第30回:プエルトリコ交通事情
更新日2002/02/28
プエルトリコはアメリカ領である。21世紀の現在、植民地とは呼べないが、独立国でもない。正確に記せば、Estado
Libre Asociado──「自由連帯国家」とプエルトリコ人が呼び、アメリカ側はいたって率直にUS Territory、「アメリカ領」とだけ呼ぶ存在。要は、サイパン、グアム、と同じで扱いである。タイミングよく連れ合いがこの地で教職にありついたし、私も日本に中古のヨットを売るショーバイが軌道に乗りそうだったので、当分この地に住むことにしたのだった。
プエルトリコは仮にもアメリカ領であるから、車社会である。通勤や食料の買出しに、車が無ければどうにも不便なのだ。公共の乗り物があるにはある。「プブリコ(公共)」と呼ばれる個人営業の大型乗用車や、オンボロのマイクロバスが網の目のような路線を走ってはいる。このプブリコは、乗客が満席になるまで待つ停留所のようなものはなく、どこにでも止まってお客を拾う。降ろす時も、かなりの寄り道になってもタクシー並に家の前まで送る。従って、時間の観念は忘れ去られる。こちらが急いでいるのでなければ、それなりに安くて便利な乗り物ではあるのだが。
南国の人は急ぐことをしない。カリブ人が走るのを目にすることはまずないだろう。それどころか、歩くスピードがゆるゆると遅いのだ。あれだけ一歩一歩足の運びに時間をかけることは、一般的な日本人には不可能といってよい。道端で手を挙げるのがプブリコを止めるやり方だが、プブリコが何時もピタリと、待っている人のところに止まるわけではない。むしろ、かなり行き過ぎて止まるのが普通だ。そんな場合、止めた張本人はまず悠然と、これ以上遅く足を運べない限度へ挑戦するかのような足取りで、プブリコに近寄って来る。もしそれが若いカップルの別れの時なら、プブリコのドアの手前で別れのキスが延々と始まる。既に車に乗っている人は暑さに汗ばみながら、ジッと待つしかない。 運転手の方も、自分の用を途中で足すのになんの不都合もないらしく、親類の家にバナナやパンの実を届けるため盛大な回り道をし、その家に入ったまま、ややしばらく出てこないことがある。
こんなに歩くペースの遅い人が一旦ハンドルを握ると、とてつもないスピードで突っ込み運転を展開するのだ。プエルトリコで交通規則に則って運転するなら、必ず事故を起こすことを保証してもよい。信号一つにしろ、赤で止まってはだめなのだ。すぐにも追突されるであろう。青で進むと、横から赤を無視して突っ込んで来る車に当てられることになる。ブレーキを踏む前に必ず後続車がいかなる距離を保って、どのようなスピードで走っているかを見極めなくてはならない。交差点でも常に止まれる体勢を取りながらも鼻先を中央へと推し進め、左右を牽制しつつ、タイミングを見計らって、スレスレのところで相手に道を譲るか自分を優先させるかを瞬間に判断しなければならない。また、車線は確実に無視される。田舎の道では常に真中を走るのをよしとしている。対向車が来てもギリギリまでがんばり、危ういところで避けるのが流儀なのだ。
加えて路面の悪さといったら。穴ボコがいたるところにあるのだ。いや、穴というのは適当な言い方ではないかもしれない。例えばマンホール。毎年新しくアスファルトを敷いていくのだが、それはよい。しかしそうすることで路面は毎年高くなり、マンホールの個所はアスファルトを重ねることが出来ないので路面より低くなる。3年、5年経つと、立派な深さをもったくぼみが出現することになるのだ。それがマンホールだけではなく、道路を横切るように造られた下水溝であったり、何か深遠なる理由に基づく鉄蓋だったりする。その数が無闇に多い。また、下水、水道の工事で道路を堀り起こした後、そのあとの陥没を見越してアスフアルトを小山のように高く積み上げたままにしておく。何カ月が経てば自然に平らになることもないではないが、大型のスピードバンプのように道路に残るか、くぼみが横たわることになる。
最悪に近い交通条件の下であっても、車無しに生活できないとあれば大中古でも車を買うしかないと心に決めたが、打ち明けて言えば、中古車屋の兄ちゃんに運転してもらい、当方は助手席で見るだけで、小型の日産を買うことに決めたのだった。とてもプエルトリコでハナから運転するガッツがなかったのだ。プエルトリコ流の運転に慣れるには、さらに数カ月かかった。