第55回: "怪 談"
更新日2002/08/22
一夏、メノルカ島(スペイン・バレアレス諸島)で過ごしたことがある。東地中海に並ぶ三つの島の一番北に位置し、マジョルカ島ほど大量のヴァカンス客をこなすホテルも足もなく、イビサ島ほどファッショナブルでもなく、メノルカ島はまだひなびた面影をふんだんに残した島だった。島の経済も観光に頼らなくとも、オリーブやチーズなどの農産物があるし、少ない人口を養うにはそれで十分というわけだ。
私たちのヨットがどうにか入れそうな入り江には、全部アンカーを入れ、走行距離よりも、ゆっくり島を一周し隅々まで回るクルーズ計画だった。そして天候にも恵まれ、最高の夏を過ごすことになった。
狭く、奥深いアダヤ湾にはお昼過ぎにアンカーを入れた。アンカーを船先から下ろす時、よほど深いところでない限りアンカーが海底に着いた感触があるモノだが、それがなく、水深計は5メートルを指しているのに、底のない井戸のようにズルズルとチェーンが出続け、奇妙に思った。
周囲に錨を入れている船はなく、湾は南北に細長く西に簡単なスロープを備えた漁村があり、東は低い岩を木立がまばらに覆っていた。湾内は池のように静かだった。
連れ合いがマスクとシュノーケルで海に飛び込みアンカーをチェックし、泳ぎ回るのが恒例になっているのだが、海に入るやいなや直ぐに上がってきたのだ。総身泡立っていたので、身体の調子でも悪いのかと尋ねたが、彼女は海の水が変だ、底に引きずり込まれそうな気がして即ヨットに戻ったと言った。
私は、そんなこたーあるモノかと笑い飛ばしたことだ。今思い起こせば、兆候と取れなくもない現象がもう一つあった。鏡のような海面の一部、ヨットから10メートルも離れたところに、直径にして3メートルの海面だけが異常に動き、大小交えた魚が無数に飛び跳ね、海面をヨギリ、時に海面自体がせり上がってくるようにすら見えたのだ。そんなショーが15分も続いただろうか。
その夜、風が吹き出した。アンカーをもう2個入れ、連れ合いと3時間交代でアンカーウォッチ(走錨の見張り)体制をしいた。メノルカ北部はビスケー湾で濃縮された風圧が、ピレネー山脈沿いに地中海に抜ける通路にあたり、暴風に見回れることがあるのだ。
その夜もヨット全体を揺さ振り、震えさせるほど吹いた。私の見張り当番の時、コックピットから船内のキャビンに降りるハッチが急激にバーンと開いたのだ。強力なサーチライトを持ってデッキを回った時にハッチのロックを閉め忘れたと思い、今度はシッカリとノブを回し、内側からロックした。
風には息があり、強さや角度が微妙に変化する。ヨットはその変化に対応できず、身悶えするように振動するが、またハッチが大音響とともに開いたのだ。アレッ、締め方悪かったのだろう、と今度は確実にシカとロックし、ハッチを睨むような位置に陣取り、どうして開くのか見極めてやれと腹を決めた。
次のブローが来た。ヨットが震え出し、ハッチもまるで誰か外にいる人が中に入りたくて、揺さ振るようなバイブレーションが起こり、なんとあれほどシッカリとロックしたはずのハッチが、また、開いたのだ。その瞬間、私の全身に冷たいものがサッと走り、超特大の鳥肌が立った。
ひとは時々本人にすら予想できない突飛な行動を取ることがある。私は咄嗟にデッキに飛び出し、吹きまくる嵐に向かって叫び出したのだ。最初の一言は、舌が顎裏に張り付いたように、声にならず、おまけに下腹に意識的に力を入れなければならなかったことを、告白しなければなるまい。
一言でも口から出た後は驚くほど次から次へと、俺たちはここで静かに休暇を過ごしているだけだから、邪魔するな、オヌシ、血迷わずに静かに寝むっとれ、などなど叫びまくったのだ。こんな時には、やはり日本語しか出てこなかったことも付け加えておくべきだろう。
翌日、昼過ぎには風が止み、足船を漕いで村へ渡った。漁師の古老に昨夜の嵐談義かたがた、奇妙な体験を語ったところ、古老は慣れ親しんだ婆さんのことでも話すように、「ソウカ! また出たか!」と言ったものである。
後日、マオンの図書館で調べたところ、18世紀のことだが、180人からのメノルカ人がイギリス兵にアダヤで惨殺されている記述を見つけた。
第56回:
なにがヨットを危険なスポーツたらしめるか