第41回:片足を陸に架け!
更新日2002/05/16
クルージングを一旦止め、マリーナに私達のヨットを舫い、ともかくそこを生活の場、家として水上生活を開始した。長年、アンカーの生活に慣れていたので、当初、自分の船に帰る時や、船から出かける時、ディンギィーに飛び乗ったり、よじ登ったりしなくて済むことに感動したものだ。
それにディンギィーを漕がなくてもよい。向かい風で白波が立つような時、潮をかぶりながらオールを操るのはシンドイことだ。とはいえ、このディンギィー漕ぎはヨットライフの中で私の好きなもののひとつだ。
船外機を頑固にはねつけているわけではないが、故障の多い割に値段が異常に高く、図体が小さい割に耳障りな大きな騒音を発する。その上、ガソリンを持ち運ばなければならないのが嫌なのだ。
歩くことを忘れた人間が退化するように、漕ぐことをしないヨッティーは堕落していると、大型ゴムディンギィーに大船外機で騒音と波を撒き散らしているヨット乗りに言い渡しているが、彼らが手漕ぎディンギィーに買い換える気配は、一向にない。
江戸時代、人々は現代人には想像もできない暗さの中で暮し、月明かりに、はるかに敏感な夜を過ごしていたと、なにかの本で読み、えらく感心したことがあったが、ヨットの夜もそれに近い。
ヨットの電源は12ボルトのバッテリーなので、継続的に充電している限りは盛大に消費することはできる。その充電のミナモトは太陽電池と風力発電の風車、それに発電機なので、風のない夜は昼間溜め込んだ電気をバッテリーが上がらない程度に使うことになる。
バッテリーの消費状況はヨット乗りの脳裏にいつも付いて廻り、消し去ることができないのだ。煩く、燃料を食い、しかも臭い排気ガスを出す発電機を積むのは論外である。
ところがどうだろう、マリーナではフンダンに陸電(私達が住む、イスレタ・マリーナがいくら貧乏ヨット乗り向けとはいえ、電気と水道くらいはある)が取れ、船内は夜でも昼のように明るく、電灯もつけっ放し、冷蔵庫も回しっ放しの豪華さだ。と同時に電気製品がヨットに侵入し出した。
炊飯器、トースター、コーヒーメーカー、掃除機、連れ合いのヘアードライアー、アイロン、終いにはエアコンまで付けてしまった。キャビンは精彩さを失い、便利にできたキャンピングカーに成り下がったのだ。
そして水である。500リットルばかりのタンクに雨水を貯めて使っていたのが、一挙に無尽蔵のソースから無制限に使えるようになったのだ。毎日清水のシャワーを浴び、潮を吹いたような短パン、Tシャツは洗濯し、乾いたなにやらよい香りのするシーツに寝る。当初フンダンに使える水と電気は衝撃的でさえあった。
もともとヨットは風の力で走り、雨水を使い、太陽電池と風力発電で電気を賄い、極力自然を利用させてもらうところに、モノのあふれた便利な陸の生活との違いがあり、少しばかりの素朴なロマンがあったはずだ。
ヒトはいかなる状況にも慣れる。マリーナに住み始めて3ヶ月も経つと、コモゴモの文明の力を当然のこととして受け止めるようになってきたのだ。停電、断水があると、不便だと感じるようになってきたのだ。
私達の今の生活は、潮気が抜けてきた、堕楽したヨッティーそのもので、いわば片足を陸に架けて生活しているようなものだ。
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