■グレートプレーンズのそよ風 〜アメリカ中西部今昔物語


Grace Joy
(グレース・ジョイ)




中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。



第1回:ウイルカーおじさん その1
第2回:ウイルカーおじさん その2
第3回:ウイルカーおじさん その3
第4回:私のポニィー その1
第5回:私のポニィー その2
第6回:私のポニィー その3
第7回:フリッツ その1
第8回:フリッツ その2
第9回:フリッツ その3
第10回:カントリースクール その1
第11回:カントリースクール その2



■更新予定日:毎週木曜日

第12回:カントリースクール その3

更新日2006/05/18


学校の建物は、今も牧草を入れる小屋として使われ、残っています。
 
こんな学校のことを、“One room country school”と呼んでいますが、文字通り一部屋だけしかなく、北側にある玄関(校門などというしゃれたものはありません)を入ると、左側に生徒の数だけ大きな釘を打ち付けただけのコート掛けが並んでいます。そこへお弁当箱と冬なら上着をかけます。右側には小さな本箱があり、そこをいみじくも図書館と呼んでいましたが、教室の一角のことで、古い本が省みられないまま、隙間だらけに並んでいるだけでした。

トイレは校舎から15メートルほど離れた別小屋で、最近よく工事現場に置かれている簡易トイレのような細長い箱のような建物が男性用と女性用と二つ並んで立っていました。でも男の子は日本の男性の伝統芸?を牧場の木陰や、背より高く茂った牧草畑に隠れて行っていたようです。

冬の暖房は大きな鋳物の石炭ストーブで、火を絶やさず教室を暖めておくのは7年生と8年生の男の子の仕事でした。ストーブは1年生の並ぶ東側の前の方、教壇近くにあり、8年生の後ろの方まではとても暖まるものではありません。ただでさえ、隙間風がいたるところから入り込んでくるような、その当時でも古い建物でしたから、寒波が襲ってきた日など、オーバーコートを着込み、手袋をはいたまま授業を受けたものです。

そんな日には、フードルマイヤー先生はストーブをどんどん焚くように指示し、ストーブが赤くなるほど燃やしますが、ストーブの近くにいる低学年の生徒は、サウナにでも入っているかのように顔がほてり、耐えられないほどの暑さになりますが、そんな熱気も教室全体を暖めることはできませんでした。

そのように寒い教室にあって、真冬でもコートを着てこないだけでなく、セーターすら着ず、いつも同じ半そでのティーシャツだけの女の子がいました。サリー・バースです。

サリーはチビだった私の2、3倍はある大きな体を押し込むように学校用の椅子と机が一体になった席についていました。女性のガリバーが突然小人の学校に紛れ込んできたかのように、この教室には不似合いな存在でした。何かの理由で学校に入るのが遅れ、年齢も3歳上でした。その上、サリーはよく顔や腕に青紫のアザをつけてくるのでした。 

サリーは決して知恵遅れの子ではありませんでしたが、3年生になってもまだスラスラと本を朗読することができず、作文でも、短い文章を間違いなく書くことができませんでした。算数の簡単な問題、足し算、引き算はどうにかこなしていましたが、掛け算、割り算になるともうお手上げでした。

ですが、この田舎の学校のスペシャリティー?である家畜、動物、草花のフラッシュカードで絵を見て、その種別、名前を言い当てるのはサリーにかなう生徒はいないほどでした。それだけでなく、サリーはその種類の動物の習性、食性などもよく知っているのでした。

同学年の生徒は、サリーと一緒に算数の問題を解いたり、宿題の作文を書いたり、九九を教えたり、今流に言えばグループ学習のようにサリーを仲間として落ちこぼれないよう引っ張っていこうとしました。

昼休みに裏の牧草畑で遊ぶときはサリーの独壇場で、とりわけ「タッチフットボール」(アメリカンフットボールですが、タックルせずにベルトに挟んだ布を抜き取ることをタックルとみなす)では、一番乱暴な男の子でさえサリーが突進してくると、タッチから逃れることはできませんでした。

私が特別にサリーの勉強の面倒をみたという記憶はありませんが、7年生のとき、サリーが自宅に遊びに来ないか、晩御飯を食べに来ないかと誘ってくれたのです。私の家も貧しかったけど、サリーの家はそれ以上でした。貧しさというより、家全体が手入れも何もせずにうち捨てられたような感じで、空気自体にも澱んだ、すえた臭気が漂っていました。

学校でのサリーと違い、家では成人した主婦でした。母親はいなく、乱杭歯の父親と二人暮らしで、家の中の仕事、掃除(あまりしていないようでしたが)洗濯、食事の支度などすべてサリーがこなしているのでした。会話も学校での言葉遣いとはがらっと変わり、父親と大人のように対等に話していました。

サリーが作ってくれた夕食を今でも覚えています。恐ろしく汚い台所でサリーが私のために特別に仕入れたレバーを焼き、それにまだ緑のトマトとレタスの外側の青くて硬い葉を一緒にラードで炒めたものでした。私はただサリーを傷つけまいという心情だけで、機械的に口にモノを運びました。

私は、サリーが冬でもティーシャツ一枚で寒くない、と言っていたのはただ他に着るものがなかっただけであり、真みどりのトマトを料理したのは、他に野菜がなく、熟して赤くなるまで待つことができなかったことを知ったのでした。

サリーが私を家へ呼んでくれてから幾日もせずにパッタリと学校に来なくなり、フードルマイヤー先生がサリーの家まで訪ねていったときには、もうすでに空き家になっていたということでした。

サリーが妊娠していたことなどは、ずうっと後になって耳にしました。


お百姓さんが自分で建てた古い農家を買ったとき、
ガレージにこんなストーブを見つけました。
カントリースクールと同じものでした。
偶然とも言えますが、当時出回っていたストーブは
何種類もなく、ほとんどがアメリカ最初のムルティタレント、
ベンジャミン・フランクリンがデザインした、
フランクリン型と呼ばれるもので、
中西部のどこの家でも同じものを使っていたようです。

-…つづく

 

 

第13回:カントリースクール その4


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