第3回:泡茶における「工人」指向と<br>「文人」指向
更新日2002/01/29
今年に入ってから、私の店では中国茶教室を始めることになった。昨年までは、受講者自身が中国茶取扱店を開業する目的の内容であったのだが、今年からは一般の方向けの講習となった。
「どうしても、先生と同じようにできないのです」
講習を受けているIさんが話し始めた。
「なぜ、同じようにお茶を淹れようとするのですか?」
「私は上手にお茶を淹れようと教室に来ているのです。なぜ上手に淹れることができないのか教えて下さい」
正直私は困る。受講者が考える「お茶を淹れる」意味を尋ねることなく講習を始めてしまったのだ。
人は仕草や言葉で「その人」を判断してしまう。言い換えるのならば、現実の「その人」なりを判断するに手段は限られる。
「茶道」「香道」「剣道」「柔道」動であれ静であれ、その究極は人格を磨くことにある。それぞれの「道」にある「型」。その「型」をどう捕らえるのか、「型」の意味はどこに存在するのか。講師たる人間は明確に学生に伝える責任がある。
技術偏重の講師を「工人」指向の講師と呼ぶことにしよう。ありがちなのは、『ほら、どうだ!私は血の滲む特訓を重ねた結果、君達には真似のできない技術があるのだ。真似できるものなら真似してみなさい!これが「手本」だ。君達が何もできないのは君達も今、良く解っただろう。「手本」を真似することしかできない君達は、何も考えずに返し私の「手本」を「真似」するのだ。限りなく私に近く「コピー」できたら「弟子」として認めよう。さあ、頑張るのだ!私はその昔、「偉い人」が決めた「型」を忠実に再現できる。さあ、私の真似ができたら「型」を「コピー」するのです!』
矢沢永吉が著書『成り上がり』の中でこんなことを書いていたのを思い出す。「ギターの先生、いらない!いらない!好きな奴は練習するって!書道の先生?いらない!いらない!好きな奴は筆持って書くって!」
私も同じように考える。練習によって身に付く技術は、繰り返し練習すればよいのだ。泡茶における技術は、正しい箸の持ち方や人に不快な思いをさせない為のテーブルマナーと同じ次元だと私は断言する。箸を正しく扱えない人間は、正しく扱えるまで練習をすれば良いのだ。ギターを弾きたいと考える者は練習をすれば良いのだ。と思う。技術をお金と引き換えに伝授する「インストラクター」は数多く存在する。
私は決して「インストラクター」にはなれない。なぜなら、本人が努力すれば身に付けられるものなのに「先生」と呼ばれのぼせ上がる姿を想像すると……。
教室で私は何ができるのだろう。私が「型」の持つその力に圧倒されているのも事実である。「型」には先人の持つ苦悩や知恵のエッセンスが詰め込まれている。そして「型」を学び、エッセンスを自分で消化し、「革命」を起こしたエポックメーカーも存在する。
私なりの「型」の解釈を話そう。背後にある歴史的背景も話そう。私の持つ能力が赤裸々に生徒さんの前に曝け出されてしまう。そして受け取る側が疑問を持つこともあるであろう。それが当然なのだ。共に思考することが、私にとっても非常に大切になる。思考を、疑問を忘れないこと、それを「文人」指向と呼びたい。
なぜ、中国の茶壺(急須)の取っ手は後ろに付いていて日本の急須の取っ手は横に付いているのか?なぜ、鉄観音はそう呼ばれるのか?
「型」を超える美しさで、おもてなしの茶を振舞うには教養が欠かせない。又はそれを超える「何か」が。
中国茶を美味しく淹れるコツはいくつか存在するが、私がここで紹介するのはヒントでしかない。読者の方が自身で身につけられたコツが一番正しい。「失敗は成功の元」。失敗の原因を研究して納得いく味を見つけて頂きたい。
これはきっと「おいしいコーヒーの淹れ方」「上手な運転の仕方」にも通じると思う。
美味しい中国茶を愉しむ為に……。
1) 茶葉の理解
2) 茶葉の量と湯の量が正しく比例していること
3) 適切な湯の温度
4) 適切な抽出時間
5) 茶器の選択
6) 水の選択
単純なこの条件。私も研究の毎日だ。
用語解説
☆泡茶=茶を淹れること
<清香茶房よりお知らせ>
コラムにもあるとおり、著者の戸恒さんのお店『恒記茶荘』で中国茶講座を開催しています。受講の申し込み、スケジュールなどのお問い合わせは下記まで。
電話 03-5565-9991(恒記茶荘)
FAX 03-5565-9978(同上)
→ 第4回:六安瓜片