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■ギュスターヴ・ドレとの対話 ~ 谷口 江里也

更新日2019/07/18

 

第15回: ドレ的な表現 1 ライティング


1865年、あなたが二十三歳の時に発表した『さすらいのユダヤ人の伝説』から、1868年に『神曲 煉獄篇 天国篇』を三十六歳で発表するまでの間にあなたは自らの才能を世に知らしめることになった重要作品の多くをすでに発表しています。注文や友人の依頼に応じた小さな判型の本の挿絵を除いて、特にあなたが力を入れた大判の作品を年代順に列記してみます。

『さすらいのユダヤ人の伝説』 『神曲 地獄篇』 『ペローの昔話』 『ドン・キホーテ』 『アタラとナッチィーズ』 『クロックミテーヌの伝説』 『失楽園』 『旧約聖書』 『新約聖書』、アーサー王に関するテニスンの詩に対する『エレイン』 『エーニッド』 『ヴィヴィアン』 『ギネヴィア』 『ラ・フォンテーヌの寓話』です。

ほかにも中判の作品として『騎士ジョフレの冒険』 『からいばり』 『ほら吹き男爵の冒険』『キャプテン・カスタネット』 『キャプテン・フラカス』やいくつかの旅行記などがありますが、あなたの本領が遺憾無く発揮された作品はやはり大判の古典文学叢書(そうしょ)です。

あなた自身もこれらの作品によって、自分が目指した版画表現をある程度なし得たという手応えを感じたのでしょう。1868年にロンドンに油絵を売るためのドレ・ギャラリーをオープンし、1870年には、それまで創った作品の中からお気に入りの大判版画作品250点を二巻におさめた豪華本を発表しています。この時点までで、あなたの作品を特徴づける、あなたならではの表現上の工夫や技法がほぼ出そろっていますので、それを見ることにします。

 

まずはあなたの絵の多くに用いられているライティング的な効果です。あなたの絵には劇的なものが多く、それにはあなた自身がオペラやオペレッタが大好きだったということとも関係しているでしょうが、幼い頃から古典文学に興味があったあなたは、現実的なものよりも、どちらかといえば幻想的なものや劇的なものが好きだったのでしょう。風刺画から文学の時空間に表現対象を変えたのも、そんなあなたの資質が大きく関係しているでしょう。

そして画面上で劇的な効果を高めるために、あなたはしばしば今日の舞台におけるライティング的な場面演出を好んで用いました。ライティングは場面(シーン)の内容に適した印象や雰囲気を醸し出すことに加えて、その場面の何に注目してほしいか、観客の目をどこに引き付けたいかということに関して重要な働きをします。それが一方向から万遍に光が当たる自然光とライティングとの違いです。映画においてライティングが作品に極めて重要な働きをするように、あなたは、とりわけ劇的な場面では、細心の注意と大胆さを持ってライティングを用いていることがよくわかります。

たとえば旧約聖書の中の重要な場面、アダムとエバの二人の息子、人類最初の兄弟の長男のカインが弟のアベルを棍棒で撃ち殺す場面、つまり人類最初の殺人事件をあなたはこのように描きました。


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暗雲が立ち込めるシーンの中で、あなたが光を印象的に配している部分は、神の怒りを象徴する稲妻が走る雲の切れ間、アベルが凶器として用いた棍棒(こんぼう)とエデンの園でエバをそそのかして人間に神との約束を破る罪を犯させた悪意の象徴のような蛇との間、そして殺されたアベルが横たわるあたりです。それ以外の部分は暗く抑えめに描かれていますが、あなたの芸は細かく、カインの左足とアベルの左腕にもポイント的な光があてられています。敢えて言えば、稲妻と、力を込めて弟を撃った緊張を全身に残したまま後退りしようとするカインの左足と、上半身にまだ生気の残るアベルの左腕の光とが連続していることが、この絵に動的な印象を与えています。

 

またあなたは、悪事ばかりにうつつを抜かして命を粗末にする人間たちに愛想を尽かした神が、人間を創ったことを後悔し、自らが指示してつくらせた方舟(はこぶね)に敬虔(けいけん)な僕(しもべ)であるノアの家族と、特に罪はない全ての生き物たちのつがいを乗せ、それ以外の命の全てを大洪水によって殲滅(せんめつ)する場面をこのように描きました。


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全てのものが水の底に沈んでしまおうとするなかで、かろうじて水の上にある、おそらくは最後に残った大地の一部である岩の上に、せめて子どもたちだけはと、今にも水に飲み込まれそうになりながら、必死で岩の上に幼い子どもを差し上げる男女、そして最後まで生き延びた虎もまた、我が子の体をくわえて、その体をできる限り高く保とうとしています。

ここでスポットライトを浴びているのはもちろん、水と男女と子どもたちです。なかでも、さらに水かさを増してあらゆるものを飲み込もうとしている波とその先端に強く鋭い光が当てられています。荒狂う波の影になった部分には、子どもを頭上に乗せた人、そして岩に取り付こうとして力尽きた人が今まさに水の底に消えようとしています。

全くの自然の光の中では、このようなライティングはあり得ません。しかし重要なのは、リアルかどうかというようなことではなく、どんなドラマを観客に見せるかということです。人間が余計な印象を与えかねない衣装をまとっていない裸であるのはそのためです。また地球上にはいろんな動物がいますから、最強の動物の一つである虎だけが岩の上にいるというのも変といえば変ですけれども、大切なのはそういうことではありません。

あなたのイメージの中にあったのは、神が起こした大洪水の最後の場面を、最大限ドラマティックに最小限の要素(ファクター)で象徴的に描く事、おそらくその一点だったでしょう。そしてそれを見る私たちもまた、なぜかそれを不自然とは感じません。場面に舞台性を持たせるあなたの特徴と巧みさがこの絵にはよく表れています。

私たちは劇場で舞台を観るとき、それが現実ではなく、つくりものであり、二時間も経てば夢のように消える夢物語であることを知っています。でもそのことを私たちは変だとは思いません。それが人間の持つ想像力や文化の素晴らしさです。舞台とはそういうものだと納得した上で、そこから私たちは人生や社会のありようを凝縮させた何かを感じ取ることができます。それが優れた作品であれば、普段は得られないような美や感動を得ることもできます。それが芸術というものの力であり魅力です。

 

もう一つ、今度は『失楽園』のなかの美しい作品を見てみます。やがてエバをそそのかして神に対する罪を犯させる事になるサターンは、まずはカエルに姿を変えてエバの夢の中に入り込み、知恵の樹の果実がどんなに美味しいか、それを食べると神と同じようになれるよなどと、いろんなことを言ってエバを誘惑します。夢の中で語る事でエバに潜在意識を植え付けようともします。夢から覚めたエバはそのことをアダムに言い、アダムは、お前は神様から決して食べてはならないと言われた果実を、たとえ夢の中でも食べたりはしなかっただろうね、などといってエバを問い詰めますが、そんな二人の前に伝えるべきことを伝えるために天使が現れる場面です。


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この絵では、あなたは天使とアダムとエバがいる草むら、その間にある水面、そしてエバの太腿のあたりに印象的なライティングを施しています。ここにも光を追う私たちの目の動きによって、時間やドラマ性を感じさせる巧みな工夫がなされています。

私たちの目は、光のない闇の中では何も見えません。そして何が潜んでいるかわからない暗闇を本能的に恐れます。だからこそ、暗がりの中で道に迷った時など、遠くに見える灯りに安心や希望を感じます。また昼間でも、私たちの目を引くものの多くは光が当たった部分です。私たちの目は無意識のうちにも光を追います。そこに大切な何かがあると、ほとんどオートマティックに感じるのです。逆に視覚芸術の創り手は、その傾向を利用します。それがライティングです。つまり舞台や映画の演出家や照明家は、そしてもちろん画家もまた、それを駆使する光の魔術師なのです。

油絵の場合は色彩がありますし、色もまた光ですから、油絵ではどの色によって何をどのように目だ立たせるか、そのことを全体としてどう実現するかが画家の苦心のしどころです。しかし版画の場合は、基本的に墨一色、白と黒による表現ですから、なおさら光の配置の仕方が重要になります。

この頃すでに熟練の域に達していたあなたは、どうやらそれを熟知していたことが、あなたの絵をみているとよくわかります。

-…つづく

 

 

 

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谷口 江里也
(たにぐち・えりや)
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本や歌や建築、さらには自治体や企業のシンボリックプロジェクトなどの、広い意味での空間創造を仕事とする表現哲学詩人、ヴィジョンアーキテクト。
主な著作に『鏡の向こうのつづれ織り』『鳥たちの夜』『空間構想事始』『天才たちのスペイン』、主な建築作品に『東京銀座資生堂ビル』『ラゾーナ川崎プラザ』『レストランikra』などがある。
なお音楽作品として、シンガーソングライター音羽信の作品として、アルバム『わすれがたみ』『OTOWA SHIN 2』などがある。

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バックナンバー

第1回:ドレが描いた最初の絵
第2回:アリとキリギリス
第3回:才能と表現力の告知
第4回:自ら切り拓いた道
第5回:幻想の共有
第6回:ドレの肖像写真
第7回:私がみた最初のドレの絵
第8回:美しい悪魔
第9回:ペローの昔話
第10回:風刺画
第11回:ドン・キホーテ
第12回:ロマン主義
第13回:クロックミテーヌ伝説
第14回:神曲 煉獄篇、天国篇


■更新予定日:隔週木曜日



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