第51回: コミュニケ-ション
更新日2002/07/25
昔はよかった。……などと言うと、どうも年寄り臭いし、第一事実に反する。今より昔の方がよいと思わせるのは、若い時分には多少機能した肉体と頭脳が、現在に至って気力も含め、すべて衰えたことの反証でしかない。
我がイスレタマリーナに老人が特に集まったわけではないとは思うが、ともかく私の周りには老人が多い。リンは80歳、奥さんのバーバラは69歳。彼らの44フィートの鈍重なヨットをボートヤードから水に戻し、マリーナのバースへ持ってくることになった。普通のヨットなら2人で充分なのだが、リンとバーバラの船は特別仕様なのだ。
まずエンジンがない、その形骸のようなものはあるにはあるが、リンのボケが始まった6、7年前に修理のつもりで分解し出し、今ではエンジンブロックが、ビルジ(水垢を溜める船内の一番低いところ)に転がっているし、リンによれば、すべてのパーツはただ組み立てるのを待つだけということになるが、1万個のジグソーパズルよりも難しいことだろうし、将来エンジンが組み立てられる可能性はゼロに等しい。
セールもない、あるにはあるのだが、ハリケーンで沈んだ前のヨットから引き上げたもので、全く使い物にならない。よって、船外機つきのディンギィーで引っ張っていくことにしたのだ。それには人手がいる。しかし火曜日の昼のことなので、集まったのは老人ばかりだった。
リンの記憶は10秒ほどの持続性しかなく、全くのツンボ状態だ。76歳のメルは2ヶ月前に肝臓の手術をしたばかりで力仕事は期待できない。スタンリーは78歳、心臓バイパスの持ち主、補聴器をつけているが風の中では何も聞こえない。
ハイメ、72歳。どこも悪いところはないのだが、長いことヨットに住んでいるだけで、船も海もまるで知らない、典型的な屁理屈アームチェアーヨット乗り。一番頼りにしているバーバラは、多少目が悪いだけで健康だが、責任感からか、ヨットを水に戻す前からパニクって、とても冷静な判断を下せる状態でなくなっているのだ。
いつでもアンカーを投げ込めるように準備をしているとき、救世主が現われた。ウクライナ人のボリスが、ユッタリとした笑みを浮かべ、「サーノー、どこに行く?」と近づいてきたのを、手招きでヨットに乗せ、ボートヤードの連中が、「サーノーの養老院船だ」と笑う中、船を出したのだ。
ボリスは55歳、堅牢な体と豊かな経験を持つ本物のヨット乗りだが、言語能力が欠如しているのか、ここにきて2年になるのに英語は20単語、スペイン語は10語ほどしか覚えず、それを補うような全身を駆使したジェスチャーとロシア語でなんとか、意思の疎通を図るのだ。これだけ少ない単語で会話を成立させるのは、一種の天才技と言ってよい。
船頭が多くては船は進まない、という諺を地で行く形で悪戦苦闘の末、オーナーキャプテンのリンを含め、老人連を無視し、ボリスとの言語不用のコミュニケーションでヨットを運び、マリーナのバースに後ろ着けで入れたのだった。
ボケた頭で丈夫な体がいいのか、ヨレた体に醒めた頭の方がいいのか、ご本人に選択の余地がないにしろ、私にもいつかヨットを降りなければならない日がくるのだろう。セーリングは自然が与えてくれる条件を受け入れることで成り立っているが、老化という自分に課せられ逃れようのない自然の肉体的条件を受け入れるのは残酷なことのようだ。
第52回:人類皆、泥棒