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■ギュスターヴ・ドレとの対話 ~ 谷口 江里也

更新日2019/03/14

 

第6回:ドレの肖像写真

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これは写真家のナダールが撮影したあなたの肖像写真です。写真の周りはあなたのスケッチで飾られています。写真というテクノロジーは、1826年にニエプスが紙に感光させた映像を定着させることに成功し、1838年にダゲールがダゲレオタイプと呼ばれることになる銀板写真を発明して以来、ヨーロッパで急激に進歩し、やがて世界中に広まっていきましたが、19世紀の半ば頃には、パリやロンドンなどに写真館が登場するまでに普及しました。フェリックス・ナダール(1820~1910)は、そんな写真家たちの中で最初にスターとなった人物の一人であり、16歳で知り合って以来の、あなたの親友でもありました。

写真の登場は、それまで視覚表現の王者だった絵画に強烈なインパクトを与えました。なにしろ画家が描く以上にそっくりな肖像画を、というより対象となる人物をそのままの姿で肖像写真にすることが可能になったからです。

それはまさしく革命でした。もはや下手な画家は勿論、そこそこ上手な画家程度では商売が成り立たず、多くの画家が写真家に職業替えをしました。必ずしもイヤイヤ写真家に転向したわけではないでしょう。なにしろ写真は最先端のテクノロジーであり、写真家は真新しい職業だったからです。人はいつだって新しいものが大好きです。

ナダールも写真家になる前は風刺画家でした。貧乏人の子であったとはいえ、もともとパワフルで才気煥発だったナダールは文章を書くこともできましたし、いろんなことに手を出しました。一時は有名な風刺新聞の『ル・シャリバリ』のお抱え風刺画家でもありました。

しかしナダールの名前は、1858年に気球に乗ってパリの街を上空から撮った世界で初めての航空写真によってたちまち知れ渡ることになりました。それは全く新たな視点からの画像でした。パリ中の人気者になったナダールは、それ以後、有名人たちの肖像写真を盛んに撮ることになります。そしてあなたもその有名人の一人でした。共に労働者階級の出身であったナダールとあなたはすぐに仲良くなり、何かと行動を共にするようにもなりました。

 

『神曲 地獄篇』で独自の世界を確立して広くその名を知られることになったあなたは矢継ぎ早に『ペローの昔話』『ドン・キホーテ』を制作し、仕事量と表現の幅をますます拡大していきました。またパリで最大と言われた版画生産工場とでもいうべきあなたのアトリエには、多くの友人たちが集い、パリで最も活気のあるサロンとなっていました。

描きかけの絵が乱立するアトリエには、音楽家や文化人などが集まっていましたが、中にはアトリエでフェンシングやボクシングをする連中もいました。ヴァイオリンの名手で運動能力も高かったあなたは、そんな中でヴァイオリンを弾いたりアクロバットをしたり、多くの友人たちと談笑したりしながらも、凄まじい勢いで次から次に下絵を描き上げていたそうですから、あなたのアトリエは、絵画工場とサーカスの舞台裏が一緒になったような様相を呈していたのかもしれません。

その頃のパリはサロンが盛んでした。中でもあなたと親しかった作曲家のロッシーニのサロンには、サン=サーンス、フランツ・リスト、シャルル・ルノー、サラサーテ、ヴェルディ、オッフェンバックなどの、今や歴史的な存在であるそうそうたる音楽家や、『三銃士』『モンテ・クリスト伯』で知られるデュマ・フィス(大デュマ)などの文豪などが常連として集まり、みんなでロッシーニの好きなイタリアのハムやチーズなどを持ち寄って大騒ぎをするなかに、あなたやナダールもいました。とりわけ大御所から見れば若くて活発で、自分で考案した衣装を着てアクロバットを披露したりなどするあなたは、さぞかしみんなから可愛がられたでしょう。

その頃のアーティストたちは社会的な地位が高いと同時に奔放で、ベルディなどはオペラ座での自分の作品が上演された後に、そのままオペラ座で仲間を集めてプライベート上演を行ったりしています。そんな舞台にナダールは赤ん坊の役で、そしてあなたはピエロの役で登場したりもしました。その頃のパリやロンドンは、いわば世界の富を集める輝ける都市でしたから、遊びや大騒ぎの度合いも尋常ではなかったのでしょう。

そんなことばかりして、いったいいつ仕事をしていたのかと思いますが、どうやらあなたは、昼間にサロン化したアトリエで、交遊の合間を縫って素早く絵を描く以外は、まだ友人たちがやって来ない午前中にみっちり仕事をして、それから夜中に帰ってきて、また真面目に仕事をしたようです。後にあなたは、労働者階級は3時間も寝れば十分だ、などと言っていたようですから、要するに寝る間も惜しんで遊び、そして仕事をしていたということでしょう。

 

あなたとナダールとのことでは、他にも面白い逸話があります。それは1850年代の後半から70年代の、あなたがパーティに明け暮れていた時代より少し後の1874年に、絵画史で有名ないわゆる『第一回目の印象派展』がナダールのアトリエで行われたことです。

そこに参加したモネ、ルノワール、ピサロ、ドガ、セザンヌ、シスレーなど、今では超がつくほど有名な画家たちは、当時は全くと言っていいほど知られてはいませんでした。作品をサロンに出品しても認めてはもらえず、多くは落選して展示すらしてもらえませんでした。今では歴史的な名作とされるマネの『草上の昼食』でさえ落選とされたのですから当時の状況は推して知るべしです。

あなたと親しかったナポレオン三世などが半ば酔狂で落選展を試みて話題を集めたりもしましたが、しかしそれ以外は彼らの絵の展示に場所を提供しようとする人は現れませんでした。そんな彼らの苦境を見るに見かねて、ナダールのスタジオを彼らに提供してはどうかと提案したのがあなたでした。

ナダールのスタジオは、パリで最大と言われたあなたのアトリエに匹敵するほど大きかったそうですから、落選組が大勢集まって展覧会を開くにはうってつけでした。あなたのアトリエには、そこら中にイーゼルに載せられた描きかけの絵が林立していたので、展覧会場には向かなかったのでしょう。ちなみにあなたも油絵をさかんにサロンに出品していて、古典的な手法のあなたの絵はいつも入選はしましたけれども、批評家たちの評判はあまり良くはなかったようです。

 

重要なのは、どうしてあなたやナダールが彼らに救いの手を差し伸べたのかということです、単に優しい気持ちの持ち主だったから、というような理由ではないはずです。あなたやナダールのような新しいタイプのアーティストが、彼らの才能や意図や作品の可能性に気付かなかったはずがありません。写真家のナダールを身近でよく知るあなたは、写真の時代における絵画とは何かということを、つまり視覚表現における写真と絵画の違いを明解に理解していたはずです。

なぜなら、結果的に見てあなたは基本的に写真には撮れない絵ばかりを描いたからです。ダンテによって言葉で描かれた地獄や天国は写真に撮りようがありません。聖書の世界もそうです。創世記の様子やモーゼの姿をどうして写真に写せるでしょう。ラ・フォンテーヌの寓話に登場する人間の言葉を話す動物たちもまた、私たちのイマジネーションの中に息づく役者たちです。つまりあなたは、写真が登場して脚光を浴び始めた時代のなかで、だからこそ写真に撮りようがない世界を自らの表現領域(フィールド)としました。

実は印象派の画家たちもそうでした。印象派の画家たちは、こぞって自然の中に飛び出して、王侯貴族でも神話でもない、自然の景色や人物を前にして、まさしくそれに対して自らが感じた印象を、必ずしも写実的ではない絵として描きました。そこで重要なのは、見えているものをそのとおりに描くということではなく、そこで自分が感じとった何かを、その印象に相応しい筆触(タッチ)で描くことでした。それは絵画表現史にとって、まさしく新たな一歩でした。そこから絵画は、個性的な表現を求め、それぞれが個有の旗印を掲げてあらゆる方向に向けて疾走し始め、独創性(オリジナリティ)が次第に重視されるようになりました。

それと同時に世界を見る方法もまた19世紀において多様化しました。多くの主義主張や思想が生まれ、それを擁護する人、批判する人が盛んに論戦をはり、19世紀から20世紀の半ば過ぎまでの、いわばオリジナリティと批評の時代が始まりました。

そのようななかで、どちらかと言えば古典的な表現方法で主に古典文学を題材としたあなたは、ロッシーニやデュマやサラ・ベルナールなどのアーティストたちからは高く評価されましたが、批評家たちからはしばしば過去に属する画家とみなされました。特に、あなたの存在が広く知られていたヨーロッパとは異なる日本では、印象派以降の動向が絵画評価のメインテーマとされた中で批評家たちから無視されるという特殊な事情があったため、あなたの存在も視覚表現史における重要性も、あなたが持っていた時代を超えた先進性も、ほとんど知られることはありませんでした。

しかしあなたは、画家としては印象派の画家たちと同じように、写真に写すことが不可能な領域を題材にしながらも、彼らとは全く違う道を歩みました。もともと物語の世界が好きで、言語によって描かれたイマージナティヴな時空間、すなわち幻想的な時空間に魅せられていたあなたにとって重要なのは、それを視覚化すること、つまりあなたの想いはそのような時空間を多くの人々に視覚的に感じさせることであって、基本的に一点物である絵画を描くことではありませんでした。そこにあくまでも画家を目指した印象派の画家たちとあなたとの大きな違いがありました。

あなたが描いた大量の挿絵にとって重要なのは、個々の絵ではなく、それらが全体として描き出すであろう物語的な時空間でした。つまり『神曲』であれ『聖書』であれ『失楽園』であれ、そのために描かれ版画化された画の一つひとつは、あなたが文学から感じ取った豊かで幻想的な時空間を垣間見せる窓、すなわち場面(シーン)にすぎませんでした。

版画という幻想共有媒体(メディア)によって、あなたが観ている物語的な時空間を、出来るだけ多くの人々に見せること、あるいは共有すること、それこそがあなたの夢でした。そのためにあなたは木口木版画の細い線と技術を巧みに駆使して、空の雲や立ち込める霧などを、繊細なハーフトーンによって描き、露光時間が長かったその頃の写真にはほとんど不可能だった効果さえも実現しました。

そこにあなたの先進性、あるいは健やかな自信に満ちた野望がありました。幻想空間を実感してもらうためには、あたかもそれが実在するかのようにリアルに描かなければなりません。ですからあなたは、すでに名声を得ていた風刺画という、対象の特徴を増幅させて一瞬の面白みを引き出す仕事から離脱し、ありとあらゆる古典文学の時空間をリアルに視覚化するという壮大なチャレンジを展開する旅に出たのでした。

そこでは風刺画家や印象派以降の画家たちが目指した個性的な表現や技法は必要のないこと、というよりむしろ邪魔でした。重要なことは、古典文学が描き出した幻想的時空間の豊かさを損なうことなく、それにダイナミックな躍動感や生命力やリアリティを付与することでした。

そうしてあなたはその後の絵画表現史におけるオリジナリティ競争や、主義主張や思想や批評が大手を振るった近代という時代を軽やかに、当たり前のように飛び超えて、映画や現代のCG映像が追求するような幻想的な時空間の視覚化、すなわち人間にとって最も豊かな時空間であり文化的な成果でもある『もう一つの世界』を、つまり優れた古典文学の世界を社会の中に映像的に実在させることに熱中したのでした。そしてあなたの存在が再び脚光をあびることになるのは、あなたの壮大な空間演出力に着目した、今日の映画の始祖とも言われるD・W・グリフィスや、あなたのキャラクター創造力に魅了されたジョージ・ルーカスなどの映画監督、あるいはピンク・フロイドのような音楽を触覚的な時空間表現芸術と捉えるアーティストの登場を待たなくてはなりませんでした。

若くして成功していたあなたはハッキリ言って、通常の画家のように、ましてや売れないばかりか展示する場所さえ事欠くような印象派の画家たちのように、一つひとつの絵を売ることそれ自体にはそれほど興味がなかったように見えます。というより、それほど懸命に売ろうとする必要がなかったのかもしれません。あなたは油絵も描いていますし、ロンドンには描いた油絵を売るための世界で初めての個人作品展示画廊『ドレギャラリー』もありましたが、あなたが描いた油絵は、風景であれなんであれ、とてつもなく大きなものが多く、それは版画や写真では決して実現できない、スケールの大きさがもたらす効果を狙ったものでした。そしてそれはまさしく後の映画やシネマスコープが追い求めたものでもあったでしょう。

売買されるものとしての絵画ということでいえば、ちなみにモネの絵は1868年に油絵一点が80フランで売れ、マネは1871年に22点の油絵を3,500フランで売っていますが、いかに巨大であったとはいえあなたの油絵は、例えばドレギャラリーで一点100,000フラン、150,000フランという価格で売買され、イギリス王家がウインザー城に飾るために購入したりもしていますから、美術批評家たちの評価はともかく、あなたの人気が当時、とりわけロンドンでは極めて高かったことが伺い知れます。

ただあなた自身は、どうやらそのような油絵を、ほとんどコストや手間を度外視して描いていて、例えば現在ストラスブールの美術館に展示されている6×9メートルの『法廷を出るキリスト』の絵などは、制作の途中段階で、絵の具やモデルの費用だけで50,000フランも費やしていて、コストだけでそんなにかかってしまってはいざ売ろうと思っても高価すぎて売れないのではないかと周囲が心配しても、まったく気にかけなかったそうですから、あなたの場合、大切なのは自分が観ている情景を他者にも見えるようなものにすることだけだったのでしょう。

ただ、このキリストの絵や、現在オルセー美術館に展示されている、戦火に燃え上がるパリの街を見つめるスフィンクスを描いた『エニグマ(謎)』という絵にしても、あなたの油絵はどこか、まるで大作映画の一場面を観ているような感覚にとらわれます。つまり大切なのは、その向こうにある物語性なのではないかと、あなたの絵に描かれているのは、あなたが観ていたであろう壮大な物語的な幻想的時空間のワンシーンに過ぎず、私たちはその時空間を垣間見ているかのようにどうしても感じてしまうのです。

画家というのは基本的に、一点の独立した作品のなかに、そこでやろうとしたことのすべてを描き込もうとします。だからこそ絵画なのですが、その意味ではあなたは通常の画家の範疇を逸脱してしまった、あるいは枠からはみ出てしまった時空間表現者だったということなのかもしれません。



-…つづく

 

 

 

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谷口 江里也
(たにぐち・えりや)
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本や歌や建築、さらには自治体や企業のシンボリックプロジェクトなどの、広い意味での空間創造を仕事とする表現哲学詩人、ヴィジョンアーキテクト。
主な著作に『鏡の向こうのつづれ織り』『鳥たちの夜』『空間構想事始』『天才たちのスペイン』、主な建築作品に『東京銀座資生堂ビル』『ラゾーナ川崎プラザ』『レストランikra』などがある。
なお音楽作品として、シンガーソングライター音羽信の作品として、アルバム『わすれがたみ』『OTOWA SHIN 2』などがある。

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第2回:アリとキリギリス
第3回:才能と表現力の告知
第4回:自ら切り拓いた道
第5回:幻想の共有

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