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■ギュスターヴ・ドレとの対話 ~ 谷口 江里也

更新日2019/10/24

 

第22回: ロンドン


1868年に『神曲 煉獄篇 天国篇』を、さらにロンドンからテニスンの詩とのコラボレーション詩画集を出版したあたりから、あなたは以前にも増して繁忙を極めると同時に、大きな転機を迎えることにもなりました。

この年の二月にロッシーニは七十六歳の誕生日パーティを開きあなたも招かれましたが、ロッシーニは十一月に亡くなり、晩年の最も親しい友人であったあなたは死の床の彼の姿を描いています。

このころあなたはパリの社交界の恋多き女性、エミール・ゾラの『ナナ』のモデルと言われている舞台女優で、皇帝や皇帝の弟などとも浮名を流したコーラ・パールや、人気女優アリス・オジーなど、時代を代表する美女たちと恋仲になり、どちらもあなたとの結婚を望みさえしましたが、結局のところ結婚には至らず、あなたは独身のまま生涯を終えることになります。

これは常にあなたのそばにいた母親の存在が大きく影響していて、母親が彼女たちを好まなかったせいだと言われていますけれども、私にはあなたが突き詰めれば女性や家庭よりも仕事を優先したからのように思われます。

この時すでに三十五歳を過ぎていたあなたは、その歳になって妻も子供もいないことを友人に嘆いてはいますけれど、そのとき同時に、アトリエにあった絵を指差し、私の恋人はあそこにいる女性だと言ったそうですから、要するにあなたは自分が描く絵の中に常に理想の女性を追い求め続けていたのでしょう。美しいものを求め続ける人間は、しばしば現実から浮遊した時空間を生きがちだからです。

ギリシャ神話に登場するピグマリオンは、現実の女性ではなく自分が求める理想の女性へ想いを込めて彫刻を彫り、その彫刻に恋をしてしまい、ついには美の女神アフロディティが見るにみかねて、その彫刻の女性に命を与えますけれども、あなたの心の中にも、どこかそれと似たような究極の美への憧れと現実の女性への諦めとが同居していたのかもしれません。


仕事の依頼は引きも切らず、一方、ヴィクトル・ユゴー(1802~1885)やサラサーテ(1844~1908)やリスト(1811~1886)などの著名なアーティストや社交界との交流はますます華やかになり、グランドピアノやさまざまなな楽器が置かれたあなたのアトリエはパリで最も華やかなサロンと化していきました。

1869年には、ナポレオン三世の妻のウジェニー皇妃から、当時建設が完成したスエズ運河の開通式に一緒に参加しましょうと誘われましたけれども、あなたは多忙を理由にそれを断っているくらいです。もし参加していれば、運河を最初に渡る船団を率いたのはウジェニー皇妃が乗った船でしたから、あなたも世界で最初にスエズ運河を渡った人の一人になっていたでしょう。


その年には、ロンドンで最大規模のあなたの絵だけを扱うドレギャラリーが新たにボンドストリートにオープンし、上流階級との交流も盛んになっていましたが、突然、あなたの運命を大きく変える出来事が勃発します、フランスとプロイセン、後のドイツとの戦争です。

プロイセンを甘く見ていたのか、宣戦を布告して戦争に入ったフランスは、都市国家連合ともいうべきドイツの諸侯がこぞってプロイセンに加担し、たちまちフランス軍を打ち砕いて進軍しパリを占領下に置きます。その後プロイセン王は諸侯と共にドイツ帝国をつくりますが、あなたにとって深刻だったのは、この戦争によってパリが占領され、しかも故郷のアルザスがドイツ領になってしまったことでした。

1871年のこの敗北によって、あなたの友人のナポレオン三世は皇位を退き、不思議な文化的興隆を見た第二帝政という一つの時代も終わります。あなたは包囲下のパリを離れ、母親と共にベルサイユに逃れますが、パリと故郷を失ったあなたの悲しみは深く、華やかさを失ってしまったパリを見るに忍びないあなたは、拠点をロンドンに移しました。

この頃あなたは何点かの油絵の大作を描いていて、現在オルセー美術館に展示されている、敗軍の兵士の屍が累々と横たわる台地から、遥か彼方の炎上するパリを見つめるスフィンクスに傷を負った天使がすがりついている『エニグマ(謎)』という傑作もそのなかの一点です。


ロンドンではあなたは油絵を盛んに描いていますが、イギリスのジャーナリストであなたの絵に心酔していた友人、ブランチャード・ジェロルドが、あなたにロンドンの街と人々を描いて本にしないかと持ちかけたことから、それまで主に文学の時空間を視覚化してきたあなたは、国民国家という近代政治のモデルを作ったパリとならんで、産業革命を起こして産業化社会という近代国家と近代都市の稼働モデルをつくり、近代という時代を牽引する機関車の役割を担った当時のロンドン、人類史初の近代都市の繁栄と悲惨を先験的に体験していた都市の光と影を描くことになります。

それは結果的に、現代にもつながる近代国家と近代都市が抱える構造的な課題を直視した、他に類を見ない貴重なドキュメントとなりました。

その頃、奇しくもあなたと同じ年に亡くなることになるカール・マルクス(1818~1883)もヨーロッパ各地を転々とした末にロンドンに亡命していて、歴史的な書物である『資本論第一巻』を1867年に出版しています。

この本は日本では一般に『資本論』と呼び慣わされていますけれども、英語版のタイトルは『資本 政治的な経済に関する一つの批評』で、ロンドンの貧民街で困窮生活を送りながら、産業化と資本主義経済を近代の先頭に立って推し進めるロンドンに露呈した諸矛盾とその原因を解き明かそうとした考察です。

あなたもまた上流階級との交流がありながら、そして現在イギリスの国会やビッグベンがある場所にあったホテルのスイートルームを改造したアトリエに住みながら、わざわざみすぼらしい服を着てせっせとロンドンの街を、とりわけ労働者が働く現場や貧民街を探索して絵に表し、栄光と悲惨とが混在する当時のロンドンの実態の視覚的な証言者となりました。


ブランチャード・ジェロルドから勧められた時には、あなたはあまりこのプロジェクトに乗り気ではありませんでした。油絵を描くのに忙しかったということもあるでしょうけれども、それと同時に、全く新たな何かが起きている、繁栄と貧困が極端な形で混在するロンドンをどこから見るかという視点を定めるのが難しかったのではないかと思われます。ブランチャードによれば、あなたはある日、ロンドンブリッジの上から橋の下の、その頃ロンドンに大勢いたホームレスの少年を見ながらブランチャードに「あのあたりから始めようか」と言い、続けて、「聞くところによるとロンドンは醜い街みたいだね」と呟いたようです。


22-01

当時のロンドンは、おそらく世界中のどの都市よりも活気に溢れた街だったのでしょう。産業革命を起こしたイギリスの首都であり世界に向けて資本と商品をフル回転させていたロンドンには、仕事を求めていたるところから人が集まり、街はパンク状態にありました。

テムズ河の河畔に堤防を兼ねた優雅な遊歩道ができたり、世界中から集めた動物や植物や美術品を公開する動物園や植物園やミュージアムなどができる一方で、街の衛生状態は悪化の一途をたどり、ロンドンは巨大な下水網を張り巡らさざるを得ない状態に追い込まれました。下層労働者の労働環境は劣悪で、家を持たず、眠る場所さえ確保できない人々が街に溢れました。

その頃はまだ少年少女たちは最下層の働き手でしたから、わずかなお金で日々を食いつなぐ孤児たちが至るところにいました。あなたはそんな底辺の人たちに目を向けて彼らの姿を描きました。そしてもちろん当時のロンドンの活気や優雅な上流階級の暮らしや、庶民の楽しみや暮らしの様子などを含め、それこそロンドンという都市のあらゆる姿を180点の絵に描き遺しました。


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これは繁栄のさなかにあった当時のロンドンのメインストリート、ラドゲートヒルを描いた絵です。人やいろんなものを運ぶ馬車や荷車、どこから連れてきたのか沢山のヒツジの群れもいて大混雑です。ロンドンではこの頃から二階建てのバスならぬ馬車があったことがわかります。陸橋の上には汽車も走っていて、その向こうにはセントポール寺院も見えます。

近代以前の古くからの暮らしの名残をとどめる古きロンドンと、近代の産業化社会に突入した新たなロンドンとが混在し交差した時期を描いた絵です。古いものを残しつつ近代化を進めたロンドンでは、すでに建築が密集していて、近代の象徴である汽車が走る陸橋をやたらとつくることはできなかったため、地下を走る地下鉄が考案されました。

ロンドンには世界中からあらゆる物が運び込まれ運び出され、そして膨大な需要を賄うための食料が方々から調達されました。一度に多くの物資を運ぶには船が便利だったため、大きな都市は基本的に海か大きな河に隣接しています。パリにはセーヌ川が、そしてロンドンにはテムズ川があり、蒸気船によって世界中から運ばれてきた物資が陸揚げされ、そして運び出されていきました。

次の絵は、シティにあった物資をストックするための大きな倉庫で働く労働者の姿を描いたものです、貿易で栄える華やかなシティの繁栄を支える舞台裏です。多くの工場が家畜や人の力をはるかに超えたパワーで稼働していたとはいえ、この頃はまだ、何かにつけて多くの人手を必要としました。


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この絵はそれとは打って変わって、上流階級の御婦人たちが、緑の木々の下を馬に乗って朝駆けする優雅な様子を描いたもの。


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次の絵は、ロンドンのシティの市長公邸でのシャンデリアの下での舞踏会の様子を描いたものです。シティの市長は特別の地位で、国王といえどもシティに立ち入るには今でも、あらかじめ市長の許可を得なければならないことになっています。中央のネックレスをつけた男性が市長ですが、そんな特別な地位を持つ市長の主催するパーティに、普通の人が入れるわけもありません。当時のエドワード王太子(後の国王エドワード7世)やその妻である王太子妃があなたのアトリエやドレ・ギャラリーをしばしば訪れたり、ヴィクトリア女王がウインザー城にあなたの絵を飾るために購入しているほど、王家とも親しかったあなただからこそ描けた場面です。

大英帝国の絶頂期にあったその頃のロンドンでは世界中の富が上流階級や資本家に流入した一方、子どもを含めた最下層の人々の状況があまりにも悲惨なので、富豪たちが慈善活動を行うのが流行していて、あなたはしばしば市長が主催したチャリティパーティなどにメインゲストとして招かれ、そこで描いたデッサンを淑女たちにプレゼントして寄付金集めに協力したりもしました。


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しかしあなたは、たとえばこんな絵も描きました。


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当時ロンドンには、ロンドンに行きさえすれば仕事があるという噂の風に吹き寄せられて、街のキャパシティをはるかに超えて大量に人が集まってきていました。近代の特徴である大都市への極端な人口集中の始まりでした。

住む家は勿論、安宿に泊まる金もない人たちが冷たいロンドンの路上に溢れ、それを多少なりとも救済するため、というより凍死者をあまり出してはまずいということで、夜間避難所がいくつもつくられましたが、そこに入れてもらって夜を過ごせる人の数は限られていました。

絵には中に入ることができなかった多くの貧しい人々が、それでも降りしきる雨の中で待っています。手前の帽子をかぶった人、そして後ろ姿の破れたコートを着た人は裸足です。

あなたはこのような人たちから目を背けることができませんでした。『ロンドン巡礼』にはこのような人々が大勢登場します。犬たちを捨てる場所という意味を持つ『ハウンズディッチ』という路を描いた絵には、拾い集めてきたガラクタを道端で売る親子の姿が描かれています。絵の右上にさりげなく、HARROW ALLEY、苦しみの小路、という意味の文字が刻み込まれています。


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貧しさは窃盗などの犯罪と裏腹です。昨日も今日も食べるものがなく、そして明日も明後日(あさって)も何のあてもないとなれば、この冷たいロンドンの寒空の下、どうやって生きていけばいいのでしょう。当然、犯罪を犯して監獄に収監される人が溢れます。釈放されてもすぐに舞い戻る人が大勢いました。次の絵は、そうして捕まった人たちが監獄の中の狭い中庭でぐるぐると同じ場所を廻るだけの運動をさせられているようすを描いたものです。この絵はゴッホが模写してこのとおりの油絵を描いたことで後に有名になりました。


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当然のことながら、親を亡くしたり親から捨てられたりした子どもも多く、慈善家が建てた子どものための病院などもあるにはありましたが、それで何とかなるような状況ではありませんでした。

あなたがロンドンの現実を描いたこの画集の実質的な最後に載せた『路上で発見されて』と題された絵には、路上で瀕死の状態で発見されて孤児院に連れてこられた、たった一本の蝋燭の光に照らされた少年の姿が描かれています。


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あなたはほかにも当時のロンドンの人々の姿を描いたスケッチのような絵をたくさん描いています。煙突掃除人、路上の物売り、落ちぶれた紳士、路上の家族、ミルク売りの娘、橋の上で幼子を抱いた若い母親などの姿です。


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近代の産業資本主義社会の始まりの都市を描いたこの画集の最後にあなたは不思議な絵を一枚置きました。ほかの絵は当時のロンドンの現実をリアルに描いた、いわば視覚的なドキュメンタリーですが、最後の絵に描かれているのはロンドンの未来の姿です。『ニュージーランド人』と題されたこの絵には、ニュージーランドの先住民マオリ族の衣装を着た画家がロンドンを写生している姿が描かれています。当時マオリ族は、侵入者であるイギリスに抗して果敢な闘いを繰り広げていました。あなたはきっとこの未来のマオリ族の画家に、自分を投影させたのでしょう。

絵の中のロンドンはすでに廃墟と化し、セントポール大聖堂はバベルの塔のように崩れ落ちています。こんな社会が、いつまでも続くはずがないと、続いていいはずがないと、あなたは感じていたのかもしれません。


22-16


-…つづく

 

 

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谷口 江里也
(たにぐち・えりや)
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本や歌や建築、さらには自治体や企業のシンボリックプロジェクトなどの、広い意味での空間創造を仕事とする表現哲学詩人、ヴィジョンアーキテクト。
主な著作に『鏡の向こうのつづれ織り』『鳥たちの夜』『空間構想事始』『天才たちのスペイン』、主な建築作品に『東京銀座資生堂ビル』『ラゾーナ川崎プラザ』『レストランikra』などがある。
なお音楽作品として、シンガーソングライター音羽信の作品として、アルバム『わすれがたみ』『OTOWA SHIN 2』などがある。

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第1回:ドレが描いた最初の絵
第2回:アリとキリギリス
第3回:才能と表現力の告知
第4回:自ら切り拓いた道
第5回:幻想の共有
第6回:ドレの肖像写真
第7回:私がみた最初のドレの絵
第8回:美しい悪魔
第9回:ペローの昔話
第10回:風刺画
第11回:ドン・キホーテ
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第15回:ドレ的な表現 1 ライティング
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第19回:ドレ的な表現 5 ペン画のような版画表現
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