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■ギュスターヴ・ドレとの対話 ~ 谷口 江里也

更新日2020/02/06

 

第28回: 大鴉(おおがらす) 【最終回】

 

『狂乱のオルランド』を発表した1879年、あなたは二度目のレジョン・ド・ヌール勲章を受章しましたが、体調を崩し、医者の診断では心臓病を患っているとのことでした。明らかに仕事のし過ぎでした。あなたの母も病床にあり、自分自身の発作の心配をしながら、それでも母のベッドのそばであなたは毎晩ランプの灯りで絵を描きました。椅子に体をあずけた母親の姿を等身大の水彩画に描いてもいます。

そのころ盛んに彫刻をつくっていたあなたは、前年には高さが三メートル以上もある巨大なブロンズの彫刻をサロンに出品し、それはサンフランシスコにまで運ばれて展示されました。

1879年には、いずれブロンズにするつもりだったのでしょう、高さが十五メートル、横幅が二十四メートルもある『オルフェウスの死』と題した石膏のレリーフを制作しています。創る作品がどんどん大きくモニュメンタルになっていたことを考えると、いずれ壁画や建築空間を創るようになっていたでしょう。現に多くの彫像を配した教会のファサードを構想してもいました。

しかし1881年3月16日、いつもいつもあなたのそばにいた母親が息を引き取りました。悲しみの闇の中にたった一人で取り残されたような状態に陥ったあなたは、弱った心臓のせいで体がむくみはじめていたにも関わらず、哀しみを紛らわせようとしたのか、昼夜を問わずさらに激しく仕事をしました。

創作意欲そのものは全く衰えを見せず、『ロンドン巡礼』をプロデュースした友人のジェロルド・ブランチャードによれば、僕にふさわしい女性と結婚をしようと思っているなどと言い、さらには新しいアトリエを建てようと思うんだと話したとのことです。そして『三銃士』で有名な友人のアレクサンドル・デュマ・ペレの、ダルタニアンやデュマの本を読む人々をあしらった、現在パリのマルゼルブ広場にある巨大なモニュメントをさかんにタバコをふかしながら制作しさえしました。


そして1883年1月20日、6日に五十一歳になったばかりのあなたは突然、自宅で脳卒中で倒れました。その時「もうアトリエには行けないかもしれない、もしかしたら働き過ぎたのかもしれない」と呟いたとのことです。翌日あなたは回復したように見えましたが、すぐにベッドから起き上がろうとし、描きかけのシャークスピアの絵のことばかり気にしていたようです。

21日、そしてその次の日もベッドのそばにいて見守るピサンの手をとり彼の目を優しく見つめたあなたのようすを見て、どうやら大丈夫そうだと思ったピサンが夜の11時半にあなたの家を離れてから一時間ほどが過ぎた23日の深夜、あなたは亡くなりました。翌朝リビングに倒れていたあなたを発見したのもピサンでした。顔は穏やかで、優しく微笑を浮かべてまるで少年のようだったそうです。同志ピサンはベッドに寝かされたあなたの眠る姿をスケッチし、駆けつけた旧友ナダールがあなたの姿を写真に収めました。


この絵は、あなたが倒れる前日に描いた二枚の絵のうちの一枚です。これが何を描いたものなのかはわかっていません。


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葬儀は25日に行われ、あなたが母親のお墓の隣に埋葬される時、デュマ・ペレの息子のアレクサンドル・デュマ・フィスがあなたのあらゆる活動を称える長い弔辞を、愛惜と感謝の念を込めて詠みました。それはこんな言葉で始められました。


「彼が三銃士の作者の彫刻を、六ヶ月もの時と労力と才能をかけ、命をすり減らして創ったことが、彼の死と関係がないなんて誰が言えるだろう。彼の兄からどうか弔辞をと言われたけれど、私に一体何が言えるだろう。私に言えるのはただ、私はあのブロンズの彫刻が大好きだということだけです」


あなたの死後、すでに描き上がっていた絵をもとに詩画集『大鴉(おおがらす)』が、あなたの名声がアメリカで急激に高まっていたこともあってニューヨークの出版社から発表されました。エドガー・アラン・ポー(1809~1849)が死の四年前に書いた高度に音楽的な詩をあなたが視覚化したもので、二十四点の木口木版画が収められています。

あなたが自らの存在を高らかに世にアピールした『さすらいのユダヤ人の伝説』、木口木版画表現の可能性の限りを展開した『老水夫行』と同じ、全紙版の特大サイズでした。それを見ると、あなたはなんと、さらに前に進もうとしていたことが、小口木版画のさらなる表現の可能性を追求していたことがわかります。そして同時に、あなたがどうやら自らの死を覚悟していたことも……。

 

ポーの『大鴉』は、若き恋人レノアを喪い、恋人への想いをたどる主人公の部屋に大鴉が入り込み、夢とも幻とも現実ともつかない奇妙な時空間のなかで、大鴉が人間の言葉でひとこと「Nevermore(もう二度と)」と呟き、それを繰り返された主人公の精神が次第に錯乱していく物語詩です。


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これは物語の冒頭、死んだ恋人への想いを紛らわせるために本を読んでいた主人公がいつの間にか眠りに落ちた場面を描いた絵です。これまでのあなたの版画と明らかに線のタッチが違います。

まるで先をとことん尖らせた、しかし決して硬すぎはしない極細の鉛筆で丁寧に描いたかのようです。そして信じられないことに、これはその絵を彫った木口木版画です。超絶技巧とはこのことです。

おそらくあなたの愛した小口木版画において、それ以上のことはもう二度と、誰にもできないレベルの表現を遺そうとしたからこそ、そしてあなたの死を悼む彫師たちがその意を汲んで魂を込めて彫ったからこそ、こんな作品ができたのでしょう。


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これはとり残された自分の存在をもてあましている主人公の朦朧(もうろう)とした意識のなかを、死んだ恋人のことなどが、燃える暖炉の火のようにゆらゆらと見えては消え、消えては見える奇妙な状態を描いた場面です。

ポーの詩の中に具体的に死神の描写があるわけではありません。つまりあなたは詩がつくりだしている不気味な気配、あるいは亡くなってしまった美しいレノアへの追慕と喪失感とが交錯する、ロマンティックともペシミスティックともストイックともマゾヒスティックとも言えるような雰囲気を持つ詩の中に漂う不思議な感覚を、自分が得意とする死神のモチーフや淡く描かれたレノアや天使たちを用いて絵にしていることになります。

レノアや天使たちの姿に比して、死神の姿が濃く主人公の影と重なり合ってくっきりと浮かび上がっています。


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これは自分のいる場所を離れて、もう手の届かないところへと旅立っていってしまった美しい恋人レノアを描いた絵です。このようなシーンも原詩にはありませんが、遠く天へと消えていく線の細さ柔らかさが尋常ではなく絶妙なトーンを創り出しています。


物語詩は、夜を持て余してまどろんでいる主人公の耳に、コンコンとドアをノックするかのような音が聞こえるところから始まります。こんな夜中に誰がと、主人公は不安になります。やがて部屋のカーテンが揺れ、衣擦れの音が聞こえるような気もして、主人公は次第に怖くなります。

最初は空耳かと思いますが、そんな音をたびたび耳にするうちに、虚ろな心の何処かで、もしかしたらと感じた主人公は思い切ってドアを開け放ちます。しかしドアの向こうにあったのは、真っ暗な真夜中の闇でした。それでも主人公は闇に向かって小さく、レノア、レノアだね、と呼びかけます。しかし返ってきたのは闇に向かって放たれた自分の声の、微かな木霊だけ……

さらに今度は窓の雨戸をコンコンと、前よりもはっきりと叩く音がして、不気味さがどんどん高まっていきます。そして主人公が思い切って窓を大きく開け放った時、一羽の大鴉がバサバサと音を立てて入ってきて、ドアの上の女神の飾り彫刻の上に止まります。

そしてこの不気味な大鴉が、なぜか人間の言葉で一言だけ「Nevermore(もう二度と)」と呟きます。

ポーの『大鴉』は六行の詩節が十八回繰り返される形式の詩ですが、後半は、怯えた主人公が大鴉に向かって発する言葉や巡らす想いを表す言葉が五行続いた後、最後の一行が必ず「Nevermore」という謎めいたフレーズで締められていて、それが何度も音楽のようにリフレインされ、そのことが不気味さを次第に高めて主人公を追い詰めていきます。


『大鴉』はしっかりとした音楽的な構造のなかで物語的かつ具象的に語られていますけれども、詩を言葉によってなしうる最高の芸術と考えていたポーは、一つひとつの言葉や全体に限定的な意味を持たせることを綿密に避けていて、『大鴉』を読むものは、そこから意味や筋を理解するというのではなく、読み進むにつれて次第に、音楽を心身で体感するように、その不思議なトーンに包み込まれていきます。

この画集では、おそらくそれに敬意を表して本の最初に詩の全文が載せられ、そのあとにまとめてあなたの絵をストーリーの展開に合わせて載せるという構成になっています。その最後の方に次のような絵があります。レノアを連れ去ってしまう死神と、おそらくこの詩の舞台である家が遠くに描かれている絵ですが、このシーンも詩のなかにはありません。

詩のなかに何度も登場する「Ravan(大鴉)」という言葉と、大鴉が呟く「Nevermore」という言葉は、どちらも絵にしにくい言葉です。

言葉は読む人の心の中にイメージや意味を喚起するメディアですから、「Ravan」という言葉は具体的な動物を表わしますけれども、その言葉を読んだり聞いたりしても、その実態と私たちの間には距離があります。しかし絵でそれをリアルに描いてしまうと、私たちはその姿に引き寄せられてしまって、詩の中の「Ravan」という言葉がまとっている超現実的な不気味さが死んでしまいかねません。

また「Nevermore」という言葉も視覚化し難い抽象的な言葉ですので、それを無理に絵すると言葉の含みや謎が消えて陳腐になってしまいます。そこであなたがとった方法は、大鴉をできるだけ曖昧に描き、その代わりに死神に大鴉の代役をさせ、絵の存在感とポーの詩とを共鳴させ合うことでした。


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つまりあなたは最初からそうであったように、単なる挿絵画家でも平面芸術にこだわる一般的な画家でもなく、言葉で描かれた時空間と絵という異なるメディアによる視覚的な時空間とをミックスさせることによる相乗効果を自らが演出し、それを楽しむ時空間表現者でした。

このことは、おそらく文学や絵や音楽や建築などのジャンルや専門性や細部の差異などにこだわる後の評論家たちの理解を超えたことだったのでしょう。生前あんなにも人気があったにも関わらず、またヨーロッパであまりにも有名だったということも災いしたのか、あなたの再評価の動きは二十一世紀に入るまでほとんど見られませんでした。あなたの存在そのものがほとんど知られていなかった日本ではなおさらでした。


現代の映像と音楽とコンピューターによるマッピングを用いた時空間アートはもとより、映画もアニメもなかった時代を生きたのですから、あなたは時代の先を行き過ぎてしまっていたのかもしれません。というより、人間の感動や表現はもともとジャンル分けできるようなものではないというアートの本質とダイレクトに向かい合っていたからこそ、あなたは自由で多彩な表現をし続けることができたのでしょう。


そんなあなたはこの時点ですでに技量も表現力もこの上ないほどの成熟ぶりを見せていましたから、あなたの持って生まれた情熱とエネルギーを考えれば、またシェークスピアはもちろんアラビアンナイトやアジアの文学作品を視覚化することを含め、果てしない夢を常に夢見ていたあなたでしたから、さらにはオペラや壁画や建築のような人を包み込むような時空間表現にも強い興味を持っていたあなたでしたから、そのまま仕事をし続けていきさえすれば、誰も思いつかないような新たな美とそのありようをいくつもこの世に遺してくれたような気がしてなりません。


けれど現実的にはあなたは、まだ五十一歳の若さで永遠の眠りにつきました。そしてあなたとの対話をこうして続けてきた私の心の中には、こんな想いも浮かんできます。

あなたはこの時点ですでにもう、ほかの誰も成し得なかったことを、そしてあなたにしかできなかったことを、思う存分、余すところなく十二分にやり尽くしたからこそ、この世を去って逝ったのだと……。


 

 

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谷口 江里也
(たにぐち・えりや)
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本や歌や建築、さらには自治体や企業のシンボリックプロジェクトなどの、広い意味での空間創造を仕事とする表現哲学詩人、ヴィジョンアーキテクト。
主な著作に『鏡の向こうのつづれ織り』『鳥たちの夜』『空間構想事始』『天才たちのスペイン』、主な建築作品に『東京銀座資生堂ビル』『ラゾーナ川崎プラザ』『レストランikra』などがある。
なお音楽作品として、シンガーソングライター音羽信の作品として、アルバム『わすれがたみ』『OTOWA SHIN 2』などがある。

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第1回:ドレが描いた最初の絵
第2回:アリとキリギリス
第3回:才能と表現力の告知
第4回:自ら切り拓いた道
第5回:幻想の共有
第6回:ドレの肖像写真
第7回:私がみた最初のドレの絵
第8回:美しい悪魔
第9回:ペローの昔話
第10回:風刺画
第11回:ドン・キホーテ
第12回:ロマン主義
第13回:クロックミテーヌ伝説
第14回:神曲 煉獄篇、天国篇
第15回:ドレ的な表現 1 ライティング
第16回:ドレ的な表現 2 群 像
第17回:ドレ的な表現 3 近景と遠景
第18回:ドレ的な表現 4 墨色の効果
第19回:ドレ的な表現 5 ペン画のような版画表現
第20回:ドレ的な表現 6 ハーフトーン
第21回:ドレ的な表現 7 大空間
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