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■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から

第422回:自然回帰運動とグリスリー熊

更新日2015/07/16



私たちが住んでいる高原台地は、およそ標高2,000メートルから2,300メートルの高さがあり、台地が広がっている平らなところは早くからパイオニアが入植し、牧草畑や放牧地になっています。その台地からうねるようになだらかな山々が盛り上がっていって、台地に近いところはピニヨンパインとジュニパーの森が広がり、上に行くに従いアスペン(ハコ柳)が増え、そしてさらに上には巨大なパンデローサ松の森になっていきます。その大部分は広大な国有林です。

そんな国有林の山と森は、絶好のハンティンググラウンドになっており、鹿、エルク(大鹿)や野生の七面鳥を求め、ハンターが馬やATV(バギー)にまたがり押し寄せてきます。そこはまた、マウンテンライオンやボブキャット、黒熊の生息地でもあります。

この界隈に生息している熊は、アメリカ黒熊と呼ばれ、中型のおとなしい熊です。巨大で獰猛なグリスリー熊よりかなり小型で、北海道のヒグマくらいの大きさしかありません。私たちの家の周りを徘徊し、自分の領域を誇示するかのように、糞を撒き散らして行ったのもこの黒熊です。

この界隈の住人は、誰でも"熊談義"の一つや二つ持っていて、いつも野外にいる牧童なら、熊とのご対面は毎年恒例の年中行事になっています。

黒熊は恥ずかしがりで、人間に会うと大半が身を隠し、逃げていくそうですが、中には子連れだったり、気が荒かったり、気分がすぐれないのがいたりして、人様に危害を加えます。

餌を求めてこの界隈の牧場の家畜小屋に入り込んだり、飼料庫に紛れ込んだりするのは、もっぱらこの黒熊です。また、黒熊は木登りが上手で、2、3メートルくらいの塀なら簡単に乗り越えるし、平屋の屋根程度の高さならヒョイとばかり跳び乗ってしまいます。さらに、手首(前足?)が器用で、引き戸など簡単に開けてしまいます。人家に侵入し冷蔵庫を開けて、中身をごっそりご馳走になっていったりします。アメリカ全土で、人間様が"ご対面"した件数が圧倒的に多いのは、この黒熊です。

正確な数字はなかなか出ませんが、国立公園内で10メートル以内と限定した条件で熊との"ご対面"は933件報告されています。そのうち68件だけがグリスリーで、他は黒熊です。 2012年に国立公園内で熊に襲われて死んだ人は、たったの一人しかいません。ですが、これらの数字は国立公園内という極めて限られた領域でのことで、牧場や団地に降りてきた熊たちの行状は含まれていません。熊との出会いは、むしろ公園の外の方がはるかに多いでしょうし、人的被害もかなりの数になるでしょう。

野生の動物を愛する人たちは、なんとかアメリカの西部だけでも森や山を昔の自然状態に戻そうとしています。中西部で絶滅したバッファローをコロラド州やユタ州に移入し、今では野生のバッファローの姿を見ることができます。

狼もわざわざカナダから輸入し、北部の州に放っています。ところが、これは牧場にとっては悲劇的なことです。狼は州の法律で保護されているので、牧童が勝手に撃ち殺すことができません。もし、狼を殺したりすれば、過大な罰金だけでなく、実刑がくだされます。

一度、壊してしまった自然環境、生態系を人為的に元に戻すことの難しさがそこにあります。

アメリカの『魚類および野生動物サービス』という国の機関が、ワシントン州のカスケード国立公園にグリスリー熊を移植させようとしています。元々この地域はグリスリー熊の生息地だったところです。そこへ人間を省けば、食物連鎖の一番上に立つグリスリー熊を連れてくることで、山や森をより豊かにしようという試みです。

爆発的に増え過ぎてしまった鹿もコントロールできるのだそうです。熊が鹿を獲る話は聞いたことがありませんが、熊がそこに棲むだけで鹿の産児制限などが自動的に働き、自然界のバランスを取ることができるとしています。

もちろん、反対する声も多く、すでに自然界に深く入り込んだところに人間どもが住んでいますから、山に食べ物が豊かに実る年はいいけど、山の実が不作の年には必ず人家に下りてくる、それは実例をいちいち挙げるいとまもないほどだ、あえて獰猛な殺人者を連れてくる必要がないと、カスケード国立公園に隣接住民は声高に反対しています。

自然に戻すのが善で自然を変える(往々にして壊すことに繋がるのですが)のが悪という図式は成り立たなくなっている時代になりました。

いずれにしろ、グリスリー熊をもう一度連れてくるというのも、人間の都合で、グリスリー熊が望んだことではないのですから。

 

 

第423回:アフリカ系アメリカ人"受難の年

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Grace Joy
(グレース・ジョイ)
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中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。

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