バリシュウ(Baliceaux)と言う島がある。チャーターヨットの基地、ベックイア(Bequia)とウインドワード諸島で一番人気の景勝投錨地トバゴ
キイ(Tobago Key)の間にありながら、訪れるヨットはまずい無い。この岩だらけの乾いた島へ行くには大西洋のウネリと風に逆らって船を進めなければならないうえ、いい投錨池がなく、カリブの他の島々に比べるとどうにもヨットを呼び寄せる魅力がない。島は南北に引き伸ばしたひょうたん型で、中央のくびれたところで、250メートルの幅があり、長い方は南北に1500メートル程あるだろうか。水が出ないので通常は無人島だが、ベックイアの漁師が漁期にキャンプするための掘建て小屋とも呼べないような、椰子の葉をゾンザイに並べただけの日除けがあるだけだ。
こんな島、バリシュウに、一時期5000人もの俘虜が収容されていたことがある。
1635年に西アフリカから奴隷を満載した船が、カリブの島、セント ヴィンセント沿岸で難破した。セント ヴィンセントはドミニカと共に、カリブ族インデアンの最も多く棲んでいた島である。「カリブ族は人食い人種だ」という造られた伝説とは逆に、セント
ヴィンセントのカリブ族は難破船の黒人奴隷を助け、また婚姻が進み、カリブ族とアフリカの黒人とが融合した特殊な文化を造りあげていった。それが「ガリフナ」と呼ばれる民族である。
話は少々年代記臭くなるが、奴隷船が難破してから約160年後の1796年に、イギリスがセント ヴィンセントを手に入れようと侵略を開始たところから悲劇は始まった。ガリフナ族は支配を嫌って山に篭り抵抗したが、イギリス軍の火器の前に敗れ、駆り集められ、この島バリシュウに送られたのだった。セント
ヴィンセントへは、親英的で御し易い人間を他の島から連れてきた。また奴隷も補給した。イギリスはセント ヴィンセント島の民族総入れ替えをやってのけたのだ。一方、瓦礫の島へ押し込められたガリフナ族が悲惨を極めたことは想像に余る。半年で半数以上が死んだ。英国の、明らかに意図的な口減らし殺戮である。
私達がこのバリシュウ島を訪れたのは、カリブのアウシュヴィッツを見学するためではなかった。ただ海図を見て、この島ならチャーターヨットが行きそうもないし、大西洋に突き出ているので、小高い山に登ればカリブ海と大西洋両方を眺めることができるのではないか、また無人島なので2、3日原始に返ってキャンプしてみるのも悪くない、と思ってのことだった。はじめは北隣のバットウィア島に投錨地を探したが、静かな水面がどこにもなく、バリシュウ島の西に錨を入れた。島が大西洋のウネリを遮る程大きくないのでヨットは嫌なローリング、ピチングを繰り返し、はなはだ居心地が悪い。
デンギィーを漕ぎ出し、ようよう岩に取り付き、バリシュウ島探検を始めた。東側の岩は大西洋からの塩を含んだ風のため、一応に黒ずみ、鋭角に削られている。裸足で歩くのは不可能なのはもちろんだが、デッキシューズを履いていても、岩や石がまるで地下足袋で砂利を踏むように感じられるのだ。島の西側にはサボテンの類が風をのがれるように生えているだけで、日陰を作るような木立はない。島の最高地点は140メートルあり、そこからベクイア島も南隣のムステク島も一跨ぎのように見える。が、島々の間は激しい潮流が三角波をつくって大河のように流れている。これが、5000人のガリフナ族が流された島の様相である。
山を降りるとき、連れ合いが足にサボテンの針を刺した。デッキシューズのゴム底を貫通し土踏まずにブッスリと刺さり込み、サボテンの針はハガネのように堅くガッチリ食い込んで、歯で抜こうにもなんとしても抜けず、かといって靴を脱がすこともできなかった。結局、靴をシーナイフで裂き、靴底を足の裏から剥がすように、針も同時に抜いたのだ。
ガリフナ族の悲劇の島は、私達──特に連れ合いの方に──少しばかり痛い思い出を残しただけだった。
第28回:ガリフナ族のレジェンダ〜その2