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■ギュスターヴ・ドレとの対話 ~ 谷口 江里也

更新日2019/09/26

 

第20回: ドレ的な表現 6 ハーフトーン


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この絵は『旧約聖書』の中でも最もよく知られた物語のひとつ、バベルの塔を描いたあなたの作品です。人間たちが集まって都市をつくり、天にまで届く塔を建設して人間の存在をあまねく知らしめようとしている場面です。この企てに対して神は怒り「同じ場所に寄り集まった多くの人間がみんな同じ一つの言葉を話すから、こんな身の程知らずの大それた悪巧みをするのだ」と、話す言葉を互いに通じなくさせてしまうという話です。

 

ここであなたは近景の人間たちをくっきり描き、雲やその向こうに聳(そび)えるバベルの塔を淡いハーフトーンで描いています。ハーフトーンは木口木版画の場合、彫り残す線の太さを微妙に変えることによって表現します。この技法は線の細さと線の密度によってさまざまな濃淡を表現することができますので、遠近感を出したり明るい空を描いたりするときに効果的です。

墨一色で刷られる木口木版画の画像は墨の濃淡によってつくられますから、この技法は版木が硬いからこそできる技法で、木口木版にとっては最も重要かつ基本的な表現方法です。

この表現技法をあなたは実に多くの作品で用いていますが、特に旧約聖書は舞台設定が壮大ですのでハーフトーンによる表現が適しています。例えばこのような作品があります。これはユダヤ民族の父であるアブラムが九十九歳の時に神の使者が現れて、アブラハムの妻である九十歳のサラから、来年になれば後継が生まれると告げられる場面です。

アブラムはノアから数えて十一代目、ノアは最初の人間アダムから数えて九代目ですから、旧約聖書によればアダムの直系の子孫だということになります。ちなみにイエスはアブラムから数えて五十代目の直系の子孫とされていますが、九十歳のサラが身籠もると告げられるこの場面は、処女のマリアからイエスが生まれることにつながる重要な伏線になっています。

なおアダムからノアまでに膨大な時間が流れているのにノアが九代目というのは、その頃は人間は長生きで、寿命が九百歳、八百歳という人が大勢いたからで、どうもそれは良くないと感じた神はその後、人間の寿命を百二十歳としたと旧約聖書には書かれています。

それはともかく、この重要な場面をあなたは、ひざまづくアブラム、三人の天使、はるか彼方の稜線(りょうせん)や空に至る空間の遠近を見事に表現しています。

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もう一つ、今度はハーフトーンによって淡く柔らかな画面を作り出している作品を見てみます。これはエジプトで虐げられていたユダヤの民をカナンに連れていく役割を担うことになるモーセにまつわるエピソードを描いた場面です。

 

モーゼが生まれたころエジプトではユダヤ人が大きな力を持つようになっていて、それを良く思っていなかったファラオは、新たに生まれたユダヤ人の赤ん坊を全員ナイル川に沈めて殺せという命令を出します。モーセの母は我が子を殺すに忍びず密かに三ヶ月間育てますが、やがて隠しきれなくなり、仕方なく赤児を籠に入れて、誰かが拾ってくれることに一縷の望みを託してナイル川の葦の茂みに浮かべます。たまたま通りかかったファラオの王女がそれを見つけ、モーセと名付けて育てることになりますが、この絵はそんなモーセが王女に命を救われる場面を描いたものです。

シンプルな背景のなかに、心優しい王女や女官たちの優雅な衣装や表情や日よけの羽根などが丁寧に描かれていて、絵全体にいかにも柔らかで繊細なトーンが漂っています。あなたは美しい女性の姿などを描く時に、好んでこの技法を用いましたが、微妙な線の太さの違いや、線の彫り方に工夫を凝らして、ここまでの細やかな淡い濃淡の階調を表現することは、当時の写真では、とうてい実現できないことでした。

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-…つづく

 

 

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谷口 江里也
(たにぐち・えりや)
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本や歌や建築、さらには自治体や企業のシンボリックプロジェクトなどの、広い意味での空間創造を仕事とする表現哲学詩人、ヴィジョンアーキテクト。
主な著作に『鏡の向こうのつづれ織り』『鳥たちの夜』『空間構想事始』『天才たちのスペイン』、主な建築作品に『東京銀座資生堂ビル』『ラゾーナ川崎プラザ』『レストランikra』などがある。
なお音楽作品として、シンガーソングライター音羽信の作品として、アルバム『わすれがたみ』『OTOWA SHIN 2』などがある。

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第2回:アリとキリギリス
第3回:才能と表現力の告知
第4回:自ら切り拓いた道
第5回:幻想の共有
第6回:ドレの肖像写真
第7回:私がみた最初のドレの絵
第8回:美しい悪魔
第9回:ペローの昔話
第10回:風刺画
第11回:ドン・キホーテ
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第15回:ドレ的な表現 1 ライティング
第16回:ドレ的な表現 2 群 像
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第18回:ドレ的な表現 4 墨色の効果
第19回:ドレ的な表現 5 ペン画のような版画表現

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