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■ギュスターヴ・ドレとの対話 ~ 谷口 江里也

更新日2019/10/10

 

第21回: ドレ的な表現 7 大空間


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あなたは通常の絵が収めるスケールを大きく超えた大空間を描くのが好きだったようです。この絵は『失楽園』のなかの、地獄を脱出した魔王ルチフェルが、神が宇宙の闇のなかに創ったという地球を偵察に行き、そこで目撃した地球のあまりの美しさに呆然としている場面です。

断崖の上から見渡すルチフェルの目に、遥か彼方にまで広がる緑の大地が見えます。夜明けの頃なのでしょう、今まさに太陽が上ろうとしています。

 

あなたは版画でも油絵でも、好んで雄大なランドスケープを描きました。山登りが好きで、マッターホルンの登頂に何度も挑戦したほどですから、山頂から眺めた時の自然の壮大さに魅了されたことが何度もあったのでしょう。このような絵にはそんなあなたの体験が活かされてもいるのでしょうが、それと同時にあなたの想像力(イマジネーション)が、あなたの内に描き出す空間そのものが、果てしなく大きくそして豊かだったのでしょう。

見た景色や人物をディテールを含めて、まるで写真で撮ったように正確に覚えていてそれを紙の上に再現できたと言われているあなたですから、あなたの内には膨大なイメージのストックがあり、それと天性の想像力とが合わさって、おそらく他人にはうかがい知れないほどの豊かな世界をきっとあなたは見ていたのでしょう。そしてその移ろう情景の断片をほかの人にも見えるように、版画や油絵として紙や画布の上に自らの手で定着させてイメージに永遠の命を与えることが、あなたの何よりの喜びだったのでしょう。

 

そう考えるとき、宇宙を舞台にした『失楽園』や、神と人間との壮大なドラマである『聖書』は、あなたの創造力の羽根を思いっきり伸ばせる格好のテーマだったように思えます。たとえばこの絵は、『旧約聖書』の『出エジプト記』のなかの有名な場面、エジプトで迫害された民をモーセが率いて脱出したあとを、ファラオの軍が追撃してきた絶体絶命のピンチに、モーセが海を割って民を渡らせ、民が渡り終わった後、ファラオの追撃隊を海が飲み込む場面です。遠くに渡りきった民の姿が見えます。まさにあなたに格好のテーマともいえますけれども、こんな大スペクタクルを正面から描くなどという大それたことをしたのはあなたと、そして二十世紀に入ってつくられたハリウッドの超大作映画くらいでしょう。


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この絵は、エジプトを脱出してから四十年もの長きにわたって民を率いてきたモーセがヨルダン川を渡る前に寿命が尽きて亡くなり、代わりに後継者に指名されたヨシュアが民を率い神に護られてヨルダン川を渡る場面です。


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たとえばモーゼが率いるユダヤの民が、そこがお前たちの土地だと神が言って与えてくれた約束の地カナンに、ヨルダン川を渡ってはいる場面ではあなたはこのような絵を描きました。

 

この時の民の数は、二十歳以上の戦闘能力のある者だけで六十万人以上だったそうですから、まさに民族大移動です。このとき神はヨシュアに奇跡を起こすと告げ、ヨシュアが神との契約を収めた箱を先頭に川に向かうと、たちまち川の水が引き、民が渡り終わるまで水はその流れを止めたと旧約聖書には記されています。

つまりこの場面は、モーセ率いるユダヤ民族の、いわゆるエクソダス(大脱出)のクライマックス、神から与えられた(とユダヤ人が信じる)永住の地カナンへ民が足を踏み入れたその瞬間です。地の果てまでをヤコブ・イスラエルの民が埋め尽くしています。
カナンに向かう百万人を超す数の人々。神の加護と奇跡。旧約聖書の最大のクライマックスの一つ。普通の画家なら描かなくてはいけない要素を聞いただけで腰が引けて、描く気になどなるはずもありません。それを平然と描いてしまうところがあなたの凄さ、あるいは自然体の不敵さです。

 

大空間を描いた絵にはこんな作品もあります。アーサー王の円卓の騎士の一人、森の騎士ゲライントが老いた領主に、もはや廃墟と化した城内を案内される場面です。かつては天に向かってそびえていたであろう塔はすでに崩れ落ちて、巨大な螺旋階段だけが遺されています。

あなたは好んでしばしばこのような廃墟を描きました。版画家のピラネージも廃墟のシリーズを描きましたが、廃墟には想像力を刺激する不思議な力がありますし、またあなたの故郷のアルザスを流れるライン川のほとりにはいくつもの古城があり、その多くは崩れ落ちています。そうした記憶も、あなたの廃墟好きに関係しているかもしれません。


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廃墟ばかりではなく、巨大な大聖堂のあるストラスブール出身のあなたは、どうやら壮大な建築にも関心が高かったようです。晩年には彫刻や教会のファサードのデザインに強い興味を持っていましたから、もし長生きしていれば、きっとなんらかの方法で建築空間創造に関わったでしょう。

ただ、あなたの描く建築は壮大すぎて、もしかしたら実際に建設するには至らないヴィジョナリー建築になったかもしれません。しかしそれでもあなたの空間構想力の豊かさは次のような絵を見れば明らかです。

 

これはユダヤ王国を建設したのち、退廃の一途をたどり神の怒りをかって各地にちりじりばらばらになってしまったユダヤの民が、ペルシャのキュロス王の許しを得て再び結集して総力をあげてエルサレムに建設した神殿です。描かれた神殿は極めて大きく、しかもあなたは神殿まかりではなく広場の向こうの街まで描いていて、これはもはや都市計画的なスケールです。

ちょうどあなたの時代に、ナポレオン三世の命を受けてセーヌ県知事の職にあったジョルジュ・オスマン(1809~1891)が、今日のパリの美観につながるパリの大改造を実行していますから、美しい建築空間創造は当時の最先端の華やかな仕事であり、そのような時代の風も、空間好きなあなたの心を大いに鼓舞したことでしょう。


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大空間ということでいえば、ほかにもこんな作品があります。これは『新約聖書』の『ヨハネの黙示録』のなかの、背徳の街バビロンが神の怒りをかつて一瞬のうちに崩れ落ちていく場面です。暗雲が立ち込めるなか、すでに崩れ落ちた瓦礫の向こうに、神殿のような、あるいは華美な城壁のような巨大な建築が、崩れ落ちるのを待っています。

ちなみに映画の父と呼ばれるD・W・グリフィス(1875~1948)は1916年に彼の代表作の一つである超大作映画『イントレランス』をつくっていて、この映画の同時進行する四つの不寛容をめぐる物語の一つが滅び行くバビロンの物語です。

グリフィスはその映画の撮影のために巨大なセット、というより高さが100メートル近くもある、壮麗な石造りの街並を建設しましたけれども、映画を見るとその街は明らかに、あなたの描いたこの絵などを参考にしてつくられています。つまりあなたの描いた街を実際に建設することが可能だったということです。

優れた観察眼を持つあなたの目は、重力に逆らって建つ石造りの巨大建築の構造的なありようを当たり前のように見知っていたのでしょう。だからこそ、この絵を見ても私たちの目はそれを不自然とは感じません。重力に逆らえば、あるいは柱や壁や梁のバランスが悪ければ建築は実際に大地の上に立ち続けることができませんから、そのような物理的な法則に合致していない建築物に対しては、たとえそれが絵のなかの建築であっても、私たちの目はそれに違和感を感じます。

建築空間を描いたあなたの絵が不自然に見えず、存在するはずもない空間であってもリアリティを感ずるのは、おそらくあなたの目と手の確かさの成せる技なのでしょう。あなたが映画監督から愛される理由の一つもまたそこにあるでしょう。


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-…つづく

 

 

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谷口 江里也
(たにぐち・えりや)
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本や歌や建築、さらには自治体や企業のシンボリックプロジェクトなどの、広い意味での空間創造を仕事とする表現哲学詩人、ヴィジョンアーキテクト。
主な著作に『鏡の向こうのつづれ織り』『鳥たちの夜』『空間構想事始』『天才たちのスペイン』、主な建築作品に『東京銀座資生堂ビル』『ラゾーナ川崎プラザ』『レストランikra』などがある。
なお音楽作品として、シンガーソングライター音羽信の作品として、アルバム『わすれがたみ』『OTOWA SHIN 2』などがある。

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バックナンバー

第1回:ドレが描いた最初の絵
第2回:アリとキリギリス
第3回:才能と表現力の告知
第4回:自ら切り拓いた道
第5回:幻想の共有
第6回:ドレの肖像写真
第7回:私がみた最初のドレの絵
第8回:美しい悪魔
第9回:ペローの昔話
第10回:風刺画
第11回:ドン・キホーテ
第12回:ロマン主義
第13回:クロックミテーヌ伝説
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第15回:ドレ的な表現 1 ライティング
第16回:ドレ的な表現 2 群 像
第17回:ドレ的な表現 3 近景と遠景
第18回:ドレ的な表現 4 墨色の効果
第19回:ドレ的な表現 5 ペン画のような版画表現
第20回:ドレ的な表現 6 ハーフトーン

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