第76回:処女航海 その1
更新日2003/01/23
昔のことになる。十数年レストランで働き、やっとの思いでヨットを買った。持ち金の70〜80パーセントを船につぎ込み、必ず20〜30パーセントは必ず出てくる故障やメインテナンスのために、取って置くこととの忠告は耳が痛くなるほど聞かされていたし、もっともなことなので私たちもそうするつもりだった。
ところが、初め35フィートクラスを見ていたのが、40フィートになり、やはり独立したキャビンが二つは欲しい、そうなると45フィートはないと狭い、いや、50フィート以下はディンギィーの延長だ、外(そと)海でユッタリと走らせるには50フィートはないとだめだ、とエスカレートしたのだった。
ヨットは不思議な乗り物だ。一度大きなサイズに慣れると5、6フィート小さくなるだけで、奇妙なほどチッポケに見えてくるのだ。結局登記上は52フィート、実測で56フィートのケッチ(2本マスト)をありったけ金を出し切り、しかも盛大に借金までして購入したのだ。絵に描いたようなど素人のヨットの買い方である。
前の持ち主に色々教えを請い、3、4回はデイセーリング(日帰り)でテストし、よしこれなら船のあったマジョルカ島から80マイル離れたイビサ島まで行けるだろうと判断したのだ。その判断は誤ってはいないが、但し通常の天候ならという条件付でのことだ。
マジョルカ島を朝まだ暗いうちに出港し、陽のあるうちにイビサに着くつもりだった。夏の地中海は陽が長く、夜の9時、10時まで明るいうえ、数ヶ月に渡って静かな海が横たわるのだ。
ところがその日は違った。
海とヨットは全く初めての連れ合い、強力な助っ人として若い頃にはマグロの遠洋漁船に乗っていたK、そして私の総勢三人だった。ここで打ち明けて言えば、私がそれ以前に乗ったヨットはディンギィーが主で、キャビンの付いたヨットは22フィートが最大だった。原付バイクからいきなり大型ダンプカーに乗ったようなものだ。
船尾から流しているルアーに葉鰹が2匹掛かり、味噌煮にしたり、海が優しいうちはよかった。Kは外海をよく知っているから、事前に"しばらく乗っていないから"と謙遜して、船酔い止めのパッチを両耳の後ろに貼り付け、連れ合いも船酔いの薬を飲み防御策を講じたが、私は元来のズボラからママヨとばかり、船酔い対策はなにもしなかった。
パッセージの中ほどで太陽が異状に黄色く見え、サハラの砂が上空に広がっているな、と思ったのを覚えている。それは徐々に近づいてきた。
まず北西の空が異状に黒くなり始めた。それも恒常の黒雲ではなく全界を覆いふさぐような暗さで垂れ込め、すでに海と空の境界がなくなっていた。リズムも方向もないウネリが海面を支配しだし、ヨットは乱気流の中の飛行機のように暴力的に揺れ出したのだ。
遠目に、落雷の閃光が真っ暗な雲と海の間に走っていたのが、次第に音を伴い、近づいてきた。その頃からバケツをひっくり返したような雨が風とともにヨットを襲い出した。もはや雷がもたらす小さな暴風から逃れられないのは確実になったのだ。
連れ合いは“キャビンに入ると酔うから、舵を取っているほうがいい”と主張し、暴風雨のドラマッチックな様相で舵を握っていた。Kの方は一度キャビンに降りたまま上がってこないので覗いてみると、ソファーの上で振り落とされないように手足をビンとツッパタ姿勢で高イビキをかいてこんこんと寝ているではないか。彼の体のバランスの取り方には百日の長の重みがあるように思えたものだ。
雷の閃光と音の時間差を計っていたところ、8秒が5秒になり、3秒になり、ついに海に落ちた雷が緑色の光の束になって海中を走るのが見えるようになった。その時すでにセールは降ろし、針路を安定させるためエンジンをかけていたが、ヨットが大音響とともに真っ白く目に焼きついたのだ。
落雷だった。このヨットが鋼鉄製だったことが幸いした。雷のとてつもない電力は船の外殻を廻り海へ抜けたのだろう、コンパスや航海灯、アンテナは焦げたが、信頼のおけないエンジンは何事もなかったかのように回りつづけた。
嫌なうねりは残ったが、暴風状態だったのは1時間くらいのものだろう。緊張の極致に達していた連れ合いが、吐きそうだからバケツかビニールの袋を持ってきてくれというのを受けてキャビンの中に入ったところ、異常な臭いが鼻を突いた。
その2へつづく…
第77回:処女航海 その2