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■ギュスターヴ・ドレとの対話 ~ 谷口 江里也

更新日2019/04/11

 

第8回:美しい悪魔

 

ジョン・ミルトン(1608~1674)の『失楽園』は不思議な物語です。何しろ主役が、キリスト教の世界でもっとも忌み嫌われるべき悪魔(サターン)です。この物語は基本的には、人間がどうして楽園であるエデンの園を追い出されることになったのかという顛末を巡る物語ですけれども、同時に、天界にあって美しく光り輝く天使と呼ばれたルチフェルが、どうして地獄に堕とされることになったのか、どうしてサターンと呼ばれるようになったのかということを軸に物語が展開されます。つまり『失楽園』は、二つの意味での楽園喪失の物語だとも言えます。

人間がエデンを追い出されたのは、決して採って食べてはならないと神から言われていた知恵の木の実を食べたからで、その罰として、食べるものに困ることのないエデンを出て、自分の手で食べ物を得なくてはならなくなってしまったというわけです。

一方、明けの明星(ルシファー)としても知られる大天使ルチフェルは、天界にあって最も美しかったとされ、天使たちの長ともいうべき存在でしたが、その天使たちを率い叛乱軍を組織して神に戦いを挑んだ大天使です。

天界を二分した大戦争は、結局神の勝利に終わり、ルチフェルとルチフェルの味方をして戦った天使たちは堕天使として地獄に落とされますが、そこから蘇ったルチフェルがサターンとなってエデンに住む、神の快心の作品ともいうべき人間に、神との約束に背かせる、つまり原罪を負わせることになります。

この物語の不思議さは、悪魔(サターン)が、神に反旗を翻して地獄に堕とされるまでは、天界において、いわば神の側近であったということです。この物語の着想をミルトンは、おそらく『旧約聖書』に神(ヤウエイ)が、「我ら」という複数形を用いていることから得たと思われます。つまりヤウエイのほかにも神はいて、ヤウエイはその神々たちの上に立つ絶対神であり、ルチフェルの闘いは、その独裁体制に対する挑戦であったと読み取れなくはないということです。そこにミルトンの着想の非凡さがあります。


サターンに関しては、『旧約聖書』の『ヨブ記』にも不思議な記述があります。ヨブは大変豊かな暮らしをしていたのですが、敬虔(けいけん)な神の信者でした。その『ヨブ記』のなかに、神と天使たちのある日の集いのなかに「サターンもいた」と記されていることです。「どこから来た」と問う神にサターンが「大地を一巡りして」と答えると、神が「それでは私の僕(しもべ)のヨブを見たであろう」と言ってヨブの敬虔さを褒めます。するとサターンは、あなたへの信心も豊かな暮らしがあるからですよ、なんなら私が手を触れて、その財産を無くしてみたらどうなるでしょう、きっとあなたを蔑(さげす)むようになるでしょう、と言ってヨブに次から次へと災いを与えるという話です。そのくだりを読めば、サターンもまた天界の天使の一人であったと読み取れます。

ミルトンはおそらく、主にこの二つの記述から着想を得て『失楽園』という神とサターンと人間との壮大なドラマを書いたのでしょう。

そしてあなたは『聖書』を描いてすぐ、『失楽園』をテーマとする絵を描きました。これはまさしくあなた好みのテーマです。そしてあなたは、神に反旗を翻したるルチフェルを、あなたでなければ描き得ないほど美しく描いて見せました。例えばこんな絵です。

 

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これは地獄に堕とされながらも蘇り、同じように堕とされた仲間の堕天使軍を再び組織して、神に雪辱戦を挑むべく、叛乱軍の本拠地とすべく魔法によって創り出した巨大な伏魔殿(ふまでん)で決起集会を行って仲間を奮い立たせるべくルチフェルが檄(げき)を飛ばしている場面です。

御殿は実に壮麗で、とても悪の巣窟(そうくつ)にはみえません。しかもあなたはルチフェルを、美しい光り輝く大天使として描いていて、見ているとなんとなく仲間になりたくなってしまうほどの華やかさです。全体的にあなたは、明らかにルチフェルに肩入れをしているとしか思えないほどカッコよくサターンを描いています。

 

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これはサターンが、神への雪辱戦を始める前に、まずは神の作品である地球に住むエデンの園のアダムとエバを単身で偵察に出かける場面です。宇宙の闇の中に浮かぶ地球を舞台にしたドラマティックな物語が、今まさに始まろうとしているという感じがいかにもします。

実際には『失楽園』では、サターンがカエルだの蛇だのに姿を変えて生まれたばかりのエバをたぶらかすというセコイ展開になるのですけれども、あなたが挿絵を施した『失楽園』の場合、見どころはやはり神の天使軍とルチフェルの堕天使軍との戦闘や、そこに登場する個性的なキャラクターたちの描き方です。

この作品をあなたはまずロンドンで出版します。あなたはフランスよりもロンドンでの方がはるかに人気があり、サターンと神への叛乱を美しく描いたこの作品を出すにあたっては、まずはロンドンで発表して世間の反応を見たかったのかもしれません。

どうやらあなたのなかには、豪胆さと繊細さと戦略性と、物語の本質を感受する感性と知性、さらには健康で素直な人間らしさや明るさが程よくナチュラルに混在しているようです。そうでなければ、まるで最新のハリウッド映画のCG画像のような、こんな壮大であっぱれなシーンが描けるはずがありません。


-…つづく

 

 

 

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谷口 江里也
(たにぐち・えりや)
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本や歌や建築、さらには自治体や企業のシンボリックプロジェクトなどの、広い意味での空間創造を仕事とする表現哲学詩人、ヴィジョンアーキテクト。
主な著作に『鏡の向こうのつづれ織り』『鳥たちの夜』『空間構想事始』『天才たちのスペイン』、主な建築作品に『東京銀座資生堂ビル』『ラゾーナ川崎プラザ』『レストランikra』などがある。
なお音楽作品として、シンガーソングライター音羽信の作品として、アルバム『わすれがたみ』『OTOWA SHIN 2』などがある。

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バックナンバー

第1回:ドレが描いた最初の絵
第2回:アリとキリギリス
第3回:才能と表現力の告知
第4回:自ら切り拓いた道
第5回:幻想の共有
第6回:ドレの肖像写真
第7回:私がみた最初のドレの絵

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