のらり 大好評連載中   
 

■ギュスターヴ・ドレとの対話 ~ 谷口 江里也

更新日2019/02/14

 

第4回:自ら切り拓いた道

dore_04-01


これはあなたが1861年に発表した『神曲 地獄篇』の冒頭の版画です。人生のなかばに、生きるべき道を見失い深い森に迷い込んだダンテが、森のあまりの暗さに恐れながらも、森の奥に向かって意を決して歩み始める場面です。そこからダンテは冥界への不思議な旅をします。

考えてみればあなたも壮大な野望を胸に秘めて、この作品を手始めに、それまで誰も試みたことのない道を果敢に歩み始めたのでした。幼い頃すでに、ダンテの神曲などの古典文学の世界をことごとく絵に表すのだという夢を抱いていたあなたは、30歳を目前にした29歳の時に、その夢の実現に具体的に着手したことになります。

ここで壮大な野望と敢えて記したのは、単にこれから展開することになるあなたの試みが、あまりにも壮大で途方も無い労力と創造力を必要とするものだからというだけではありません。そこにはいくつかの、視覚表現の歴史ということを考えるならば、まさに画期的でラジカルな野望(*ヴィジョン)が秘められていたからです。

あなたがその革新性を明確に、あるいは戦略的に自覚していたかどうかはわかりません。単にそうしたかっただけかもしれません。しかしすべての意図はあなたの場合、ほとんど無鉄砲といっていいほどのあなたの前進力と、度外れた器量と創造力、抱いた夢想の健やかさ大きさ、そしてブレることなく一歩一歩、夢に向かって歩むことの確かさのなかに無意識のうちにも溶け込んでしまっていて、それで充分でした。

天才的な表現者というのはそういうものです。天才というのは、自らの夢と表現上の新たな可能性と時代性とが絶妙に、そして不可分に重なり合った存在だからです。ちょうど私の時代のビートルズがそうでした。彼らは自分たちの心身の感覚や美意識に耳をすまして、自分たちがどうしてもやりたいことをやり続けることで、新たな扉を次々に開いていきました。


第一の革新性は、言葉で表された物語の時空間を大量の画像に翻訳し、それを連続させることで視覚的に物語ることを試みたという事です。そうしてあなたは結果的に、映画に始まり現代に至るヴィジュアルコミュニケーションの時代を先駆けました。

第二の革新性は、あなたが生産性を重視した事です。絵で物語るためには大量の版画が必要です。そこであなたは自らの工房に多くの優れた表現力を持つ彫り師を集めて、短い時間で多くの版画を生産するためのチームをつくりました。そして、周りの人が驚嘆するほどのスピードで絵を描く力を持っていたあなたは版木にダイレクトに墨で絵を描き、それを彫り師たちが手分けして彫るという方法を編み出しました。つまりそれは、貴方の夢を実現するためのファクトリーでした。もちろんそれはすでに売れっ子だったあなただからできたことでしょう。

第三の革新性は、あなたが大判の小口木版による版画でドリームプロジェクトを展開したという事です。版画はプリントメディアであって、一つの版木で多くの版画を刷ることができます。つまり一点ものの油絵と違って一つの作品を多くの人が見ることができます。しかも木口木版は浮世絵などで用いられる板目の版画よりもずっと多くの版画を刷ることができます。

そしてあなたはフォリオ版の用紙にその版画を刷りました。そうすると刷られた大判の版画の周りをちょうど良い大きさの余白が縁どることになり、本にした場合、そこには文章が入らず、ちょうど額縁に入った絵を見るように版画を鑑賞することができます。そうして刷った版画を出版社に渡し、出版社はその版画を物語にあわせて配置し、文章を刷った用紙の中に入れ込んで製本します。

あなたの豪華本は、フランスやイギリスのみならず、イタリアやドイツやアメリカでも出版されましたけれども、それは版画を独立したページとして扱えるため、それ以外の部分に自国語を印刷して出版することができる仕組みをあなたがつくりだしたからでした。

もちろんそれには制作コストに加えて版画や版木の輸送などのコストがかかりますけれども、あなたの挿絵本は特別に大きかったため、その頃はまだたくさんいた製本師が皮などを用いて手の込んだ豪華本に仕立て上げれば、諸々のコストを売価に反映させることができました。しかも出版する都市の言語や美意識や、特別な客の嗜好に合わせることもできました。

第四の革新性は、そうしてヨーロッパ中で出版され、大変な人気を博した有名な古典文学の世界を視覚化した挿絵本によって、あなたはヨーロッパの多くの人々の心に、視覚的なイメージを刷り込むことを結果的に成し遂げたということです。

たとえば地獄のイメージであれ聖書の中の場面であれ、人々がそのような場面を想起する時のモデルイメージ、つまりは共同幻想、あるいは視覚的共通言語のようなものを、あなたはヨーロッパの人々の心のなかにつくりだしたということです。つまりあなたの仕事は、現代におけるマスイメージという不思議な領域にまで一足飛びに踏み込んでいたのでした。


こうした革新性を満載したスピードワゴンのように時代を疾走したあなたでしたが、物語に触発されてあなたが見た時空間を、クオリティの高い版画に表して新しく登場してきた中産階級に本の形で広く届けるという、あなたにとっては自然で素直な、しかし出版業界にとっては極めて非常識な、度を越して無謀なあなたの企ては、当初まったく理解者を得ることができませんでした。

すでに人気のあったあなたは多くの出版社を知っていましたが、しかし、およそ三十冊の古典文学の世界を視覚化して矢継ぎ早に豪華本を出版するというあなたの企画は、あまりにもリスクが大きすぎ、すべての出版社から断られてしまいました。

しかたなくあなたは74点の作品を収めた『神曲 地獄篇』を自費で出版したわけですけれども、それはたちまち大評判になり、当時の高名な知識人、たとえばテオフィル・ゴーティエやヴィクトル・ユゴーやジョルジュ・サンドなどに絶賛され、レジョンドヌール勲章までもらうことになりました。この大成功によってあなたの名前はヨーロッパ中に知れ渡り、これを機にあなたは自らの幼い頃からの夢と、壮年になってからの壮大な企画を着実に実現していくことになったのでした。

圧倒的な描写力で大評判となったあなたの『神曲 地獄篇』は、言葉によるダンテの描写とそこにおける微妙なニュアンスを実に見事に視覚化しています。そこには私を魅了した作品が数多くありますけれども、例えばその中にはこのような絵があります。

dore_04-02


ダンテが描く地獄は九つの階層に分かれていて、下層にいくほど重い罪を犯した罪人が裁かれています。この絵は地獄への門をくぐり、三途の川であるアケロンを渡ったところにある第一層の辺獄の下の、情欲の罪を犯した亡霊たちが寄る辺も無く黒い風に翻弄され宙空を漂い続ける第二層で罰を受ける二人、地獄に落とされてもなお抱き合って宙を舞う、許されない恋に堕ちて命を絶たれた実話と言われている悲劇の主人公パオロとフランチェスカの姿を描いたものです。ダンテはこの二人を罪人として醜く描いてはいません。パオロはある国の醜男の城主の弟で、フランチェスカはその城主と無理やり政略結婚することを余儀なくされますが、見合いの席に城主は破談を恐れて美男の弟を身代わりに立てます。一目で恋に堕ちたフランチェスカは結婚を承諾します。パオロもまたフランチェスカに一目惚れしますが、醜男のジェンチオットが企んだ偽りに騙されたとはいえ彼女の正式の結婚相手は醜男の方ですから、燃え上がってしまった二人の恋は道ならぬ恋ということになってしまいます。それでも兄の留守に愛し合った二人は、結局、それを知ったジェンチオットに刺し殺されてしまいますが、ダンテは明らかに、この二人の純粋な愛ゆえの不義をむしろ賛美しています。

あなたもまたその意を汲んで二人を美しく描いています。死してなおこのように永遠に抱き合ったままで彷徨い続けることができるのなら、それも悪くはないなと、つい想ってしまうほどです。

dore_04-03


地獄では、第三層には、傲慢や嫉妬や貪欲の罪を犯したもの、第四層では金をため込んだり浪費したもの、第五層では怒り狂ったものたちが苦しんでいますが、その先にはより重い罪を裁く下層への門があり、そのなかの第六層では、異教徒や神の教えに背いて悪事をなしたものたちが罰せられていて、この絵は下から火炎が吹き上げる墓に閉じ込められているフィレンツェの知将ファリナータです。ダンテの『神曲』の面白さは、ダンテが経験した同時代のことや人物がしばしば登場することで、ダンテの時代にフィレンツェはダンテが属した白派と、その政権を奪おうとする黒派に分かれて抗争を続けていて、白派は結局、黒派の裏工作と軍事クーデターによって敗れ、白派のリーダーの一人だったダンテもフィレンツェを永久追放となり、ダンテは遂に故郷に帰る事なく流転の旅の中で『神曲』を描き続け、死の直前にようやく書きあげることになったのでした。

ですから当時のダンテの政敵や裏切り者などをダンテは『神曲』の中で罵倒したり、ことさら重い罰で苦しめたりなどします。ファリナータは黒派の闘将の一人ですからダンテから見れば敵なのですが、白派と黒派との決戦に勝った黒派が、白派を一掃するために美しいフィレンツェの街を焼き払おうとした時、それを身を呈して止めたのがファリナータでした。

敵ながらあっぱれということでしょう。火炎地獄に「落とされた敵の将をダンテはあえて知将と呼んでいますが、あなたもまたそれに応じて、ファリナータを美しく凛々しく描いています。地獄の闇の中の炎と、それに照らし出された、上を見上げて毅然と立つファリナータの描き方が見事です。

dore_04-04


これは地獄の最下層、第九層のコキュートスで氷漬けになっているサターン、つまりは神に対する謀反を起こして神と戦闘を交えた魔王ルチフェルです。ルチフェルは、三人の男を噛み砕いていますが、その三人とは、ローマの皇帝カエサルを裏切ったブルータスとカシウス、そしてイエスを裏切ったユダです。ダンテの美意識が如実に表れていますが、あなたもまたそれに呼応して、実に壮大なスケールの空間のなかに神に反旗を翻したルチフェルを、実に不遜で雄々しく、そして美しく描いています。どうやらあなたの気持ちは、ダンテよりもさらにルチフェルに肩入れしているようです。


-…つづく

 

back第5回:幻想の共有

このコラムの感想を書く

 


谷口 江里也
(たにぐち・えりや)
著者にメールを送る

本や歌や建築、さらには自治体や企業のシンボリックプロジェクトなどの、広い意味での空間創造を仕事とする表現哲学詩人、ヴィジョンアーキテクト。
主な著作に『鏡の向こうのつづれ織り』『鳥たちの夜』『空間構想事始』『天才たちのスペイン』、主な建築作品に『東京銀座資生堂ビル』『ラゾーナ川崎プラザ』『レストランikra』などがある。
なお音楽作品として、シンガーソングライター音羽信の作品として、アルバム『わすれがたみ』『OTOWA SHIN 2』などがある。

アローAmazon 谷口江里也 著作リスト

アロー未知谷 刊行物の検索 谷口江里也
アローElia's Web Site [E.C.S]


■連載完了コラム
『ひとつひとつの確かさ』~表現哲学詩人 谷口江里也の映像詩(→改題『いまここで  Here and Now』)
[全48回] *出版済み

現代語訳『枕草子』 ~清少納言の『枕草子』を表現哲学詩人谷口江里也が現代語に翻訳
[全17回]

現代語訳『方丈記』~鴨長明の『方丈記』を表現哲学詩人谷口江里也が現代語訳に翻訳[全18回]

現代語訳『風姿花伝』~世阿弥の『風姿花伝』を表現哲学詩人谷口江里也が現代語に翻訳[全63回]

岩の記憶、風の夢~my United Stars of Atlantis [全57回] *出版済み

もう一つの世界との対話~谷口江里也と海藤春樹のイメージトリップ[全24回]
*出版済み

鏡の向こうのつづれ織り~谷口江里也のとっておきのクリエイティヴ時空[全24回]
*出版済み

随想『奥の細道』という試み ~谷口江里也が芭蕉を表現哲学詩人の心で読み解くクリエイティヴ・トリップ[全48回]
*出版済み

バックナンバー

第1回:ドレが描いた最初の絵
第2回:アリとキリギリス
第3回:才能と表現力の告知


■更新予定日:隔週木曜日



  TOP-トップページ》 《コラム一覧 》 《のらりインタビュー》 《コラム・バックナンバー
……………………………………現在連載コラム……………………………………
新・汽車旅日記 】 【店主の分け前 】 【イビサ物語
 【亜米利加よもやま通信 】 【ギュスターヴ・ドレとの対話 】 【よりみち
………………………………掲載完了イチオシコラム………………………………
[拳銃家業 ] [貿易風の吹く島から ] [ くらり、スペイン ] [グレートプレーンズのそよ風 ]  
  [フロンティア時代のアンチヒーローたち ]

    

このサイトに関するご意見・ご感想・お問い合わせはこちらまで。
Copyrights 2019 Norari