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■イビサ物語~ロスモリーノスの夕陽カフェにて
 

第52回:冬場のイビサ島 その1

更新日2019/01/24

 

私がイビサに棲みつき、ヨチヨチ歩きで『カフェ・デ・バンブー』を始めた時、イビサへは週2便、トランス・メディタラニアンのフェリーがバルセロナとヴァレンシアからあり、飛行機も小さなボーイング727が夏場だけマドリッド、バルセロナから日2便ずつあるだけだった。それも冬場になると便数が減り、パタリと観光客が来ず、まるで島流しになった気分にさせられた。

最初の数年、シーズンオフの冬場は、待ってましたとばかり、島を出てバックパッカー時代より僅かながら豊かになった懐で、インドへ、ネパールへ、共産圏の東ドイツ、ポーランド、ハンガリー、チェコへと足繁くイビサを飛び出していたものだ。

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冬の旧市街、店は閉まり観光客はいなくなる('87年撮影)

いつの年だったか、シーズンオフをそのままイビサで過ごした。イビサの冬はウソのように静まり返り、旧市街のバール、カフェテリア、レストラン、ホテル、ブティック、土産物屋はすべて扉を閉ざしている。夜は結構冷えることもあるが、昼間太陽さえ昇れば、日向では25-26度まで気温が上がるので、誰もいないビーチを歩いたり、森をデタラメに歩き回るには丁度良い気温だった。総じて冬のイビサはとても良いところなのだ。

島に残っている人が少ないので、その分彼らと自然、親密になる。それに居残り組は、気違いじみた夏場が過ぎ、ヤレヤレという感じで皆リラックスしている。本来のイビセンコの生活リズムが冬場にはあるように思えるのだ。

買出しのための足として、私はオンボロのヴェスパ(Vespa;イタリアのスクーター)を持っていた。スタートに難があり、真っ直ぐ走らせるためには腰をひねりハンドルをハスに構えなければならないシロモノだったが、一旦エンジンが掛かるとスザマジイ騒音を発しながら突っ走るのだった。

私はヴェスパを“カタリーナ”と名付け、爆音を撒き散らし、島中を駆け巡ったものだ。ごくたまに若き女性を後ろに乗せたこともあり、映画『ローマの休日』でグレゴリー・ペックがオードーリ・ヘップバーンとローマ市内を駆った場面が脳裏をよぎり、可笑しかった。私も、後座席の彼女も映画のヒロインたちとは、あまりにもかけ離れたご面相、服装だったからだ。

昼間は海岸線、内陸の村を駆け巡り、夕暮れ迫る頃にはワンルームのアパートに帰り、簡単な夕食を摂り、レコードを掛けながら本を読むのが日課になっていた。

暗くなってから、イビサの旧市街に降り、人気のないカジェ・デラ・ヴィルヘン通りの『タベルナ』(Taberna:居酒屋の意)に行くようになったのはいつの頃からだろうか…。 

『タベルナ』はイギリス人、マーチンがやっている、味も素っ気もないバールで、いつの頃から下がっていたのか、古くさい木の看板に裸電球を灯しているだけだから、そこにバールがあるとは入口のまん前に来るまで気がつかないような、一体どこまでショーバイをやる気があるのかないのか疑いたくなるようなところだ。

私が冬場にそこへ行くようになった時に、すでに相当古びていたから、『タベルナ』は主のマーチン同様ウン十年選手だったろう。マーチンはハゲで胴長、いつも酔っているのか、シラフなのか判断がつかない態の歳のころ50前後のイビサ長老組のイギリス人だった。

マーチンにはまだ20代前半のアナというカタラーナ(カタルーニャ人)のガールフレンドがいた。傍目には理解できない男女関係は多いが、このマーチンとアナの関係などその典型かもしれない。アナは丸顔、小太りの身体を機敏に動かしているのに対し、カウンターに陣取った客との話しにかまけているマーチンと良い対称をなしていた。でも、二人の間にはアウンの呼吸があるのが見て取れるのだった。

私はヨウヤク、酒の…と言ってもワインとコニャックだけだが、味を覚え始め、付き合い程度に嫌でなく飲むようになっていた。しかし、酒の弱さに変わりなく、一口のワインでも顔だけでなく全身真っ赤に染まる体質は変わらなかった。

まだ、全く飲まない時代、呑み助の友人がテラテラに脂の浮いた顔を光らせ、澱んだ目、締まりのない口元で、同じことを何度も繰り返す相手をしながら、自分は決してああはなりたくないと思ったものだ。ところが、バールをハシゴしてアパートに帰り、小用を足す時、鏡に映った自分の顔は、まさに自分がこうはなりたくないと思っていた締りのない赤ら顔そのものだった。

冬場に開いているバール、レストランは限られている。自然、行きつけの溜まり場に足を運ぶことになる。イギリス人は同胞のところへ行く。『タベルナ』のほかに旧市場近くの地下にある『フィエスタ』(Fiesta:パーティーの意)、これは白い頭髪、ヒゲをたっぷり蓄えた大男ジョージがやっていた店だった。

ジョージは夏の暑い盛りに自宅の屋根の上にあるシステルナ(cisterna:貯水槽)の清掃をしている時、心臓が破裂してそのまま死んでしまった。後を引き継ぐようにそれまで見たことがない大女の娘が『フィエスタ』のカウンター後ろに立ったが、数ヵ月ともたず、店は潰れてしまった。

もう一軒、アイルランド人のレズビアン、アイリーンがやっている『オベッハ・ネグラ』(Oveja negra:ブラックシープ、黒い羊の意)というのがあった。こちらは、『タベルナ』や『フィエスタ』が愛想も、素っ気もない造りなのに比べ、奥まった席にユッタリと広げられているクッションも柔らかく、照明も凝っており、テーブルにはふんだんにローソクが灯されていた。全体に暖か味のある内装で、客にスペイン人の若いカップルも多かった。

フランス人もやはりツルム傾向は変わらないようだった。ヨットのレーサー上がりで、当時もイビサ一周レースや地元の草ヨットレースに出ているイブがやっている『インフェルナール』(Infernal:地獄の意)があった。どういう理由からなのか、ドイツ人もこのバールにたむろしていた。

50代のイブも奇妙な関係の若いヴィルヒニア(Virginia)というヴァレンシア娘と暮らしていた。ヴィルヒニアの友達がバール『インフェルナール』に集まっていたから、彼女たち目当てにドイツ人どもが来ていたのかもしれない。

もう一軒、『ラ・フィンカ』(La finca:農場、農家の意)というフランス人の溜まり場があった。こちらは純然たる穴倉バールで、いかにもマリファナ・ヒッピー文化を集約したような内装だった。インドやバリ島で仕入れた壁飾り、ランプ、クッションのすべてにマリファナの香りが染み付いていた。

こんなに大っぴらにバール内でマリファナを吸っても問題ないのか…と、こちらが心配するほど、ヒッピー的な人間が集っていた。だが、案の定、手入れを喰らって、店を閉めなければならなくなった。この、『ラ・フィンカ』の地所の持ち主はイビセンコで、店を居抜きでフランス人に貸していただけのようだった。

この普段カンポ(campo:田舎)に住んでいるイビセンコのおっさん、ノコノコと『カサ・デ・バンブー』までやってきて、敷金など何もなしで、ただ家賃だけ払って貰えればそれでいいから『ラ・フィンカ』をやらないかと、持ち掛けてきた。酔っ払いが嫌いな上、下戸の私がそんなバールをやっていけるわけがない。おまけに『ラ・フィンカ』は完全な洞窟バールなのに対して、『カサ・デ・バンブー』は絶景と呼びたくなるアウトドアでいつも海を眺めることができるのだ。

ハナから自分があのような洞窟人種になる選択は全くないと思っていたのだが、そこは少しはショーバイをして、客あしらいを学び始めていたから、「こんな良い話、良い条件で持ってきてくれてありがとう。でも、私はこの店を手放す気はないよ。私が経営し、責任を取り、信用できる友人に店を任せるという形式ならできるかもしれない…」と、柔らかい逃げをうったのだ。

旧市街でのバール経営は難しい。マーティンあっての『タベルナ』だし、イブあっての『インフェルナール』、アイリーンあっての『オベッハ・ネグラ』なのだ。ジョージの『フィエスタ』は彼が亡くなって、娘が引き継いだ途端に潰れた。酒飲みは、どこで飲んでも同じ味のはずの酒をサカナにカウンターの内側に控えている主(あるじ)とダベルためにフラフラと足を運ぶのだ。

この『ラ・フィンカ』はマリファナ、ドラッグ売買で逮捕され、実刑を喰っていたフランス人と建物のオーナー、イビセンコとの間に裁判が持ち上がり、閉鎖されたままだった。フランス人の方は99年間のトラスパソ(traspaso:ビジネス引継、借家権)を持っていると主張し、家主の方は違法行為があった場合、トラスパソの権利は消滅すると主張していた。犯罪人に家を貸した覚えはない…というところだろうか。

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冬場は地元客が集まるバール以外の扉は閉まっている

バールを飲み歩くのは奇妙な習慣だ。冬の早い時間に、夜の帳がおりると、馴染みのバールへ足が自然に向くのだ。人間は強い習慣性を持った動物なのだろうか。そして、これも決まり切ったルートでハシゴするのだ。そこで出会う顔ぶれもほとんど同じで、交わす挨拶も、話題も代わり映えしないのだが、次の夜にはまた出掛けるのだった。冬にイビサに残っている外国人は極僅かで、4、5軒もバールをハシゴすると、彼ら全員に出会ってしまうのだ。

フランスを含めた地中海の国々には、バー、カフェー文化と呼んでも良い伝統があると思う。どうにか覚えたワインのおかげで、旅先で頻繁にバー、カフェーを訪れるようになった。バックパッカー時代の習性が抜けず、パリはシャンゼリゼのカフェテラスには一度だけ、興味本位で腰を降ろしただけだが、場末のバー、パブへはお決まりコースのように行った。アンダルシアの山村、ガリシアの漁村、北イタリア、ギリシャ、それにアイルランドの片田舎のバー、それぞれに思い出深く、懐かしい。地元の人だけが出入りするような、そっけない溜り場なのだが、奇妙に心に残っている。

年が明ける頃には、バール巡りにも飽きて、春の訪れを心待ちにし、一日も早く『カサ・デ・バンブー』を開けたい…と思うようにさえなるのだった。もっとも、春前には懐が寂しくなり、店を開けて稼がなければならないという台所の事情があるのだが…。

-…つづく

 

 

第53回:冬場のイビサ島 その2

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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