■グレートプレーンズのそよ風 〜アメリカ中西部今昔物語


Grace Joy
(グレース・ジョイ)




中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。



第1回:ウイルカーおじさん その1
第2回:ウイルカーおじさん その2
第3回:ウイルカーおじさん その3
第4回:私のポニィー その1
第5回:私のポニィー その2
第6回:私のポニィー その3
第7回:フリッツ その1
第8回:フリッツ その2
第9回:フリッツ その3
第10回:カントリースクール その1



■更新予定日:毎週木曜日

第11回:カントリースクール その2

更新日2006/05/11

フードルマイヤー先生は、姿勢も身だしなみもキリッとした女性で、私が入学した当時、50歳前後だったと思います。白い長袖のブラウスに暗い色の長いスカートを穿き、大股でカツカツと教室を歩きます。小学校の先生といえば、女性に限られていた時代です。

東の窓側に1年生、そして順に8年生まで並び、8年生は一番西です。いま、私も教職にあり(地方の小さな大学で教えていますが、短い期間高校での教師経験もあります)、フードルマイヤー先生がいかに大変な仕事をこなしていたか、痛いほど分かるのです。大オーケストラを指揮しているようなものです。しかも各セクションは互いに邪魔し合わないよう、音を立てないようにしなければなりません。

この学校の指揮者であるフードルマイヤー先生の指揮棒はハエタタキでした。牧草畑の真ん中にある学校なので、牧草を刈り取った後には牛が放牧され、その後に豚も放たれ、そこここに大きなウンコを撒き散らします。と、当然のことですが、ハエが大量に発生し、夏には教室内に進入してきます。

フードルマイヤー先生はハエタタキの名人でしたが、そのハエタタキで、時にはまだ潰されたハエが網にへばりついているまま、生徒の頭をパカンとやるのです。痛さより、ハエと同じように扱われたという心理的ダメージが大きかったのでしょうか、腕白盛りの子供たちも教室内で羽目をはずすようなことはありませんでした。

私たちは皆、ハエタタキの洗礼を受けたものです。兄弟や当時の同級生と集まるとき、皆何回ハエタタキの刑を受けたか正確に数えることができたほどですから、ハエタタキは心理的効果抜群な教育用道具だったのだと思えます。

授業はこんな風にして行なわれます。
1年生がアルファベット、A、B、Cの大文字、小文字、筆記体を練習帳に書いている間、2年生は羊のフラッシュカード(大きなトランプのようなカードの表に絵、裏にその絵の説明が書いてある。馬、牛、ニワトリ、豚などの家畜、野生の動物、植物、昆虫、鳥などがあった)で羊の種類をあてっこをし、3年生はポーチに出て掛け算九九をリズムを取った歌のようにして覚え、4年生は社会科でアメリカの憲法の一部を暗誦し、5年生はアリの巣と色々な種類のアリをスケッチし、6年生には作文書かせ、7年生は数学でルートの計算、8年生はカエルの卵が、細胞分裂を繰り返しながらおたまじゃくしになり、手足が出てカエルになる過程をノートに取る、といったことになりますが、それを1時間ごと、授業内容を変え、しかも子供たちが飽きないように、8つの学年を平行して進めていくのです。

フードルマイヤー先生はまさにスーパー教師、超人的な先生だったと今でこそ思うのですが、そんな学校しか知らなかった当時、フードルマイヤー先生の苦労や偉さは全く分かりませんでした。

先週、ニューヨークの小学生にニワトリの絵を描かせたら、4本足のニワトリを描いた子供が25%もいた、という記事を読み、ニワトリはケンタッキー・フライドチキンの中にしか存在しなくなったという感慨を持ちました。4本足のニワトリを描くなんて、私たちの学校では想像だにできないことです。

初等教育を考える時(お〜っと、なんだか偉そうな話になってきました)、あのワンルームカントリースクールの私の同学年、総勢4人のうち二人が博士号を取り、後の二人はコンピューター科学者になったし、全校生徒の70〜80%(当時の大学進学率は20%前後でした)くらいが大学教育を受けており、本当の意味でのプロの道を歩んだことを思い合わせると、フードルマイヤー先生のハエタタキの効用が示唆するところを考え直すべきではないかと思ったりします。

もっとも、今の状況では、ハエタタキを生徒の頭の上に振り上げただけで、実際にピシャリと振り下ろさなくても、そんな先生は即刻、職を失い、いたいけな子供に心理的虐待を加えたと、裁判に訴えられることでしょうけど。

休憩時間と昼食時間は、よほど天候が崩れたときでもない限り外で過ごしました。運動場も遊技場もなかったので、フェンスを乗り越え牧草地で追いかけっこ、タッチフットボール、牛の乾いた糞(乾くとお皿のように平たく硬くなる)でフリスビーをしました。

意地悪をしたい時には、まだ真ん中がよく乾燥していない牛の糞を投げ、それをキャッチすると濡れた部分が受け手の顔、体にふりかかるようなことをしました。そうなると本格的な喧嘩が始まるか、大きな泣き声が響き渡り、フールドマイヤー先生がハエタタキを持って登場するのでした。なんの設備もないのに退屈したという記憶がありませんでした。


はるか遠くに、白くポツンと建っているのが
私たちの小学校です。3年生くらいから、
近道をしてクリークを渡り、フェンスを何度か乗り越え、
牧草畑を横切って通うようになりました。
写っている犬はフリッツの後釜、ゴマーです。
ゴマーは迷ったのか捨てられたのか、
私たちの家に来てそのまま居ついた犬です。

-…つづく

 

 

第12回:カントリースクール その3


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