第81回:宝島
更新日2003/02/27
イスレタに付かず離れず、寄り添っているもう一つの砂洲がある。
皆がイスララトンつまり“ねずみ島”と呼んでいる平らな島で、イスレタよりさらに小さく、幅25メートル、長い方でも50〜60メートルくらいのものだろう。イスレタとは一応歩いて渡ることができる瀬で切り離されている。
イスララトンには、イスレタがハリケーンにやられた時の見事に破壊されたコンクリ−ト桟橋の残骸、折れたコンクリート柱、潰れたヒューム管などの残骸が積み上げられ、小型の貨物船、はしけ、漁船などなどが水舟となって半沈している。
プエルトリコの東岸までせり出しているユンケ山の峰峰が雲を呼び、雨を降らせるので、イスララトンもミニチュアジャングルのように緑が濃い。もともと岩礁に囲まれた美しい島だったに違いない。
6年前のハリケーン・ルイスの時だったと思う。強烈な南風と潮に洗われ、イスララトンから西へ海面から顔を出すか出さぬ程度に長く伸びていた砂州が消え、島の海岸線が変わった。
船大工のガイは毎夕、ディンギーでイスララトンに渡り、犬を散歩させ、自分も踝まで水に浸かりながらのんびりと島を回るのが習慣だった。ある時、素焼きのカケラを見つけ持ち帰った。想像力を果てしなく引き伸ばして見ると、壷のくびれた部分のように見えなくもなかった。ヨット好きの考古学者エルミニオがイスレタに立ち寄った時、私はガイにそのカケラをエルミニオに見せるよう、半ば冗談のつもりで頼んだのだ。
ところがエルミニオはそのカケラを見て、即座に16〜17世紀のスペインのものだと断定したのだ。かすかに残っている上薬から、塩漬けの肉、魚類の保存のための壷ではないかという判定だった。
ガイは一挙に発掘熱に取り憑かれた。毎日のように何かを見つけては、「サーノ、スペインの金塊発見も真近いぞ!」と報告にくるのだが、彼が集めてくるものは、金塊とは程遠い、波と砂で磨耗した陶器のカケラばかりだった。
スペイン船の発掘熱はイスレタのヨッティー全員に感染した。私も何度かガイと一緒に、初めは波打ち際、そして次第に深く潜り出した。
ところが、2、3週間も遅れて発掘に加わったパブロが、初めての探索で4分の3もの原型を保ったワインの壷を引き上げたのだ。そこは私たちが何度も潜り、掘り起こしたところだったから、ガイと私の悔しさを想像してもらいたい。
パブロの壷は高さ70センチほどのスマートな、それはそれは優雅な美しいものだった。というと、壷が海底にコロンと転がっていたかのように聞こえるが、引き上げた時は、ただの海草や藤壺、こもごもの海中生物に覆われた大きな珊瑚の塊で、その芯に何があるかは、神様だけがご存知の様相なのだ。逆にそのようなこもごもに覆われていたからこそ、原型を保つことができるともいえる。
私たちも海中から引き上げた何百個のカタマリを細心の注意を払いながらシーナイフとスクレッパーで貝類を削ぎ落としたことだろう。しかしパブロほどの幸運には恵まれなかった。
そこで、作戦を変え、私たちは金塊を狙うのだ、ケチな壷など眼中にないのだ、と宣言してはみたけれど、手の届かないところにあるブドウを酸っぱいと言ったカラスだか狐のイソップの寓話を思い起こさせた。
ともあれ、我々は大枚をはたいて、海底用の金属探知機を買ったのだ。それは円盤に棒が付いた変形モップような形で、試しに波うち際を舐めるように滑らすと、緑のランプがつき、ピッピッと金塊のありかを知らせるのだ。
初めてランプが灯り、ピッピッサウンドを聞いた時の興奮たるやなかった。ガイと探知機を投げ出すようにそこを掘った。が、出てきたのはビールの栓だった。その日30個以上のビールの栓を集め、ガイは、「ゴミを集めるために、金属探知機を買ったのではない」とクサリ出したほどだ。
それでも、道路に落ちていても、誰も拾わないペニー(1セントコイン)を4個、クオーター(25セントコイン)1個、いずれもスペイン時代の銀貨とは程遠いが、現行のお金を拾ったのだ。
人生あきらめが肝心と言う人もいる。私も大枚を水中金属探知機に投資していなければ、ゴミさらいのような考古学発掘を止めていたと思う。執念というより、性懲りもなく、毎日干潮時を見計らってはゴールドハントを続けたのだ。
ある時、背が立つほどの深さの岩礁で探知機が強く反応し出したのだ。それはビールの栓よりはるかに強く、角度を変えてもピッピッ音が鳴り続け、重量級の金属が藤壺、牡蠣の下にあるのは確実だった。周囲の珊瑚を削り、ずっしりと重い、バケツにようやく入るか入らないかのカタマリを引き上げたのだ。
マリーナの桟橋で、黄金の輝きが突如目を射るのかと期待しながら貝類を削いでいった。ついにシーナイフの先がカツンと確かに何かの金属に当たったのだ。出てきたのはソフトボール大の大砲の弾丸だった。
私たちは小型の大砲の玉にさび止めのエポキシ塗料を塗り、家宝のように扱い、見ヨットを訪れる人、皆に見せ、この玉の発見談を語ったことだ。神棚があれば供えたことだろう。
サンホアンの博物館に出かけ、中学生の騒々しいグループに加わりながら、俄か知識を仕入れたところによると、ソフトボール大の砲弾は臼砲から少し進歩し、砲身が長く、より遠くへ“玉”を飛ばすことに腐心し始めた17世紀後半のものらしかった。
その後、私たちは玉探しの腕を上げ、20個の砲弾を見つけたが、ガイがフロリダに去ると、時を同じくして襲ったハリケーンで、誰もが知っている私たちの穴場が埋まってしまった。
そこに沈んだ幻のスペイン船が金塊を積んでいたかどうかは分からない。
第82回:市民権