第85回:グラン・ブルー
更新日2003/04/03
『グラン・ブルー』というフランス映画を覚えているだろうか。ボンベ、レギュレーターなどを着けずに素潜りで深さを競うフリーダイブとイルカへの愛着を織り交ぜた詩情溢れる映画だった。
海へ深く潜る競争は、潜水艇(潜水球と言った方が当っているだろうか)に始まり、潜水具を着けたものや人間の肺だけに頼り、フィン(足ひれ)のみで、錘を使わずあくまで自力で潜るやり方などで争われてきた。
フリーダイブは、サポートの船からガイドワイヤーを垂直に降ろし、錘の付いたハンドルをそのワイヤーに通し、ダイバーはそのハンドルを握って、まさに真逆さまに深淵へと落下する。
上昇する時は高圧ガスのバルブトリッガーを引き、風船を膨らませ、これまた凄いスピードで上昇する究極の競技だ。アクアラングのダイバーがこのようなスピードで上昇すれば昇天間違いなしだ。
錘の重力で潜り、風船の浮力で上がってくる、そんなものスポーツと呼べるか、などと言うなかれ。たとえば現在の深記録は170メートルだが、その深さでは、肺はソフトボールほどの大きさになるし、心臓も一分20回に落ち、ハイヒールの踵(カカト)で全身のありとあらゆる部分を踏みつけられたほどの重圧をうける。
従ってこの競技をする者は、体内の余分なスペースをなくし、空気を抜く訓練に明け暮れることになる。多くの者はヨガを地上訓練に取り入れ、意思の力で内臓、主に呼吸系をコントロールしている。
映画、『グラン・ブルー』以降、競技人口が増え、現在アクティブな者は2万人を超える。
オードリーが『グラン・ブルー』を観たのは、彼女がまだ14歳の時きだった。映画には深い感銘を受けたが、自分が究極のダイブにのめり込むとは想像だにしなかった。
オードリーがフリーダイブを始めたのは、後に結婚することになるフランシスコと知り合ってからだ。フリーダイバーのフランシスコのアシスタントを勤めるうち、オードリー自身、モノに憑かれるように文字どおり深みにはまっていったのだ。
オードリーには安定した集中力と、パニックに陥らない強靭な精神、意識をコントロールする能力、そして彼女の意思に応える肉体を持っていた。オードリーは、まさにこのスポーツのために生まれてきたかのような素質を持っていたのだ。
夫のフランシスコはいち早く彼女の才能を見抜き、自分よりオードリーをトレーニングし、世界記録を次々と塗り替えさせることに腐心し始めた。
昨年の10月12日、プエルトリコのすぐ西隣の島、ドミニカ共和国でオードリーは新記録に挑戦した。それまでの記録は、フェレーラスがメキシコのコスメル沖でつくった162メートルだった。
その前日、11日の練習でオードリーはすでに記録を破り、170メートルに達していた。オードリーが記録会の本番で人類未踏の深さに到達し、そしてその記録は彼女自身が破らない限り他の誰も破ることができないであろうと言われた。
12日、オードリーは100キロの錘を付けたハンドルを握り1分42秒かけて171メートルの新記録更新し、エアーバッグのトリッガーを引き浮上を開始した。
観客の存在を全く許さない、純粋に自己との戦いだけのこのようなスポーツではなにが起こったか断定するのが難しい。
予感にも似た特殊な感覚に導かれフランシスコは、オードリーの異状を察し救助に向かい、8分40秒後に彼の若い妻を海上に引き上げたが、
オードリーは意識を取り戻すことなく28歳の短い生涯を終えた。
どうしてただ単に深く潜るだけのことに命を賭けるのか、私がこのスポーツを100パーセント理解しているわけではないし、素潜りでよくて10メートルも潜れば最深というヘボダイバーである。
が、一人で濃い青緑の海で潜る時、神秘と恐怖の入り混じった、果てしない底に落ちるような感覚に襲われることがある。そんな感性が、このただ潜るだけの競技の根底にあるような気がする。
彼らもまた海に魅せられ取り付かれた人間なのだ。
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