第35回:アア我が祖国
更新日2002/04/02
今年のミスユニバースはプエルトリコのデニス・キニョウネスが選ばれた。マスコミは狂ったようにデニスの記事で埋めた。その翌日、ティト・トリニダッドがボクシング世界選手権に勝ち、チャンピョンになり、まさにプエルトリコの島全体が沸き返ったのだ。350万人の島民総ぐるみのカーニバルが始まったと思って貰えばよい。プエルトリコの女性大統領シラ・カルデロンは翌日を祭日にした。
プエルトリコは、現在に到るまで一度も独立したことがない珍しいクニだ。米西戦争でアメリカがすでに凋落の一途だったスペインから力でもぎ取った領土で、米国の属領である。従って、外交、軍事、課税の主権はない。
戦後間もなく、プエルトリコ人にアメリカのパスポートを与え、アメリカへの大移住が始まった。島の人口は370万人だが、他に300万人がアメリカ本土、主にニューヨーク、ニュージャージーに住み、ニューヨーリカンと呼ばれるニューヨークで生まれ育ったプエルトリコ2世も台頭し始めた。
スペイン、アメリカという大国の支配下にあったせいか、プエルトリコ人は異常に愛国心が強く、ことが島の独立、米軍基地返還に及ぶと、強く張りつめたピアノ線に触れたように、彼らの感情は冷静を保てないほどよく響くのだ。この島だけで独立したら、他のカリブの島同様、ハイチ、ドミニカのような貧困と混乱に陥ることが理屈として理解できても、心情的には納得できないのだ。
ガデーは、フィラデルフィアのゲットーで育ったプエルトリコ人だ。小学校時代からもっぱら黒人グループとの喧嘩に明け暮れ、高校卒業と同時に志願して軍に入り、ベトナムへ送られた。2度負傷し、3個のメダルを貰い、米軍のベトナム最終撤退の日まで勤めた。
その後、さまざまな職を転々としたが、スカンジナビア人のヨットに乗り込み、パナマを抜け南太平洋を航海し、ヨッテイーの仲間入りし、ヨットに係わる雑用と年金で暮らしている。ハリケーン・ジョージズで私達のヨットが陸に打ち上げられた時、サルベージの原動力となってくれた人物だ。
ガデーは言ったものである。
「俺の家は貧乏だったから、食べ物や衣服の世話に始まり、学校へ行けたのも、お金持ちの伯父さんがお金を出してくれたからだ。家族全員が、伯父さんの世話になりっぱなしさ。伯父さんの名はサム(アンクルサム)、つまりアメリカさ」。
「サーノ(佐野)、目を開けて現実を見れば、カリブの海の水のごとく透明、明確なことだよ。このハイウェイも、学校も、公園、公営住宅、港、飛行場、みんなアンクルサムが作ったものさ。大学生の98%がアンクルサムの奨学金で勉強しているし、俺の年金だってそうさ。これを全部、諦めろってのかい。独立の代償を払う覚悟はできているのか?」
こんな意見はごく少数だし、熱狂的な基地返還運動、独立運動の前では、裏切り者扱いなのである。
第36回:プエルトリコのヒロヒト