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■ギュスターヴ・ドレとの対話 ~ 谷口 江里也

更新日2019/05/23

 

第11回:ドン・キホーテ

 

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これは『ドン・キホーテ』の巻頭を飾った作品です。あなたの夢を満載した野心作『神曲 地獄篇』の大成功に気を良くしたあなたは、翌年1862年、新たなアトリエを開設し、さらなる大作に挑みます。歴史的に見て『聖書』に次いで発行部数が多いといわれている『ドン・キホーテ』です。

同じ年にあなたは『ぺローの昔話』を発表していますが、それと並行して『ドン・キホーテ』の構想を練り、スペインに詳しいダビジェール男爵とともにスペインを旅しました。スペインへは1855年にも、テオフィール・ゴーティエ(1811~1872)と共に旅をしていて、どうやらあなたは絵画的(ピトレスク)な要素に富んだスペインが気に入っていたようです。

翌年、重ねて三ヶ月もの間スペインを旅して膨大なスケッチを描いたあなたは、『ドン・キホーテ』では実に大胆な試みをしています。

それは397点もの挿絵を版画化するにあたって、その版刻の全てを、ドレのアトリエの中でも最も信頼する優れた彫り師、盟友ピサンに託したことです。最初そのことを告げられ、しかもその仕事を一年でやる約束を出版社としたということを知らされたピサンは、そんなことをしたら俺もお前も死んでしまうぞ、と言ったということですが、確かに、この絵を見ればわかるように極めて精緻な絵を満載した『ドン・キホーテ』をたった一年で制作するというのは、まさしく狂気の沙汰です。

まるで幻想と現実との見境をすっかり無くしてしまったドン・キホーテの狂気が乗り移ってしまったかのようです。

 

『神曲』の次の作品に『昔話』と『ドン・キホーテ』を選んだことに、私はあなたの優れた戦略性と持って生まれた自負、あるいは自信、もしくは野望を感じます。おそらくあなたは、あまりにも評判になった『神曲』によって、ドレという画家のイメージが固定化されてしまうのを避けたかったのでしょう。

何しろあなたの野心は、名を売ることなどにあるのではなく、あくまでも、あらゆる古典を視覚化すること、自らのヴィジョンを実現することでした。表現スタイルが同じでは、それぞれ異なる意味や時空間性を持つ古典文学に、それにふさわしい魅力を与えることが出来ないからです。

またあなたは『ドン・キホーテ』において、木口木版という表現メディアの可能性をとことん追求してみようと考えたようです。ピサン一人に版刻を任せたのもそのためでしょう。たとえばあなたは、ドン・キホーテがいざ遍歴の旅に出かける場面にこのような絵を描いています。

 

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鎧兜を身につけ、何もない荒野を前に向かって進むドン・キホーテの頭上、白く光る地平線の上の空を怪しげな雲が覆っていますが、細い線の太さを使い分ける見事なハーフトーンの技術によって描き出された暗雲の中には、よく見れば、この世に害をなす悪者たちや巨人や、それらと闘うドン・キホーテの姿などが浮き彫りになっています。

こんな表現は、たとえあなたが詳細な下絵を描いたとしても、それを版画に翻訳する名人の技がなければ成し得ません。よくもまあこんな面倒なことをしたものです。これはコンピューターのソフトによってではなく、あくまでも絵を描いたあなたと、それを彫ったピサンが、一筆ひとふで一彫りひとほり、自らの手で実現したものです。

こんなことは写真には到底できません。また色のある油絵を用いたのでは、印象が生々しくなり過ぎてしまいます。あなたは白黒で表現する木口木版の特徴とメリットを熟知していましたし、ピサンもそうだったでしょう。そこには仕事上の盟友であるばかりではなく親友でもあったピサンとあなたとの間での、表現とその効果に関する対話が存在していたでしょう。

冥界を旅する深遠で壮大な一貫性を持つドラマである『神曲』とは異なり、旅は旅でも、周りから正気を失ってしまったと思われているドン・キホーテの冒険の舞台は、あくまでもスペインの、ラマンチャ地方のどこにでもあるような場所で、登場人物も従者のサンチョを含めてほとんどは、ごくごく普通のスペイン人です。

どこから見ても誰が見ても奇妙なのは、自らを弱きを助け強きをくじく遍歴の騎士と思い込み、眼に映るもの起きることのすべてが騎士物語の世界のことと勘違いしてしまったドン・キホーテその人です。ですから誰が見てもただの風車が巨人に見えるのですし、旅籠の女がお姫様に見えたりもします。そこではドン・キホーテの存在を介して、どんなことだって起きます。つまりこの物語の中では、現実と幻想とが境目なく混在している必要があります。

これはセルバンテスの時代のバロック的な美意識を強く反映しています。つまり人間は、寝て起きて食べて日々を暮らすリアルな存在であると同時に、そのような確かさとは別の、夢や幻想に対しても強いリアリティを抱く不思議な存在だということです。

そしてこのことは実は、あなた自身にもあてはまることでした。現実的な成功を手にしてはいても、あなたの関心は常に幻想的時空間とそれを描くことにあったからです。

あなたが『ドン・キホーテ』に全力投球した理由がわかるような気がします。晩年あなたは、セルバンテスと同じ時代を生きたシェークスピア劇を描こうとし、それに着手してもいましたけれども、現実の世界を生きる人間にとっての幻想の確かさや魅力というテーマは、あなた自身のテーマでもあったでしょう。

 

そしてあなたは、極端な夢想家でありながら時々妙に現実的でもあるドン・キホーテと、極めて現実的でありながら、主人の冒険で手柄を立てて一国一城の主になるというような誇大妄想的なことだけはなぜか素直に信じる純朴な夢想家という絶妙のコンビが織りなす奇想天外な物語を見事に視覚化しました。

そこでは幻想を描くと同時に、それに取り憑かれた主人公に確かさを付与するために、彼らを逆にとことんをリアルに描かなくてはなりません。そうしないと話が嘘くさくなってしまうからです。この点に関してセルバンテスは見事な表現をしましたけれども、あなたもまたそれに負けず劣らずの、眼を見張らずにはいられないような素晴らしい表現をしています。例えばサンチョが愛するロバをかき抱く場面を、あなたはこんな風に描いています。

 

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サンチョの手や服のシワやロバの毛はもちろん、藁や涙に至るまで、ここではあなたは実にリアルに、そして物語にふさわしく、やや誇張も加えて描いています。そしてこれが木版画だということが二重の驚きです。ごく自然に見えますけれども、これはセルバンテスとあなたとピサンという、三人の天才の表現力と技と情熱の賜物です。

この天才たちの時空を越えたコラボレーションもまた大評判になりました。

あなたと親しかった当代一の美人女流作家ジョルジュ・サンドが、「まる二晩、ドン・キホーテの絵を見て楽しく過ごしました。どの絵も私の心に焼き付いています。傑作です」と、わざわざあなたに手紙を書いて褒め称えたくらいです。

 

ともあれあなたは、1861年に大評判になった『神曲 地獄篇』の後、同じフォリオ版の大型豪華本として翌年には『ペローの昔話』を、その翌年に『ドン・キホーテ』と矢継ぎ早に作品を発表し、そこで対象に寄り添うようにして絶妙に作風を変えてみせました。

当時のファンは、ドレは今度はどんな物語に、どんな絵を描くのだろうかと、ちょうどロックムーヴメントの初期に私たちがビートルズやディランの新しいアルバムを心待ちにしていたように、あなたの動向を見守っていたに違いありません。


-…つづく

 

 

 

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谷口 江里也
(たにぐち・えりや)
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本や歌や建築、さらには自治体や企業のシンボリックプロジェクトなどの、広い意味での空間創造を仕事とする表現哲学詩人、ヴィジョンアーキテクト。
主な著作に『鏡の向こうのつづれ織り』『鳥たちの夜』『空間構想事始』『天才たちのスペイン』、主な建築作品に『東京銀座資生堂ビル』『ラゾーナ川崎プラザ』『レストランikra』などがある。
なお音楽作品として、シンガーソングライター音羽信の作品として、アルバム『わすれがたみ』『OTOWA SHIN 2』などがある。

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バックナンバー

第1回:ドレが描いた最初の絵
第2回:アリとキリギリス
第3回:才能と表現力の告知
第4回:自ら切り拓いた道
第5回:幻想の共有
第6回:ドレの肖像写真
第7回:私がみた最初のドレの絵
第8回:美しい悪魔
第9回:ペローの昔話
第10回:風刺画


■更新予定日:隔週木曜日



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