行なった。そして最後に、この年9月に出された新曲『カサブランカ浪漫』の宣伝を行ない、12月28日に開かれる「中条きよしラストディナーショー」が、自分にとって芸能界最後のディナーショーであることを紹介した。
この発言には、日本維新の会(会からは厳重注意の処分)ををはじめ、各方面から批判が相次ぎ、中条自身も陳謝をしている。そして、このディナーショーを最後に芸能界を引退する意向を表明し、本当にすべての芸能活動を終了してしまった。
私は、中条きよしらしいなと感じた。国会の委員会でプライベートなことを持ち出せば、まして新曲やディナーショーについて発言すれば、波風が立つことは彼は初めから分かっていただろう。国会議員としては1年生でも、厳しい芸能界で半世紀以上もご飯を食べてきた人である。
この件は、マスコミが大いに報じてくれるだろうし、自らの芸能活動終了宣言を国会の場ですることができたのである。
質問の冒頭で「うちの秘書も、何を言うのか心配そうな顔をして観ておりますので一生懸命話をしたいと思います。(中略)硬い話の中から、突然柔かい話になると思いますが、軽く質問をさせていただきます」としている。計画通りだったに違いない。大成功である。
私は、彼が今後参議院議員を辞めてしまった後は、どうなのだろうと考えてしまう。いや、心配することもないか。芸能界への復帰はないかもしれないし、あるいは彼なりのパフォーマンスで、したたかに復帰宣言をして戻っていくのかも知れない。
-…つづく
第519回:流行り歌に寄せて No.314「赤ちょうちん」~昭和49年(1974年)1月10日リリース
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