方丈記 第十一回
その小さな家は別に、この場所でなくてはと思ってつくったわけではないので、わざわざ土地を買ったわけではない。造りも、木で土台を組んで、その上を、雨をしのぐためだけの簡単な屋根で覆い、継ぎ目を金物で留めただけの簡易なもので、これはもし、この場所に住んで気に入らないことなどが起きた場合には、簡単に、ほかの場所へ移り住むためにほかならない。
もちろん、その移築の際には、多少面倒くさいことなどもいくらかはあるだろうけれども、あったところで知れたもので、部材にしても、そのまま一切合切運んだところで、二台の荷車があれば十分。車夫の手間賃程度はいるだろうけれども、それ以外に特別な費用がかかるわけでもない。
そんなわけで、今度こうして伏見の日野山の奥に、もろもろのことを隠して、ひっそりと移り住んでからは、東のほうに三尺ほど出した庇の下で、周りで取って来た柴を小さく折って燃やし、それで炊事をしたりもする。
南には、竹の簀子(すのこ)を敷いて、その西に仏さまにお供えする供物や仏具を置く棚を備えた。
北側には、障子で仕切った場所を造り、そこに、阿弥陀仏を描いた絵を安置した。その側には、白い象に乗った普賢菩薩の絵を描いて飾り、その前に法華経の教本を置くことにした。
東の端のほうには、蕨(わらび)の穂を敷いて、そこを夜に眠る寝床とした。西側の南寄りの壁には、竹で作ったつり棚を設け、そこに黒い籠(かご)を三個ほど置いた。一つの籠の中には和歌の本を入れ、一つには笛などの管絃、すなわち楽器を入れ、もう一つには源信の往生要集を入れた。その横に琴と琵琶をそれぞれ一つを立てかけた。この琴は、いわゆる折り琴で、二つに折り畳めるようになっているもので、琵琶も継ぎ琵琶といわれる、二つに分解できるようになっているものである。これが、私の仮住まいのような庵のようすである。
※文中の色文字は鴨長明が用いた用語をそのまま用いています。
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