第6回:テスティーゴ島のこと
更新日2001/05/17
テスティーゴ諸島はベネズエラの軍の管轄下に置かれた島で、民間人は住めない、船で立ち寄るには特別な航海許可証が必要であると、ヨット乗りのためのガイドブックにある。そこに許可なしで投錨したヨットが、罰金を取られたうえ、即刻立ち退きを要求された噂もある。しかし、そのような噂は当てにならないし、ガイドブックの類は、公式的なことしか書かないことを、すでに体験していたので立ち寄ってみることにしたのだった。
グレナダのセント.ジョージズにあるベネズエラ領事館に赴くと、ヨット好き日本好きの領事が自ら、テスティーゴ諸島への寄稿許可証をいとも簡単に作成してくれた。しかし、あとになって、仰々しく書かれた修辞の多いその文章を読んでみると、それは許可証ではなく、許可を与えるように要請した私文書のようなものであった。
見知らぬ島へ行くときには、陽のあるうちに着くように逆算して出発時を決める。島へのアプローチへは太陽が真上にあるのが望ましい。浅瀬や岩礁がよく見えるからである。ヨットのスピードはあまり当てにならないが、夕方の5時にグレナダを出て、潮に押され予定よりも4〜5時間早くテスティーゴ諸島に近づいてしまい、夜明けまでヒーブーツー(セールに裏風を入れ、ヨット止める)をして待たなければならなかった。忍耐のいる作業だが、夜の暗いうちに航海標識も何もない島間を縫い、適当な投錨地を見つけるのは不可能だし、湾に入るのは自殺行為でもある。
テスティーゴとはスペイン語で「証人」のことだ。この諸島は7つの島からなり、野ウサギ島、イグアナ島、ヤギ島など、どこにでもある、かなりいいかげんな名を付けられている。ベネズエラ軍の駐屯地はイグアナ島の、見晴らしのいい丘の中腹にあるバラックで、不似合いほど馬鹿でかいベネズエラの旗を高々と揚げている。
小柄な当番兵が、ゆっくりと時間をかけ、一つひとつの書類を見、途中で窓の外をしばらく眺め、フッと思い出したようにヨットの書類に目を戻す、しまいには、立ち上がってコーヒーを入れ出した。また最低2時間コースか、悪ければ半日、いや一日かかるかもしれないと、ずいぶん板についてきた「あきらめ」の気分がよぎった。が、この無口な当番兵が私たちにコーヒーを差し出すにいたって、事態は異なる展開になった。
彼の名はエッガーといい、ただ異常に退屈していたので、珍客をゆっくり観察しよう、スペイン語を話せるようだから、のんびり話でも聞こう、というのが本音のようだった。彼は1週間のクルージング許可をくれて、その間の案内を自ら買って出てくれた。
翌朝、7メートルばかりの木造船に100馬力のヤマハの船外機をつけて、エッガーはやって来た。私と連れ合いは、訪れた島々の最高峰に登るのをクルージングの楽しみのひとつとしていた。「あの山に登るルートはあるのか」。私は兵舎のバラックの窓から対岸の岩山を指したながら彼にたずねた。「もちろん登れる。なんなら僕が案内しよう」、エッガーはそう言ってくれた。
我々は彼の(恐らく海軍所有の)木造船に乗り、目指す山のあるテスティーゴ・グランデ島のタマリンド村に渡った。タマリンド村は漁期のみどうにか住める掘建て小屋が3、4軒あるだけの砂浜である。そこで案内人のエッガーが7、8歳くらいの漁師の子供を連れてきた。二人のやりとりの様子から、案内人のエッガー先生が、一度もこの山に登ったことなどないのは明白だった。そして山の藪に踏み入るやいなや、案内人のさらに案内役のガキの方も、この山に関してまったく知らないことが判明したのだ。もともと登山道のようなものは存在しないし、万が一あったにしろ、こんな熱帯では強烈な生命力を持つ藪に2、3ヵ月もあれば覆われてしまうことだろう。
二人の案内人のオロオロする様は滑稽を通り越し、こちらで慰めてやりたくなるほどだった。深い藪を抜け、見晴らしのきく岩場に着けば、あとはどうにかなるはずだという私の腹づもりを受けて、エッガーはマシェテを振るいだした。マシェテとは刃渡り1メートル以上の蛮刀のことだ。先頭を行く者がそのマシェテを振り回し、棘の多い南国の藪を切り開くということをしながら、我々は急な斜面を這い登ったのだった。
絶景とはそこへ到達するまでの苦行の度合いに比例するものらしい。真下の海は青緑のプリズムを通したように底まで見て取れるし、潮の流れは微妙な色の深さとなり、海面に抽象画の模様をつける。今しがたくぐり抜けてきた、我々に少なからぬ傷を与えた藪は深緑の絨毯となり、海まで落ち込んでいる。我がヨットは白い砂に陰を落とし、まるで宙に浮いているかのようだ。エッガーは私たちをバランドラの砂丘や、亀の産卵地ゴスマン海岸にも連れていってくれた。今度は確かな案内役をこなしてくれた。
ヨットで昼食を取っていたときだと思う。突然VHF無線が鳴り出し、ベネズエラ海軍の船が、「テスティーゴの当番兵応答せよ」と繰り返し呼び始めた。無線のあるヨットにいたのは幸運だったともいえる。エッガーは、「こちら、何々」と応答し、まさに血相を変えて兵舎のある島へ帰っていった。こうして彼のサボタージュは終りをつげた。デッキから眺めると、巡洋艦は2マイル沖にいて、こちらへむかって来るところだった。
次の日、アトランティスの船腹に灰色のペンキマークが付いているのを見つけた。エッガーの木造船の跡だった。
第7回:いい顔