第48回:生まれつきのヨット乗りはいない
更新日2002/07/04
これは英語のことわざの意訳だが、「生まれつきのヨット乗りはいない、経験がヨット乗りを作るのだ」と、なるだろうか。
海やヨットへ、憧れを持つ人は多い。私たちがヨットに住んでいる、休みの日にはセーリングに出る、と聞くと「ステキーッ」などと言う。少し分別のある人は、「船酔いするので」と一歩下がり、週末のセーリングに敢えて飛び乗ってはこない。
初めてヨットに乗る人はまず100%近く酔う。今まで酔ったことがないと公言する者もいるが、ちょっとしたシケに遭うと必ずやダウンする。
先週、英領ヴァージン諸島からヨットを回航した時、オーナーが友人を連れてきた。何度かチャーターヨットの経験があり、どうしろ、こうしろと言ってくれれば何でもすると言うフレコミだった。
新しいデッキシューズ、セーリング用の手袋、サングラスに野球帽、マッサラのT-シャツに短パンというイデタチだったが、細く白い脚が気になった。
戦力として期待していたわけではないが、マリーナを出て10分か15分で顔色がなくなり、すぐに吐き出し、それから内臓を絞り出すような嘔吐を2日2晩続けたのだ。船酔いで死んだ人はいないが死んだ方がましな、拷問にも似た体験であるのは事実だ。
中には、いかなる揺れにも憎らしいほど強く、決して酔わないタイプもいるにはいる。そのような人は三半規管、バランス感覚が正常に作用してない疑いがあるので、即耳鼻科へ行った方がよい。
私自信、船酔いに随分苦しめられた。もう船は止めるゾ、と何度思ったことだろう。しかし港に入ったり、海が凪いでくると、記憶のフィルターが働くのだろうか、苦しい船酔いのことは忘れ、一瞬目にした鯨の潮吹きや、原色を塗りたくった朝焼けだけを思い出すのだ。
私の場合、酔わなくなったきっかけがあったように思う。サルジニアとコルシカの間は丁度ジョウロのように潮が狭い海峡を抜けるので、一昔前の船乗りの難所だった。その真中でエンジンが止まったのだ。
しかも視界が利かなくなり、風がピタリと止む夕暮れ時だった。全部のセールを揚げ、何とか針路を保つように連れ合いに指示し、エンジン修理に取り掛かった。強い潮流で船は落ち着きなく揺れ、ディーゼルの臭気とサウナのような蒸し暑さの中で、一晩中エンジンと格闘し、夜明け頃どうにかエンジンを始動させ、エスメラルダコーストに抜けた。それ以降不思議と、酔わなくなったのだ。
誰にでも、どのような状況でも効く酔い止めの薬や秘訣はない。海の水を飲み大声で叫ぶのが効果絶大であると古いイギリスの航海記にある。実際に試した者によると胃の中のモノを綺麗さっぱり吐き出す効果はある、とのことだ。
生姜が効くと言うひともいる。何よりもラム酒がよい、なぜなら少なくともアルコールで酔っているのか、船に酔っているのか分らないからとゴタクを並べるスジもある。
陸でセーリングに一番近い体験をしたければ、公園のブランコに乗り、前後だけでなく左右にも思い切り揺らしながら、ホースで水をかけてもらうとよい。
私の友人がガールフレンドと太平洋を渡った。彼女はヨットや海にハナから興味がなく、ただ彼が行くのでついてきたのがありありと見えていた。船にも滅法弱く、岸壁から海を見ているだけで酔うタイプだった。
2回大シケに遭いながらも無事日本に着いたので、会いに行って驚いた。彼女の目は輝き、活きいきとシケを乗り越えた冒険談を語り、「もう絶対死ぬかと思った、だけどもう一度、早く海に出たい」と述べたのだ。エッ! これが同じ人とは信じられないような、中身をスッポリ入れ替えたような変わりようだった。
一人のヨッテーが誕生したのだ。
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