第53回:シーマンシップと保険 その1
更新日2002/08/08
タイタニックの沈没とそれにまつわる話題は、尽きることのない泉のようなものだ。書かれた本のすべてが、船長をはじめ、乗組員は自らを犠牲にして、船客のまず女性、子供をライフボートに乗せ救助し、彼ら自身は本船と共に沈んでいったことをシーマンシップの鏡と称えている。
もう一隻、語られることの少ない客船の遭難が、場所もタイタニックが氷山に激突した海域のすぐ近くであった。船はアメリカ船籍の「ARCTIC」と言い、283フィート、3,500トンの当時最高級の客船で、ニューヨークの最高級レストランと同じものを出す、と言われていた。
残されたメニューを見ると、なるほどよくこれだけ揃えたものだと呆れるばかりの豪華さだ。乗客は233人で、乗組員との総計で408人と推定されている。
1854年9月20日にイギリスのリバプールを出港し、13ノットのフルスピードで、ニューファンドランド南東にアプローチしたところ、フランス船籍の最新型の鉄船「VESTA」250トンと衝突し、沈没したのだ。
この遭難に私が注目したのは、87人の生存者に一人の女性も、子供もいなことに引っ掛かりを感じたからだった。乗客名簿には、58人の女性と、22人の子供が乗っていたことになっている。生き残ったのは船員が65人、男の乗客が22人だった。
乗客用のライフボートは180人分あった。霧がかかってはいたが、静かな海の事故にしては死亡者が多く、女性と子供は全員死んでいる。「ARCTIC」の船員(高級船員も含め)は、乗客の避難に手を貸すどころか、われ先にとライフボートへ乗り移り、漕ぎ去ったことは明白だ。
助かった22人の男の乗客の内、14人はボートではなく、泳いだり、浮いている物に掴まり救助された、ということはライフボートに乗り込めた乗客はたったの8人だけで、他はすべて船員ということになる。
「ARCTIC」の船長LUCEは、船員を厳しくトレーニングしたり、船員に命令系統を明確にし、絶対服従を反射神経として覚えこませるタイプではなかったようだ。独立後間もないアメリカで高級船員が不足していたのは想像できる。
船員がわれ先にと本船から逃げ始めた時、LUCEはハンマーを振り回し乗客を優先するよう、船員を命令に従わせようとしたが、修羅場と化した沈みかかった本船の上では虚しいことだった。ライフボートは定員の半分にも満たさずに次々と漕ぎ去ったのだ。
この悲劇をイギリスの新聞は、アメリカ船員のモラルの低さ、高級船員の技量のなさを、死者に鞭打つように書きたてた。しかし、当時まだ海難審判制度が確立していなかったので、船員が罪に問われることはなかった。
船長のLUCEは自分の11歳になる息子を失ったが、彼自身は漂っているところをまさに奇跡的に引き上げられた。が、その後二度と船には乗らなかった。74歳で亡くなり、息子と並ぶように葬られた。
第54回:シーマンシップと保険 その2