第10回:偉大なヨット乗りと、偉大ならざるヨット乗り
更新日2001/06/14
私がヨットで10数年暮らしていることを知ると、人は引き合いに、堀江さんや青木さん、多田さんたちの名を出す。堀江さんは太平洋を小型ヨットで渡り、外洋セーリングの先鞭をつけたパイオニアであり、その後もつねに新しいアイデアでチャレンジを続けているし、青木さんも20フィート9インチのヨット「アホウドリ」でホーン岬を回った。両者の功績はD.H.
Clarkeの著書「The Singlehanders(単独航海者たち)」のなかで高く評価されている。
多田さんは数々の外洋レースに出場し、世界一周レースでクラス優勝している。 ほかにも日本の優れたヨット乗りの名をあげれば、それでだけでこのページが埋まってしまうことだろう。誰でも自転車に乗れるが、ツール・ド・フランスのような長距離ロードレースをこなすことはできない。彼らは特別な存在で、いわばスーパーマンなのだ。
ヨット乗りにも、いろいろなクラスがあり、我々はただひたすら海が好きで、ヨットが好きで、戯れていたいだけのクラスに属している。趣味と遊びの延長線上にいるのである。私のヨット、「アトランティス」には洗濯物がひらめき、干し魚が並び、バーベキュー用のストーブが船尾に縛りつけてある。どう見ても「アトランテイス」はレースに出るのはおろか、未踏の記録を破る面構えではない。
アメリカズ・カップレースをテレビで観る機会があった。なんと退屈な実況中継スポーツだろう。アナウンサーが技術的なことをコンピュータ・グラフィックを駆使して解説するのだが、まるでできの悪いビデオゲームのようだ。もともと、ヨットというスポーツは登山と同様に、スペクテイター、つまり観客の存在を許さないという一点において、ほかの総てのスポーツと隔絶されていたはずだった。しかし、すでにその一線は崩れ、聖域は踏み荒らされてしまったようだ。コマーシャリズムが入り込み、遊びの精神が失われたとき、ヨットは退屈なスペクテイタースポーツに堕したのだ。
ヨットレースをテレビで観るのは最悪だが、実際のレースそのものが退屈なわけではない。ヨットレースはエキサイテングで、充足感を与えてくれる素晴らしいスポーツだ。クルー全員の呼吸がピタリと合い、無言のうちにひとつの操船を決めたときの喜びは、誰一人見る者のいない海の上では掛け値のないものだろう。非力な私が参加するのは、もっぱら地方色豊かな草レースばかりだし、クルーも体より口が先に動く中老年が多い。しかし、そんなテームでも、全員が静かに、的確に自分の役割をこなしながらヨットを見事に操ることができたときの満足感は大きな物だ(そんなことはメッタにないが)。
私たちのような怠けたヨット乗りにしろ、偉大なヨット乗りたちからはなんと多くの恩恵をうけていることだろう。1人の巨人がいた。エリック・タバルリーという名のフランス人である。彼は大西洋と太平洋を舞台に、単独で、またあるときはクルーを乗せて数々の記録を破り、塗り替え続けた。それと同時に、つねに斬新な試みをヨットに持ち込み成功させた。現在トップレベルで活躍しているフランス人レーサーの多くが、タバルリーのもとでセーリングをしてきた。
彼の偉大さは、図抜けたレーサーだというばかりでなく、優れたテームの統率者であり、かつ後継者を、それも超一流の人物を何人も育てたことにある。Oliver
de Kersauson, Philippe Poupon, Marc Pajot, Titouan Lamazouなど、伝説的トップレサーたちはタバルリー率いるヨットのクルーとして育ったのである。
間接的にいえば、私たちヨット乗りは誰しもなんらかの形で彼の恩恵を受けているといってよいだろう。彼の書いた「Practical Yacht Handling」という著書は、私にとって最高の教科書だった。この本のイラストを描いたラマゾーものちに世界一週単独レースで優勝した。
この偉大なタバルリーも海で死んだ。縮帆(リーフ)は、それが必要とされるとき、必ず時化(シケ)ているために、それを扱うときには危険が伴う。彼が乗っていたのは、7歳のときから乗り続けているタバルリー家の持ち船だった。ウェールズの南35マイルの海上をセーリングしているとき、恐らくこれまでも何百何千回とおこなってきた縮帆作業の最中の出来事だった。海は突如このナント生まれのブルトン人を連れ去ったのだった。享年66歳。
海とヨットへの尽きることのない情熱を宿した彼の精神は、白いセールに反射する柔らかな光のように我々ヨット乗りを包み、導いている。
第11回:ジェトセットの島