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■ギュスターヴ・ドレとの対話 ~ 谷口 江里也

更新日2019/08/29

 

第18回: ドレ的な表現 4 墨色の効果


絵は一般的に、紙の上に鉛筆やペンで人物や景色などを描き込んで画像をつくりだします。しかし木口木版画の場合は、硬い木を彫った原版の掘り残した部分に墨を付け紙を乗せて刷ることで画像ができます。

どうしてこのような版画の技術が編み出されたかといえば、たとえば紙やカンバスの上に描かれたデッサンや油絵はみな一点ものですから、描かれた後でその絵を見ることができるのは、絵の所有者か、所有者から絵を見せられた限られた人だけです。しかし版画であれば、印刷さえすれば何枚でも同じ絵をつくることができますので、大勢の人がそれを見たり所有することができます。

銅版画や板目の版画の場合は原盤が柔らかいため、それほど多くの版画を刷ることはできませんが、木口木版のように硬い木を彫ってつくる版画の場合は、かなりたくさんの版画を刷ることができます。その分、刷った版画が人の目に触れる機会も多くなります。

そこにこそ、あなたが自分の表現方法に主に木口木版を選んだ理由があります。しかもあなたは優秀な彫り師を集めて自分のお抱えチームを編成しましたから、自分の描いた絵を、ハイクオリティで多くの人に見てもらうことができました。

一点ものの油絵は人気が出れば高く売れるかもしれませんが、しかし長い時間をかけて描いた絵を持てるのはたった一人です。今では多くの美術館があり展覧会も行われますから、美術館が購入したり展示したりすれば多くの人が見ることができますが、あなたの時代には、美術館や画廊は決して多くはありませんでした。画家のパブリックな登竜門はサロン・ド・パリくらいでした。

あなたの場合は油絵に関しても、あなたが描いた絵だけを展示し販売するドレ・ギャラリーがロンドンで開設されました。これは特定の画家の絵を展示し販売する世界で最初の個人ギャラリーでした。あなたはそれを少なくとも十九世紀が終わるまでは維持し続けると公言してもいました。ロンドンのメインストリートにあるギャラリーであれば多くの人が見ることができます。おそらくあなたは自分の絵を、できるだけ多くの人に見てもらいたかったのでしょう。ちなみにこのギャラリーがあった場所は現在はオークションで有名なサザビーズになっています。

 

人間には他者と想いを共有したいという願望があります。人間の文化はその願望の上に成り立っています。言葉や絵や音楽や踊りなどの幻想共有媒体(メディア)は、そのような願望を持つ人間の特性から生み出されてきました。本も版画も写真も映画も印刷もその賜物です。

とりわけ想像力が豊かだったあなたは、自分が見ている世界をできるだけ多くの人にも、あなたが見ている映像の豊かさに近いかたちで見てもらいたいという願望が人一倍強かったのかもしれません。

そのためにあなたはさまざまな表現技術にチャレンジしました。木版の特徴である墨の美しさを強調する技法もその一つです。例えばこんな絵があります。これは『失楽園』の中の、魔王(ルチフェル)が、地獄を脱出して地球に向かう途中に通り過ぎる闇の世界で、宇宙を生み出す素(もと)となる原子のようなものが、熱い冷たい、上下など、対立する要素たちが終わりのない戦い繰り広げている場面(シーン)です。その時空間を支配するのは『混沌』であり、勝負は『偶然』によって一時的に決しますが、そこからまた際限のない戦いが繰り返されます。

そんな場面をあなたは、版木を彫った部分、つまり刷った時に墨がつかない部分によって描きました。通常絵は白い紙の上に墨などの線で描きますが、あなたはそれの逆の方法、深い墨色の上に白で絵を描くような方法を開発したのでした。これは極めて美しい表現方法です。黒い画面から描かれた画像が浮かび上がってくるような印象があり、木版の特性を熟知したあなたならではの表現でした。


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これは確かに闇の世界での出来事を描くに最適の方法かもしれません。このような事を通常の描き方で実現するのは至難の技です。人物たちをかたちづくる細い白い線を残して他の部分を注意深く塗りつぶさなくてはならないからです。黒い紙に白い絵の具で描くことも不可能ではありませんが、どうしても下地の黒が影響しますから、この版画のように、細くシャープな真っ白い線が闇の中から浮かび上がるような効果はでません。

あなたはこの技法を、不思議な時空間での出来事を描く際にしばしば好んで用いました。次の絵は『新約聖書』の『ヨハネ黙示録』のなかのヨハネが見た幻影の、蒼ざめた馬にまたがった『死』が『冥界(よみ)』を従えて現れる場面です。


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彫り師は盟友ピサンです。躍動的なドレの絵を見事に版画化しています。画面の左下にドレのサインが、そして右下にはピサンのサインがあります。当時はこのように画家と彫り師の両方が画面にサインを入れる慣わしでした。画家だけではなく彫り師もまた重要な存在だったことの証でしょう。

 

もう一つ、同じ方法と通常の方法とをミックスさせた作品があります。『新約聖書』のなかの、イエスが十字架に架けられて死を迎える場面です。

それは真昼のことでしたが、急に空が掻き曇り大地が闇に包まれます。人々は恐れおののき、イエスの男の弟子たちを含めローマ兵士や見物人たちが我先にとその場から逃げ出します。イエスが架けられた十字架の下には、イエスの母のマリア、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母のマリアなど、イエスを信じて行動を共にしてきた女性たちだけが残るという重要な場面です。

闇の中でイエスは、十字架にすがって涙を流す女性たちに慰めの言葉をかけ、そして最後にダビデの詩篇、「神よ、どうして私を見捨てたのか」というフレーズを口ずさみます。そして残された女性たちは、そのあとを引き継いて「私は兄弟たちにその名を語り伝える、人集まればその名を讃える」というダビデの詩の続きを唱和します。それを聞いたイエスは「これで全てが成し遂げられた」とつぶやいて息を引き取ります。

『新約聖書』のなかで最もドラマティックな場面を、あなたが墨色と光を巧みに用いて描いたのがこの絵でした。クライマックスを表現することに長けた、あなたらしい作品です。


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-…つづく

 

 

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谷口 江里也
(たにぐち・えりや)
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本や歌や建築、さらには自治体や企業のシンボリックプロジェクトなどの、広い意味での空間創造を仕事とする表現哲学詩人、ヴィジョンアーキテクト。
主な著作に『鏡の向こうのつづれ織り』『鳥たちの夜』『空間構想事始』『天才たちのスペイン』、主な建築作品に『東京銀座資生堂ビル』『ラゾーナ川崎プラザ』『レストランikra』などがある。
なお音楽作品として、シンガーソングライター音羽信の作品として、アルバム『わすれがたみ』『OTOWA SHIN 2』などがある。

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バックナンバー

第1回:ドレが描いた最初の絵
第2回:アリとキリギリス
第3回:才能と表現力の告知
第4回:自ら切り拓いた道
第5回:幻想の共有
第6回:ドレの肖像写真
第7回:私がみた最初のドレの絵
第8回:美しい悪魔
第9回:ペローの昔話
第10回:風刺画
第11回:ドン・キホーテ
第12回:ロマン主義
第13回:クロックミテーヌ伝説
第14回:神曲 煉獄篇、天国篇
第15回:ドレ的な表現 1 ライティング
第16回:ドレ的な表現 2 群 像
第17回:ドレ的な表現 3 近景と遠景

■更新予定日:隔週木曜日



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