第5回:グリーンフラッシュ
更新日2002/04/11
貿易風とは、じつによく名付けたものだ。強い弱いはあるにしろ、その名の通り、ほぼ一年中おなじ方向から風が吹いて来るのだ。カリブ海の場合は大西洋の湿気をタップリ含んだ東の風が涼を放ちながら島々を抜ける。
日陰にさえ身を置けば、じつに心地良く、椰子の木陰に吊るしたハンモックがよく似合う。
空には、ポツポツと散らばった、低い雲が流れ、柔らかな青と対称をなす。ヨット乗りには馴染みの貿易風の雲である。
午後にはスコールが走る。東の空に暗い雲が垂れ込め、その下に水平線をかき消すような、灰色の大きなカーテンが垂れ下がっているのを目にする。スコールの到来である。スコールは烈風を伴う驟雨で、時にはアンカーを流されたり、洗濯物を飛ばされたりの被害がでるが、南海にあっては涼を放つアクセントであり、貴重な水源でもある。
ヨット乗り達がいかに、スコールを利用しているかを、初めて目にしたときのことは忘れられない。カリブ海に着いたばかりの、アンスダレット湾にアンカーしていたときのことだ。空が薄暗くなってきたな、と思う間もなく、恐らく10秒程の間に猛烈な豪雨が30ノットの突風とともに湾を襲ったのだ。海面は大粒の雨で叩かれ真っ白に沸き立ち、視界は20〜30メートルなる。急いでハッチを閉め、アンカーが流されてはいないか、不安げに周りのヨットとの間隔を目測したものである。
ところが他のヨット乗り達は、まさにスワッとばかりデッキに出て活動しはじめた。すぐ隣の若いフランス人カップルの船では、女性のほうはサッとTシャツを脱ぎ捨て裸になり、デッキブラシを手にデッキを洗いだし、男性の方は、日よけのオーニングに溜まる雨水をバケツに流し入れるのに余念がない。
前方の賑やかなイタリア人のヨットでは、女性軍は天からの真水でシャンプーを決め込み、ヨット流のシャワー、まず頭から始め、同じシャンプーの泡で全身を洗うやりかたを、披露してくれている。女性が裸で髪を洗う姿は、なかなか色っぽいものだが、股間を洗う姿はイタダケナイことを発見した(ということは、それらをツブサに観察していたことになるわけで、連れ合いに「スケベね!」"と顎鬚を掴まれ顔の向きをあさってのほうへ変えられた)。
このようにスコールは極めて利用価値が高いものだ。短い時で2、3分、長くても、20分位だろうか、スコールが西に去ると、また南国の焼け付くような太陽が顔をだし、コックピットの日陰での午後が続くのだ。一年中、東風が吹くので、港や投錨に適した湾は島の風下側、つまり西側にあることが多い。そんな入り江にアンカーを入れると、ヨットは舳先を風に立てる。前のキャビンのハッチを思い切り開け、船内に風をいれる。
日が傾き、暑い午後が終りに近づくと、ディンギー(足船)の往来が多くなる。 隣近所のヨットへの表敬訪問で、もっともたいした理由や動機があるわけではない。情報交換もするが、尽きるところ皆暇で、話し相手を求めているだけのことである。
あちらこちらの船に集まり、サン・ダウナーがはじまる。サン・ダウナーとは、太陽が沈む時刻に、夕陽を見ながら酒を飲み交わすことで、酒はもちろんラム酒である。ツワモノはどこか名の知れぬ島からの地酒中の地酒ラムを何代も経たような古いビンに詰め持ち寄り、銘酒を誇る。ラム酒は、到って精製の粗い中白の砂糖の上に注ぎ、青緑で小粒のライムをシーナイフで半分に切り、シーナイフをライムのその切り口あて、抉るように絞った果汁を垂らすのがカリブのやりかたである。これは水で割ってもよいが、コカコーラなどは邪道とされる。もっとも粗悪な酒を、味のほうは砂糖で、香りの方はライムでどうにか飲めるように工夫しただけのことだが。
かなり酔いが回ってくるころに、いよいよサン・ダウナーのハイライト、グリーンフラッシュとなる。太陽が西の海を焼くように水没するとき、一瞬、一秒の何分の一か、太陽の最後のカケラがギラッと緑色の閃光を放つのだ。水平線に雲がなく、空気がよく澄んでいなければ、グリーンフラッシュは見られない。なかなか自然条件がうるさいのである。加えて、サン・ダウナーを5杯以上飲んでいなければ見えないというヨット乗りもいる。
多く写真に撮られ、絵葉書などにもなっているが、似て否なるもので、少し気取って言わせてもらえば、グリーンフラッシュは南の海で貿易風に吹かれながら、眺めるものなのである。
コックピットに陣取ったヨット乗りたちは、自然が作り出す光の芸術に乾杯し、明日の風向きに祈願し杯を重ね、仲間のためにさらにもう一杯飲むのである。
第6回:テスティーゴ島のこと