第401回:日本のお茶のことなど
日本から帰る時に必ず持ってくるのはお茶です。昔は色々な日本食をスーツケース一杯に詰め込んだものですが、今ではこの田舎町のスーパーでもかなりの日本食を売っていますし、日本人二世が経営するオリエンタル食品屋さんがあったりで、もちろん少し割り高ですが買うことができます。
しかし、おいしい煎茶、新鮮な緑茶となると、話は別です。インターネットで誰が始めたのか"o-cha.com"などというサイトがあり、日本直輸入のお茶をオーダーできますが、当たり外れがあり、届いてみるまで、海のものとも山のものとも見当がつきません。
そこへいくと、日本でお茶を買う時は、自分で飲んで、味わって、これがおいしい、自分の口に合うというものを選んで買いますから、まず間違いありません。
それにしても、お茶はどうしてこんなに高いのでしょう。グラム当たりにすると、コーヒーの王様、ブルーマウンテンの何倍かの値段になるのではないでしょうか。それにパッケージです。真空何とかでおいしさを長く保てるのは分かるのですが、きれいに印刷され、仰々しい効能書き、産地のこと、"正しい"お茶の淹れ方まで説明された包装紙に包まっていて、その袋を開くと、中から小さな銀紙? アルミビニールの袋が出てきます。以前、ほとんどすべてのパッケージは、一袋100グラムでしたが、今では80グラム、終いには50グラムのものまであります。
一般にアメリカでは、ティーといえば紅茶、それも氷をガバッと入れたアイスティーで、夏の飲み物です。元々激甘でしたが、最近、お砂糖がすっかり悪者になりましたから、どこのレストランでもノンシュガー・ティーをオーダーできるようになりました。
時折、日本通だと自分で思い込んでいるアメリカ人を家に呼び、コーヒータイムをもちます。その時、コーヒーそれともイングリシュ・ティー(紅茶)、それとも日本の緑茶にしますか? と訊くと、まず、皆が皆、緑茶を…と言います。
ちょっと私のスノッブもあって、丁寧に急須で高価で貴重品のお茶を煎れ、小さな有田焼きの茶器で出しますと、よほど日本のお茶を知っている人でない限り、お砂糖を入れます。あんな渋いもの、砂糖を入れずに飲めるかというわけです。
アメリカでもペットボトルに入った緑茶が売り出されました。当初、砂糖入り緑茶ばかりでしたが、最近、グルメのスーパーでは砂糖なし、甘さなしの、なかなかイケるお茶が買えるようになりました。
紅茶と緑茶が同じお茶の木から摘み取った若葉だということは、誰でも知っているでしょう。その小さな若葉の芽をそのまま発酵させたのが紅茶で、熱を加えたり、蒸したりして発酵を抑え、なんとか若葉の新鮮な色と風味を残したものが緑茶、煎茶になります。
いずれにしても、新茶のおいしさは格別で、年月が経つと目に見えて風味、香りが落ちていきます。ロンドンで新茶入荷(紅茶です)と看板を出しているお店を見かけ、アレッツ、日本と同じだなと思いました。イギリスまで中国からお茶を新鮮なままで運ぶために、クリッパーという快速帆船が、まるでヨットレースのように地球を半周し、スピードを競い合ったことは有名な話です。
モンゴルや遊牧民の間でも、硬く固めたレンガ状のお茶をまるで貨幣のように取引していました。レンガ茶を削って煎じ、ヤギ、羊のミルクバターを混ぜて飲むのです。お茶は、コロンブスの時代の西欧人が血眼になって求めたコショウのように非常に価値あるものだったのでしょう。昔から良い新鮮なお茶は、とても高価なものと決まっていたようなのです。
元々お茶は中国から日本に伝わって来ましたが、緑茶に拘った日本人が例によって執拗に工夫を凝らし、日本独特の煎茶、緑茶を作り上げていったのでしょう。それも、そんなに古い時代のことではなく、江戸時代も中頃に宇治のお茶屋さん、永谷宗円が採りたてのお茶を炒ったりせず、短い時間蒸し、その後て手で揉み乾燥させるという、超人的発想を実行し、緑茶を完成させたと言います。
しかし、どこの国の人が一度蒸し、それから茶の葉をわざわざ手で揉んで乾燥させることなどするものですか。日本人のモノへのコダワリの極みです。
そして茶道です。ウチのダンナさんの叔父さんは偉い茶道の先生で、新年に初釜に呼ばれたことがあります。主に私のために、ダンナさん、犠牲的精神を発揮して招待を受けたのでしょうけど、正座など生まれてこのかたしたことないダンナさんのまるで拷問を受けているような苦しげな顔は見ものでした。
どこの世界に、一服のお茶を飲むために、あんな仰々しい手順を踏む民族があるでしょうか。一杯のおいしいをお茶を飲むためだけに、お茶の淹れ方だけならまだしも、お茶の種類、そして何より良い水、お茶にぴったりと合う水を求め、そこにそのためだけの狭い部屋、小屋を作り、鋳物の茶釜を備え、単なるカップである湯飲みを茶器という芸術品でなければならぬとし、その茶器の持ち方まで決められ、厳(おごそ)かに何度かに分けてススルという煩雑な手順を作法どおりに進めなければならないのです。
一体、どれだけの日本人が"お茶の心"が分かるまで茶道の修練を積み、本当にお茶を味わっているのか大いに疑問です。しかし、茶道を尊敬し、良いもの、日本の伝統の優れた部分であると、なんとなく思い込んでいる日本人は意外と多く、そんな人に一番最近お茶を点てたのはいつですか…と訊くと、大半は一生に一度もお茶席に出たことがないことにも驚かされます。
喫茶の風習は世界に広がりましたが、儀式のようなお茶の呑み方を作り上げ、しかもメンメンと現在まで続けているだけでも、日本はちょっと珍しい国かもしれません。
その割に、お酒の席ですぐに崩れるのも同じ日本人の特徴ですが…。毅然とした姿勢を崩さず、常に礼節を保ってお酒を味わう"酒道"というのは、日本に生まれなかったのかしら。年末、年始に泥酔した酔っぱらいを見るたびに、これが日本の心として茶道を大切にしている同じ人種だとは思えなくなるのです。
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