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■ギュスターヴ・ドレとの対話 ~ 谷口 江里也

更新日2019/08/15

 

第17回: ドレ的な表現 3 近景と遠景


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これは『失楽園』のなかの、地獄に封印されていた魔王ルチフェルが、地獄を脱して神が創った地球に密かに偵察に行き、エデンの園に潜入して神が手塩にかけた作品である美しい人間を目撃する直前の場面です。

ルチフェルが隠れている鬱蒼(うっそう)とした森の向こうに光に溢れる場所が見え、隠と陽の二つの世界に空間が分かたれています。

このように画面を近景と遠景の二つに分けて立体感を演出するのも、あなたがしばしば用いた空間表現です。これはバロックの時代などに演劇に盛んに用いられた方法で、演技の背景となる舞台装置を近景と遠景、さらにはその間にもう一つ中間的な背景を置いて、そこに役者が出入りするということによって劇にダイナミズムを持たせることが好んで行われました。

あなたの故郷アルザス地方の隣のロレーヌ地方のナンシーで生まれ、銅版画による表現と技法を確立したジャック・カロ(1592~1635)もこの表現方法をよく用いましたが、カロもあなたも演劇とその非日常的な時空間性がおそらく大好きだったのでしょう。

絵は基本的にイマージナティヴな時空間を平面の上に表現することですけれども、それにはさまざまな方法があります。たとえばデジタルカメラでレンズを対象に向けると液晶モニターに平面化された画像が映ります。その平面化の仕方はレンズによって変わりますが、ルネサンス以降、写真が登場するまでは、それと同じようにいろんな遠近法を用いて絵を描くことが一般的になりました。そうした方がリアルに見えるからです。

ここであなたが用いている方法は、それとは若干異なります。もちろんリアリティを出すために通常の遠近法も用いてはいますけれども、この絵を成り立たせているのは、近景と遠景を描いた二枚のスクリーンを重ね合わせる、あるいは異なる距離感を持つ書き割りを二枚、舞台の上に間を開けて置くような方法です。そのことによって中間部分に虚ろな空間ができ、そこから何かが登場するような一種の演劇性が生まれます。この方法の場合、強調したいのは近景と遠景、そしてそれらの関係ですから、それ以外のものはあまり細かく描かれていません。そこが通常の遠近法的な描き方との違いです。

物語のなかの次のシーンでは、ルチフェルは溢れる光のなかに佇む裸のアダムとエバの美しい姿を目撃することになりますから、この絵であなたは、次に起きることへの期待、あるいは予感のようなものを演出、つまり映画における場面転換とそこへとつながる映像的な仕掛けを行なっているわけです。

 

ほかにも次のような絵があります。これは『神曲 煉獄篇』のなかの、煉獄山で贖罪(しょくざい)をするための苦行をする人たちが、登る前に身を清める水が流れるテベレ川の上を、天使が先導する光り輝く神の船に乗せられて渡ってくる場面です。この絵もダンテとヴィルギリウスのいる近景と、彼方からこちらに向かって進んでくる船を描いた遠景によって構成されています。

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空は曇っていますが、船を操る天使の上の空だけが明るくなっています。あなたはこの絵の次に船が岸辺に着いた場面を描いていて、物語を読み進みながらページをめくる私たちは、そこで時間の流れを感じ取ります。時空間を映像で物語る映画に似た方法です。その頃にはまだ映画は存在しませんでしたけれども、あなたが後の映画監督たちに愛されることになる理由がよく解ります。

あなたの絵の中には、こうした近景と遠景に、別の要素を加えた表現上の工夫をした絵もあります。たとえば次のような絵があります。これは同じく『神曲 煉獄編』のなかの煉獄前地を描いた絵です。映画ではカメラワークによって、これからのドラマの展開に重要な働きをする象徴的な何かを画面に登場させることがありますが、それと似た方法をあなたはこの絵の中で用いています。

この絵の中で最もリアルに描かれているのは近景の中の蛇です。もちろんエバを誘惑して人間が原罪を背負わなくてはいけなくなった原因をつくった蛇は、さまざまな誘惑の象徴です。すでに述べたように煉獄は高慢や嫉妬などの、人間のさまざまな欲求、人間性をおとしめる原因である感情を浄(きよ)める場所ですから、蛇に象徴される内面的な悪しき感情を煉獄で抱かないように、魂たちは気を付けなくてはなりません。蛇の真上に描かれている二人の天使は、せっかく罪を浄化しようとしている魂たちに蛇が近づいたりしないよう、煉獄前地を巡回している天使です。


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つまりこの絵では、煉獄前地を進むダンテとヴィルギリウスの二人の遠景と蛇のいる近景という、向こうと手前の舞台装置に加えて上と下に意味が対極にある要素を描くという、やや複雑な、立体的な表現を行なっているということです。

 

さらに複雑な要素を繊細に加えた次のような絵もあります。これはアーサー王と円卓の騎士たちを描いたテニスンの詩『エレイン』のためにあなたが描いた絵です。

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遠景には霧の彼方の城。近景には騎馬に乗ったアーサー王と、すでに白骨化した遥か昔に王位をかけて戦った兄弟の姿。アーサー王は谷間の道を通り過ぎる際、地面に横たわっていたかつての王の遺骸をそれと知らずに踏み、その拍子にダイヤモンドを散りばめた黄金の王冠が転がる一瞬を描いた絵です。

アーサー王物語では、アーサー王や円卓の騎士や魔法使いのマーリン、そして彼らと多くの女性との恋が複雑に絡み合い、すべてが抗(こう)し難(がた)い運命の糸に操られるようにして、波乱万丈の物語が激しく、しかし静かに哀しく流れて、やがて王国全体が破滅的な戦いの渦の中に巻き込まれていきます。

この絵には、そんなアーサー王物語全体に漂うトーンが見事に表現されています。静寂の中、まるで時間が止まったかのような近景と遠景、そしてそれらのすべてを包み込む深い霧。重要なのは、そこに転がる王冠という動きが描き込まれていることです。
馬から降りてそれを手にした時、アーサー王の心に「お前は同じように王になるのだ」という言葉が響きます。

運命という川の水に否応なく流されていく予兆のような場面ですが、ここでは近景と遠景と、それらをつなぐ霧という舞台装置に加えて、運命の女神が乗る輪のような王冠が、かつての王の頭蓋を離れて転がるという動き、つまり一瞬の瞬間のうちに、アーサー王と円卓の騎士たちにまつわる運命に沿って流れる長い時間が凝縮されて象徴的に描かれています。

あなたの絵は、描き方が巧みであるために抵抗感なくすんなり目に入り、奇抜な場面でもなぜか自然に映り違和感をあまり感じさせませんが、しかしよく見れば、さまざまな表現上の技が駆使されていることがわかります。

-…つづく

 

 

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谷口 江里也
(たにぐち・えりや)
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本や歌や建築、さらには自治体や企業のシンボリックプロジェクトなどの、広い意味での空間創造を仕事とする表現哲学詩人、ヴィジョンアーキテクト。
主な著作に『鏡の向こうのつづれ織り』『鳥たちの夜』『空間構想事始』『天才たちのスペイン』、主な建築作品に『東京銀座資生堂ビル』『ラゾーナ川崎プラザ』『レストランikra』などがある。
なお音楽作品として、シンガーソングライター音羽信の作品として、アルバム『わすれがたみ』『OTOWA SHIN 2』などがある。

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バックナンバー

第1回:ドレが描いた最初の絵
第2回:アリとキリギリス
第3回:才能と表現力の告知
第4回:自ら切り拓いた道
第5回:幻想の共有
第6回:ドレの肖像写真
第7回:私がみた最初のドレの絵
第8回:美しい悪魔
第9回:ペローの昔話
第10回:風刺画
第11回:ドン・キホーテ
第12回:ロマン主義
第13回:クロックミテーヌ伝説
第14回:神曲 煉獄篇、天国篇
第15回:ドレ的な表現 1 ライティング
第16回:ドレ的な表現 2 群 像

■更新予定日:隔週木曜日



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