のらり 大好評連載中   
 

■ギュスターヴ・ドレとの対話 ~ 谷口 江里也

更新日2019/12/05

 

第25回: 老水夫行


25-01

1875年に発表した、サムエル・コールリッジ(1772~1834)の詩にあなたが挿絵を描いた『老水夫行』は、古典文学の世界を丸ごと視覚化するというあなたの壮大なプロジェクトの実質的なスタート宣言だった『さすらいのユダヤ人の伝説』と同じ全紙版の、ほとんど画集というべき特大サイズの詩画集でした。

『老水夫行』はコールリッジの代表作の一つで、桂冠詩人 ワーズワースとの共作でロマン主義の扉を開いたとされる『叙情歌謡集(Lyrical Ballads)』の巻頭詩で、かつては船乗りだった老人が経験した不思議な航海とその顛末を、結婚式に招かれた若者を道端で強引に呼び止めて語りかける形式の詩です。

物語は、航海の途中に船が南氷洋に流されてしまい、凍りつく船の上に現れた一羽の海鳥アルバトロス(アホウドリ)を追って進むことで、船はかろうじて南氷洋を脱出しますが、まだ若かった老人はその海鳥を弓矢で射殺してしまいます。船はなんとか赤道あたりまで辿り着きますが、海鳥の呪いによって灼熱の中、無風状態の凪が続き進退ならない状態に陥ります。

周りがすべて海という中で飲み水が底を尽き、船乗りたちは一人また一人と死んで行きます。やがて一艘の船が近づいてきますが、見れば乗員が死に絶えた幽霊船で、船上では幽霊と化した老婆がサイコロを振っているばかり。

その後、ただ一人生き残って海の上を漂い続けた老人の眼にある日、海の中の海蛇の姿が映ります。思わず美しいと思った老人が海蛇の美しさを称えると、その途端に呪いが解けて船は陸の方へと向かい、老人は生きて大地を踏みしめます。その老人はそれ以来、誰彼となくその話を語りかけ、命あるすべてのものを敬い慈しむよう説いて回るという話です。

そんな物語詩のなかの、私が好きな絵をいくつか見てみます。


25-02

 

25-03

 

25-04

 

25-06

 

25-07

この詩画集であなたは、これまで身につけてきたことの集大成と、さらなるチャレンジ、すなわち木口木版画による表現の極致をあらためて追求したように見えます。39点の作品はどれも極めて精緻で豊かな表現力に富んでいます。作品を見れば、細かな彫りを駆使した、雪が降りしきる凍てついた南氷洋の描写。極細の線による幻のような表現と手前の船のリアルな描写とを組み合わせた絶妙の表現。細かな線による遠近法で表されたまるで印象派を先駆けたターナーの絵のような描写。波のなかに無数の幻影が浮かび上がる、木口木版の太い線の力強さを生かした描写。細かな雨の線描と立ち込める霧がかたちづくる天使たちの幻。原作の幻想性を強く後押しするかのような自由で大胆な構図などなど。

どれをとっても大判の画面のなかにあなたの表現力の限りを尽くした入念な構成と熟練の表現技が惜しげも無く展開されています。まるで自分が出来得る限りのことを今しておかなければ、という声が聞こえてきそうなどこか思いつめたような熱意、あるいは決意のようなものがひしひしと伝わってきます。もしかしたらあなたは、自分にはもうそれほど多くの時間が残されてはいないかもしれないということを、天才ならではの直感力でどこかで感じていたのかもしれません。

とはいえあなたはまだ四十三歳。平均寿命が今よりも短かったとはいえ、普通ならさあこれからという歳です。実際あなたはその頃、社交界のメインゲストとしてさまざまな場所に招待され、ヴィクトル・ユゴーのような文豪や、やがて美しい時代『ベル・エポック』を代表する大女優となるサラ・ベルナールのような女性とも親しくつき合い、とりわけ、しばしば自宅を訪れていたサラとは結婚に至っても決して不思議ではない仲でした。

相変わらずドレギャラリーのための油絵の大作を好んで描き、あなたのアーサー王シリーズに魅了されたオルガンの名手で作曲家のシャルル=マリー・ウィドール(1844~1937)に、あなたの『エレイン』はオペラにすべきだと言われたときには「もし君が作曲してくれるなら私はすべての舞台美術と衣装をデザインしよう」と答えているくらいですし、1877年にはパリのサロンに初めての彫刻作品を出展していますから、あなたの表現意欲はますます盛んで、絵画以外のものにも積極的に取り掛かり始めていました。

1878年以降、あなたは盛んに彫刻を、しかも巨大な作品を創るようになりました。ただあなた専門の油絵のギャラリーの所在がロンドンだったことが示しているように、ロンドンでの評判とは逆に、あなたの油絵は相変わらず母国のパリでは評論家たちからあまり高く評価されませんでした。そのことはあなたの悩みの一つではあったでしょう。

ドイツ軍によるパリの包囲は1871年にはすでに解かれていましたが、あなたはしばしばイギリスを訪れています。『老水夫行』もロンドンで出版されました。交流関係の広いあなたの友人は上流階級を含めて増える一方でしたが、どちらかといえばあなたは社交界の付き合いよりも郊外への小旅行などの方が好きだったようですし、山や自然が好きだったあなたはスイスなどにも出かけています。

ただスイスでは途中でパスポートをなくし、仕方なくスケッチを描いてみせたところ、モントリューの市長が特別に通行許可証を発行してくれたというエピソードのおまけ付きです。あなたの名声の高さが伺い知れます。

しかし老いた母親はすでに長らく病床にあり、酷使し続けてきたあなたの心臓もまた、悲鳴をあげ始めていました。

-…つづく

 

 

back第26回:十字軍の歴史

このコラムの感想を書く

 


谷口 江里也
(たにぐち・えりや)
著者にメールを送る

本や歌や建築、さらには自治体や企業のシンボリックプロジェクトなどの、広い意味での空間創造を仕事とする表現哲学詩人、ヴィジョンアーキテクト。
主な著作に『鏡の向こうのつづれ織り』『鳥たちの夜』『空間構想事始』『天才たちのスペイン』、主な建築作品に『東京銀座資生堂ビル』『ラゾーナ川崎プラザ』『レストランikra』などがある。
なお音楽作品として、シンガーソングライター音羽信の作品として、アルバム『わすれがたみ』『OTOWA SHIN 2』などがある。

アローAmazon 谷口江里也 著作リスト

アロー未知谷 刊行物の検索 谷口江里也
アローElia's Web Site [E.C.S]


■連載完了コラム
『ひとつひとつの確かさ』~表現哲学詩人 谷口江里也の映像詩(→改題『いまここで  Here and Now』)
[全48回] *出版済み

現代語訳『枕草子』 ~清少納言の『枕草子』を表現哲学詩人谷口江里也が現代語に翻訳
[全17回]

現代語訳『方丈記』~鴨長明の『方丈記』を表現哲学詩人谷口江里也が現代語訳に翻訳[全18回]

現代語訳『風姿花伝』~世阿弥の『風姿花伝』を表現哲学詩人谷口江里也が現代語に翻訳[全63回]

岩の記憶、風の夢~my United Stars of Atlantis [全57回] *出版済み

もう一つの世界との対話~谷口江里也と海藤春樹のイメージトリップ[全24回]
*出版済み

鏡の向こうのつづれ織り~谷口江里也のとっておきのクリエイティヴ時空[全24回]
*出版済み

随想『奥の細道』という試み ~谷口江里也が芭蕉を表現哲学詩人の心で読み解くクリエイティヴ・トリップ[全48回]
*出版済み

バックナンバー

第1回:ドレが描いた最初の絵
第2回:アリとキリギリス
第3回:才能と表現力の告知
第4回:自ら切り拓いた道
第5回:幻想の共有
第6回:ドレの肖像写真
第7回:私がみた最初のドレの絵
第8回:美しい悪魔
第9回:ペローの昔話
第10回:風刺画
第11回:ドン・キホーテ
第12回:ロマン主義
第13回:クロックミテーヌ伝説
第14回:神曲 煉獄篇、天国篇
第15回:ドレ的な表現 1 ライティング
第16回:ドレ的な表現 2 群 像
第17回:ドレ的な表現 3 近景と遠景
第18回:ドレ的な表現 4 墨色の効果
第19回:ドレ的な表現 5 ペン画のような版画表現
第20回:ドレ的な表現 6 ハーフトーン
第21回:ドレ的な表現 7 大空間
第22回:ロンドン
第23回:スペイン
第24回:ラブレー全集

■更新予定日:隔週木曜日



  TOP-トップページ》 《コラム一覧 》 《のらりインタビュー》 《コラム・バックナンバー
……………………………………現在連載コラム……………………………………
新・汽車旅日記 】 【店主の分け前 】 【イビサ物語
 【亜米利加よもやま通信 】 【鏡花水月~私の心をつくっていることなど 】 【よりみち
………………………………掲載完了イチオシコラム………………………………
[拳銃家業 ] [貿易風の吹く島から ] [ くらり、スペイン ] [グレートプレーンズのそよ風 ]  
[フロンティア時代のアンチヒーローたち ] [ギュスターヴ・ドレとの対話]

    

このサイトに関するご意見・ご感想・お問い合わせはこちらまで。
Copyrights 2020 Norari