第88回:遠き日本 その2
更新日2003/04/24
ロシア人の“ミチコ”は日本で生まれ、15歳まで日本で育った。それからアメリカ東部に移り、そこでガブリエルさんと出会った。
大学のパーティーで最初にミチコを見たときの衝撃をガブリエルさんは、普段のおっとりした話し方を忘れ、とちり、ドモリながら語った。二人は急激に近づき、初めての者だけに許される自分の全霊をかけた没我的な恋をしたようだった。
ミチコは日本について、言葉だけでなく、伝統文化について語った、というより、むしろガブリエルさんを教育しようとしたようだった。取り分け日本の礼儀と精神主義の素晴らしさを彼に理解させようとしたらしかった。
いったい15歳まで日本に住んだだけの外国人の少女が、どれだけ日本の精神主義を知っていたことだろう。ともあれ日本はミチコに強烈な影響を残し、ガブリエルさんは行ったことのないアジアの国のイメージをミチコを通じて豊かに創り上げたのだ。そしてその国は、私の知らない遠い国のように聞こえるのだ。ガブリエルさんを通じて聞くミチコは、まるで山本周五郎の時代小説に出てくる商家の娘のようだった。
ガブリエルさんは早口になり、見ると紅潮した顔にうっすらと汗が浮かんでいた。 「生涯、あれほど強くひかれ、深く愛したことはない。ミチコが私の愛情のすべを持ち去った」と言ったとき、私はガブリエルさんもやはりラテン系の人間だな、なにがなんでもアモールだ、大げさな自己陶酔だ、と思ったことを告白しなければなるまい。
ガブリエルさんは、自分の感情をさらけ出したことを急に恥じたのか、しゃべり過ぎたことを後悔したように、プツリと会話を切り、テラスに出て海の向こうを眺め始めた。私は彼が眺めているのは海ではなく、そのさらに彼方の追憶だということを感じ取りその場を去った。
私はどうして二人が結婚しなかったのか、どうして分かれたのか、ミチコが今どこに居るのか、それともすでに死んでいるのか尋ねることをしなかった。が、ガブリエルさんが昔アメリカ人の女性と短い結婚をしていたことを人づてに聞いた。
何日かしてから、ガブリエルさんが頼みごとをしにきた。“ミチコ”と墨で書いてくれというのだ。私は人に知れた悪筆だ。以前、スペインのミニコミ日本語新聞に寄稿していたとき、編集部の女性から、「佐野さん、どこの小学校出たの? 漢字だけでなく、ひらがなまで間違って書く人いるのー」と言われたことがあるほどだ。
彼のコンドミニアムに上がってみると、どこで手に入れたのか、半紙、硯(すずり)に墨、書道用の筆が揃えてあった。ガブリエルさんのところに他の日本人がきて、私の象形文字にも似た書道を見ることはあるまいと腹をきめた。が、ミチコが“美智子”なのか、“美知子”それとも“通子”、“三智子”なのか検討のつけようがないのだ。カタカナでは恰好がつかない。思いあぐんだ結果、ミチコは“道子”でなければならない気がしてきた。そして、私は太字で“道子“と書いた。
道子とガブリエルさんの出会いは17、18歳のことだろうから、もう30年以上も前のことだ。それからの長い年月をガブリエルさんは深い憂愁を帯びた追憶の中に、テラスから広がる海を見ながら生きていたのだろうか。
フェリー乗り場でガブリエルさんと顔を合わせると、いつもの謙遜な紳士に戻り、「おはようございます、ごきげんいかかですか?」と女性風の、ミチコの言い回しで、頭を下げ挨拶した。
第89回:無国籍化と国際化 その1