第56回: なにがヨットを危険なスポーツたらしめるか
更新日2002/08/29
いつものことだが、マリーナから船を出す時、少し上ずった緊張が身体の芯を走るものだ。それがたくさんのゲストを乗せていたり、1、2週間のクルーズに出かける前なら、余計緊張の度合いが増し、口が異常に乾いたりする。
ところが一旦マリーナを出て、セールを揚げ、エンジンを切ると、まるで潮が退くように心身の硬さがほぐれ、リラックスできるのだ。
このあたりの極限に近いリラックスというのは、他の何事においても体現できない種類のものだ。
海の広がりのためなのか、ウネリに身を任せるような自然のリズムと体内のそれが一致することによるものか、セールを抜ける潮風のなせるワザなのかは分からないが、私の場合、自然と、「黒いオルフェ」(ルイス・ボンファとジョビンの曲)を唸り出すか、口笛で吹き出すらしい。
陸が遥か水平線に沈み360度海だけになると、リラックス度は120%に達するのだ。そのくせ、2、3日の短航路でさえ、目的地の山影を、目を凝らして捜し求めているのだが。
ヨットは外洋に出てしまうと遥かに安全な乗り物になる。ハリケーンや台風などの大時化(シケ)は、発生当初から正確に、強さ、進路を知ることができるので、待つ時間さえあれば、時化を避けることができる。
私が一番恐れるのは、海の交通事故で、とりわけ大型船との衝突である。小型のヨットが何万トンの本船に当たっても、本船は蚊に刺されたほどにも感じないだろう。本船航路と陸近くが危ない。
もう一つの障害は、浮遊物との衝突で、これは避けようがない。波間に一角だけ顔を出しながら浮き沈みしているコンテナ、ドラム缶、丸太などで、余程前方をシカと見ていない限り見えないし、夜だと事態は絶望的になる。大西洋の真ん中でコンテナの三角頭と20メートル程離れてすれ違ったことがある。丸太は地中海で出会った。
海に浮いているモノはすべて、走っている時、錨を入れている時、漁をしている時、潜っている時、それぞれの船のタイプ、条件で細かく明かりを点けたり、信号旗を揚げたりして、自分の船の所在と動きを他の船に知らせる国際規定がある。
しかしそんなルールは第三世界に一歩入ると全く通用しない。アフリカ西岸では、50マイル以上も陸から離れところに、エンジンなしの、手漕ぎ帆かけ船の船団が漁をしていたし、ベネズエラ沖でも航海灯なしの漁船が蛍のような光が鼻先をかすめて、初めてその存在に気がついた。何かがぼんやりと光っているような明かりをコックピットに下げていればまだよいほうだ。
私たちも、何度かニアミスに近いヒヤヒヤモノを体験したが、ぶつからなかったのは単に運がよかっただけだったと思う。
こうして書き連ねてみると、私が恐れているヨットの危険は、すべて人間がからんでいることに気がついた。自然は人間の意志を無視した暴力を奮いはするが、日常的な海の危険は我々人間が自ら作り出したものなのだ。
第57回:
ただ憧れを知る者のみ