第64回: イスレタ島人物伝 その2 〜ポリート
更新日2002/10/24
プエルトリコに住み着き、住まいはヨットだが、ショーバイ上の都合で陸(オカ)にアパートを一部屋借り、電話、パソコン、ファックスなど、少しは事務所らしい体裁を整えた。と書けば簡単に聞こえるが、電話ひとつ引くのもとてつもない手順を踏まなければならなかった。電話局で3時間持ち、やっと申し込んだはいいが、1週間経っても、1ヶ月経っても、電話がつかないのだ。
プエルトリコ人の友人にそのことを打ち明けたところ、申し込んだからって、すぐつくわけないだろう、俺に任せておけと、数限りなくいる従兄の一人が電話局に勤めている友人ににコネを使ってもらったところ、その翌日電話がついたのだ。ここでは、すべからくコネを利用すべし、コネこそは魔法の杖とこころすべし、と学んだことだ。
1ヶ月後、請求書が郵送されてきた。なんと基本料金の他に13種類の税金がかかってきたのだ。いわく、合衆国履行税、プエルトリコ税、市町村税、郡税、合衆国アクセス税、ユニバーサルサービス料、救急サービス料等などだ。
この国は税金の取立てが厳しい。日本のサラリーマンなら毎月の給料から差し引かれ、調整があり、こんなに取られていると思いつつも自分で申告する煩雑さから逃れることができる。しかしここでは、全国民が毎年各自で申告しなければならない。次第に申告の様式が複雑になり、年収が200〜300万円相当の人でも、町の会計士、税理士に頼まなければない。
航空会社に勤める知り合いが会社に貢献したとして、賞を貰った。デジタルカメラを会社から貰ったのだ。翌年税務署から呼び出しがあり、賞で貰ったデジカメの市価に換算した分が申告漏れであり、追徴金を払えと言うのだ。もちろん雲上の大金持ちには、あの手この手の抜け道があるのはどこの国でも変わりないが、中下層クラスには抜け道が全くない。
私もここに暮らす以上は、ここのシステムに従って生活をしなければならないと、自分に強く言い聞かせた。そんなことに煩わされることなくクルージングしていたときのことを懐かしく思い出した。
ポリートはマリーナの雑用をしている60歳、浅黒く引き締まった体型のプエルトリコ人だ。先の3人組、ニボ、パンチョ、カルメーロとは対照的にコマネズミのように体を動かし、物惜しみをせずに働く。ポリートはマリーナに雇われているわけではないが、B桟橋に係留されているヨットの世話、主にデッキ、ハルを洗ったり磨いたりの仕事で、各々のオーナーから小銭を貰い、これも誰かからただで貰ったマストもエンジンもないヨットに住んでいる。
彼ほど典型的な朝型の人間は見たことがない。朝4時には盗品のショッピングカートに洗剤、ワックス、ブラッシ、スポンジなどの一切のショーバイ道具を積み、巡回し、ヨットを磨き始めるのだ。太陽が真上から照りつける時刻になると、1本目のメダージャ(プエルトリコのビール)を空ける、2本目、3本目になるに従って活きが下がりだし、昼食のあとは対岸のバーで酔っ払うのが、彼の一日だ。が、翌朝必ず4時起きで、働きだすのだ。
ポリートを一目でも見た人は、彼を決して忘れないだろう。進化論を習ったとき、チンパンジーが次第に直立歩行をし、人類になる過程が4、5枚の絵になっていたのを覚えているが、ポリートはそのちょうど中間、チンパンジーと人類の間に位置する風貌を持っているのだ。マリーナの連中はダーウィンがポリートに出会っていたら、パタゴニアやガラパゴスまで出かけるまでもなく、進化論を完成させただろうとか、サンホアンの動物園でオラウータンがポリートに擦り寄ってきたとか、まことしやかに言い合っている。
さらに、ポリートの声が印象を決定づける。恐ろしいダミ声で錆びた鉄船を手鉤で擦ったような摩擦音を発するのだ。おそらく声帯が潰れているのだろう、苦しそうに、しかしよくしゃべるのだ。
このポリートが女性にモテルのだ。確かにポリートは服装に気を使い、午後、対岸へ出かけるとき、バーで一杯引っ掛けるだけでも、彼が世話しているヨットのマークの付いたTシャツとか、ヨットや錨、舵輪やロープの絵の付いた小奇麗なシャツでめかしこみ、ヨッティーたちのように汗臭いまま出歩くことをしない。
イスレタマリーナの七不思議の筆頭は、“なぜ、ポリートが女にモテルのか”というものだ。たしかに彼の守備範囲は節操がないと言ってよいほど広く、メスなら何でも来いといった寛容さだ。ある時は3人のウルトラビキニの女性がポリートの膝に乗ってなにやら、怪しげな行為に及ぶ寸前だったし、フェデラルエックスプレスの配達のお姉さんや掃除のおばさん、酒屋の超太目のおばさんなどが上気した顔でポリートと一緒に船から下りてくるのだ。ポリートは一向にそれを隠すふうでなく、公然とB桟橋で抱き合い、フェリーでお別れのキスをする。
一時期ポリートが我がヨットの隣に係留されていた豪華なパワーボートの世話をしていたことがあり、彼と急速に親しくなった。マリーナの七不思議の謎は解くことはできなかったが、彼の他の面を知った。
ある時ポリートが遠慮がちに何枚かの個人小切手を見せ、それを現金にしてくれないかと頼みにきたのだ。小切手はヨット、ボートのオーナーが書いたものばかりで、額も20ドル、40ドルと小額だし、総計でも100ドル内外だったので、気軽に換えてあげた。そんなことが何度かあり、しかしどうして自分で銀行に行かないのだと、ごく当たり前の質問をしたが、当初、彼は銀行を信用していないとか、口座を持っていないとか答えていた。
が、何ヶ月か経って、何度かビールを一緒に飲んだ末、分かったことは、彼が銀行口座どころか、社会保障番号も、運転免許証も、身分証明書のたぐいは言うに及ばず、政府と関わりのあるものは一切持っていないことだった。生年月日すらはっきりせず、もちろん税金の申告などしたこともなく、投票もしたことがなく、つまり政治的に存在していないのだ。その後、ボートボーイの大半がポリートと同様、お上と全く関わりなく生きているのを発見した。
税金の申告シーズンになり、面倒な申告用紙に取り組むとき、自分が愚かに見えてくるのだ。
第65回:イスレタ島人物伝 その3
〜フェリーキャプテンたち