第252回:最後の言葉と辞世の句
ゲーテが死ぬ間際に、「光を、もっと光を…」と言って窓を開けさせたことは伝説になっています。偉大なゲーテのことですから、全世界を照らす明るい光をと人類の願いを込めて唸ったのかと思っていました。ところが実際には、側にいた自分の愛する女性の顔をはっきり見たくて、もっと光を部屋に入れろと言ったのが真実のようなのです。80歳を越し、死の床でもまだ女性の姿を見たかったのはさすがゲーテと褒めてあげるべきでしょうか。
去年亡くなったアップルの創設者スティーブ・ジョブスも死の床で、「オオ、オウー、ワン・ツー」と言って事切れたとその場にいた彼の妹さんが雑誌に書いていました。
シーザーの最後に、「ブルータス、お前もか!」と言って、元老院内での暗殺に抵抗を止め死んでいったとは余りにも有名です。これなど死の床について後世に残るカッコいい最後の言葉を吐いて死のう……という時間的余裕もなく、思わず口をついて出たところに、面白みがあります。
日本の明治維新の時、たくさんの若い侍が死にました。その時、暗殺されるのではなく、侍として礼を尽くして切腹が許された人たちが辞世の句を書き残していることに驚かない外国人はいないでしょう。一体どういう神経で自分が死ぬと決まってから、そんな句を書くことができたのでしょう。普段からよほど句を書き込んでいなければ、死ぬ間際になってから、一句ものにすることはできないでしょう。
私がしきりに感心していたところ、うちの仙人が、「ありゃ、何年も前から自分が死ぬ時のために準備し、清書して、懐に持ち歩いていたんだぞ。なかには添削、推敲を重ね、句の名人に代書してもらったりしていて、本当に死ぬ間際に書かれた句なんかほとんどないんじゃないか」と幻滅させるようなことを教えてくれました。
確かにその通りかも知れませんが、それでも、いつも辞世の句を懐に入れ、いつ死んでもよい覚悟で毎日を暮らしていたのですから、句の著作権がどこに、誰にあるのかなんて、取るに足らないことのようにも思えます。
偉い人の最後の言葉、辞世の句の多くは伝記作者の創作です。その人の人生が集約されているような見事な言葉を吐いて死んでいくのは、歌舞伎の見栄を切るような鮮やかさがあります。でも、それすら人生を芝居と見ればのことです。
かなり記憶が怪しくなるのですが、九州中津の奥平の殿様だったと思いますが、死ぬ間際になって、イロイロ思いを馳せ、最後の言葉を捜してきっと、モグモグ言っていたのでしょう。そこへ、物外という偉いお坊さんがやって来て、「死ぬ間際になって、カッコウつけようとするな。ゴチャゴチャ言わずに黙って死ね」と渇を入れたところ、殿様いかにも安心した表情であの世へ旅立ったそうです。
そう言われてみれば、死ぬ時になってまで、自己顕示欲に顔の皮が突っ張るような辞世の句は良し悪しですね。
私のおじいさんは、サイロから落ちて首の骨を折り、車椅子の生活でしたが、療養所の庭に車椅子を出してもらい、小鳥のさえずりを聞きながら、自分も小鳥を呼ぶように口笛で小鳥の鳴き声を吹き、それが最後でした。
おじいさんの最後の言葉は、「ピー、ピー」だったのでしょうか。
第253回:ギリシャ語・ラテン語から中国語・日本語へ
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