第552回:雪崩れの恐怖
やっと雪が積もったと思ったら、暖気が入り込み、一挙に雪が緩み、ガクッと縮んでしまい、新雪を冠った岩もカブトを脱いだようになってしまいました。
屋根の雪もダダッとばかりなだれ落ちてきました。玄関先の2段しかないステップの雪をよけようと、スコップを探したところ、屋根から落ちてきた雪の下に埋まっていて、スコップを掘り出すのに、スコップが必要になってしまいました。
雪が凍り付いていたわけでもないのに、わずか2、3メートルの高さから落ちてきた雪はガッチリと固まり、ダンナさんがツルハシを持ち出さなければ掘り起こせないスコップ救出作戦になってしまいました。日本の雪国で毎年、軒下で雪の下敷きになったり、屋根から落ちて亡くなる人が出るはずです。簡単に這い出ることができるような締め付け、硬さ、重さではありません。これが何百メートルもの急なスロープから押し寄せてくる雪崩れなら、さらに大変な力、重さになることでしょう。
私たちが行ったことがある日本のスキー場とコロラドのスキー場の大きな違いは、コロラドのスキー場ではリフト待ちがないことでしょうか。何度か行った北海道のスキー場でのリフト待ちは、なんだかJRのラッシュアワーを思わせ、楽しみが半減してしまいます。
そして、スロープ、ゲレンデが混んでいるのも、人っ子一人いないスロープを独占してきた私にはチョット雰囲気、様子が違うな…と思えてしまいます。粉雪を飛ばしながら雪山に溶け込むような感覚は日本で味わえない…ような気がしたのです。どこへ行ってもヒトが多いのは日本の宿命なんでしょうか。
コロラドの広大なスキー場の領域、境界に簡単な竹竿、ポールが並んでいて、ロープかテープを張り、あるいは立て看板があり、そこから外に出て、山スキー、岩山スキーをして事故を起こしても、スキー場の救援隊やパトロールは感知しないことになっています。
逆にその広大なスキーエリア、ゲレンデだけでなく大きな松の森、岩が飛び出た急斜面でも、どこをどう滑っても、自分の技量に合わせて、勝手にやりなさいとばかり、全く自由です。若いスキーヤー、スノーボーダーは深雪のなか、岩から飛び降りたり、木立を縫うように滑り降りたりしています。ほとんど、山スキー(バックカントリースキーと呼んでいます)のように雪山を歩き、滑ることもできます。
私たちが時々行くスキー場、ウィンターパークで雪崩れがあり、林間コースで滑っていたクリストファーさん、22歳が亡くなりました。彼が雪崩れに巻き込まれたコースは最上級者用のコースで、深雪のブラックダイヤモンド(緑の初心者用、青の中級者用、黒のダイヤモンドマーク上級者用と色分けされています)でした。1月の終わり頃のことですから、まだ雪崩れの恐れの少ない季節でした。雪崩れといっても極小さな規模のものでしたが、クリストファーさんは2、3フィート埋められてしまったことのようなのです。ここに広々とした、他のスキーヤーがいないゲレンデの恐怖があります。
これを書いている時、イタリア国境に近いフランスのスキー場で雪崩れが起こり4人亡くなったニュースが飛び込んできました。
ウチの仙人も一人でスキーに出かけ、年甲斐もなく最上級者コース、ブラックダイヤモンド、しかもダイヤモンドマークが二つも付いている林間コースに挑戦し、上の方で転び、300メートルほど下まで転がり落ち、その後、スキー、ゴーグル、メガネ、帽子などを回収するため、転倒地点まで深い雪の中登らなければならず、それに2時間近くかかった、参った、もうオレにはブラックは無理だと…最初から分かり切っていることを感慨深くノタマッテいました。
彼曰く、彼が転倒し、スキーなどを回収するために急斜面をラッセルしている間、誰も降りてこなかった、人の気配は全くなかったと言うのです。そんな状況で骨折、捻挫、脳震とうなどが起これば、そのまま冷凍人間になっていたでしょう。
雪崩で亡くなったクリストファーさんの奥さんと家族が、ウィンターパーク・スキーリゾートを相手取り裁判に訴えて出ました。その日、コロラド・ロッキー全般に雪崩れ注意報が出ていたのに、スキー場管理者が適切な処置を取らなかった、因ってスキー場はクリストファーさんの死に責任があるというのです。いかにも裁判社会のアメリカ的な発想です。
コロラド・スキー安全法令(Colorado’s Ski Safety Act)というのが1979年に発令されており、その中に“スキーはそれ自体、自然の中で行う、危険性の伴うスポーツであり、天候の急激な変化も含む…”とあります。裁判では雪崩れもこの条項、自然環境の急激な変化の範疇に入るとして、クリストファーさんの家族の訴えを退けました。家族はコロラド州の最高裁まで上告しましたが、そこでもスキー場側に責任なしの判決を下したのです。フーッ、ヤレヤレ。
山や海、川など自然を相手にするスポーツはすべて自分の責任で行うのは当たり前のことです。海水浴場で溺れたのは、監視員がしっかり見ていなかったせいだ、双眼鏡でビキニの女性ばかり見ていて、沖をシカと監視していなかったせいだ、その後の救援活動、応急処置が悪かったせいで死んでしまったなどと、裁判に一々訴えられたら、ほとんど、ボランティア活動に近い海水浴場の監視員、救命隊員になる人などいなくなりますよ。
終いには、天気予報が間違っていた、正確でなかったせいで、海や山で遭難した…と気象庁を裁判に訴えかねません。
私たちが山や海に出かけるのは、そんなチマチマとした人間社会の拘束、シガラミを逃れるためなのですがね…。
-…つづく
第553回:ウィッチハント(魔女狩り)ならぬウィッチ水脈探し
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