■グレートプレーンズのそよ風 〜アメリカ中西部今昔物語


Grace Joy
(グレース・ジョイ)




中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。



第1回:ウイルカーおじさん その1
第2回:ウイルカーおじさん その2
第3回:ウイルカーおじさん その3
第4回:私のポニィー その1
第5回:私のポニィー その2
第6回:私のポニィー その3
第7回:フリッツ その1
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第14回:春の訪れ
第15回:ジプシーの幌馬車
第16回:夏休み その1
第17回:夏休み その2
第18回:夏休み その3
第19回:ニワトリ泥棒



■更新予定日:毎週木曜日

第20回:家系の話 その1

更新日2006/07/13

先住インディアンは別ですが、アメリカは移民で成り立っている国です。世界中どこの地域でも数多くの移住、侵略が繰り返されたすえ、定住し、現在に至ったといっても間違いではないでしょう。先住インディアンもユーラシア大陸からアリューシャン列島を渡り、アラスカを経て南下したというのが定説のようです。

それにしても、アメリカへの本格的移住は新しく、今生きている人が直接知っている、お祖父さんとか曾お祖父さんの代にヨーロッパから渡ってきた例は珍しくありません。

歴史の浅い国なので余計に家の歴史にこだわり、家系を辿ろうとするのでしょうか、先祖を移民の時代まで遡り、ルーツを探すのが最近流行っています。まさにハヤリものなのです。インターネットでルーツを探るサイトは大人気だし、先祖を辿り家系図を作る代理店商売は繁盛し、毎年幾十となくルーツを訪ねるヨーロッパへの旅が企画実行されています。

カズンリユニオン(従弟集会と呼んでいますが、何々家全員集合です)は夏の恒例行事のようになり、アメリカ人でこのようなカズンリユニオンの声がかからない家は珍しいほどです。たいていYMCAのようなキャンプ場とか夏休みの学校の寮を借りたりして3日、4日泊り込みで集います。夏のバカンスを手軽に安く過ごすための方便とも言えますが、全米、遠くからよくもこんなに!と感心するほど集まってきます。

ヨーロッパからの移民は、ルーツを辿ることが比較的容易です。お役所に記録が残っているからです。ヨーロッパのどこそこから何年にアメリカへ渡ってきたことまでは知ることができます。

黒人(近頃はアフリカンアメリカンと呼びますが)は別です。アフリカから人狩りされ、一個の人間としての記録を抹消されて連れて来られたわけですから、自分の先祖がアフリカのどこの地域のどの部族であったかすら、判明しません。

でも、現代科学の恩恵というか、現代科学を利用した商売の発展と呼ぶべきでしょうか、DNAから先祖の部族を特定できるようになったのです。一件の検査に250ドル払うと当人の口から細胞を採り、ルーツを探ってくれる会社がけっこう繁盛しています。

まだ原資料が充分でないせいでしょうか、80%はズール族、18%はトワレグ、2%がフランスといった、可能性をパーセンテージで表しただけのもので先祖を大まかに確定してくれるのです。

私も半ば両親への義理(義理は日本だけの特許ではありません)から、父方の方のカズンリユニオンに何度か参加したことがあります。昨年、コロラドのロッジでの集合には122人も集まりました。血縁といっても、お祖父さんのマタ従弟の孫の従妹の娘家族とか、どこでどうつながっているのか絡まった糸を解くようなもので判然としないながらも、ともかくどこかで繋がっているというだけで、アメリカ全土だけでなく、スコットランドやドイツからも集まってくるのです。

定年退職し、時間があり余っている中心人物が、壮大な家系図を作成して印刷し、アルバムのようなバインダーに綴じ合わせ、配布してくれます。しかし、よくぞそこまで調べたものだと感心するばかりです。

私の叔母の一人が定年退職後、ルーツ探しに凝り始め、膨大な時間をかけて調査し、家系をさぐり、分厚いファイルを作りました。そして、勢いのついたところでヨーロッパへ“ルーツを訪ねる旅”を企画したところ、あっさりと定員の45名を超えました。私もしつこいくらいその旅行に誘われ、ご辞退するが大変なほどでした。私の両親、叔父叔母、従弟たちは、2週間の旅から大満足で先日帰ってきたばかりです。

彼らの仕入れた資料と家系図をそのまま信用し、引用すれば、私の父方の先祖はドイツのババリア地方から1800年以前に渡ってきました。1790年のアメリカ国勢調査には登記されておらず、1800年には名前があるので、その間にアメリカ、ペンシルバニア州に移住したことは確かなようです。生年月日もはっきりしません。1770年から1774年の間に生まれたようですが、亡くなったのは1849年で、職業は桶や樽を作る職人でした。

当時の桶や樽は、お酒やワインを入れるためだけではなく、塩漬けの魚、肉、乾燥させた果物、漬物、そして錆防止のための金属(釘、ノミ、工具)を密閉し、輸送するためににも使っていましたので、腕のよい職人は実入りもよく、どこに行っても確実に食べていける仕事のようでした。




曾お祖父さんの代にペンシルバニア州から
ウイスコンシン州に越し、そこでお百姓さんになったようです。
写真を見ると自作農としてそれなりに成功したのでしょう、
私が育った家(小屋?)に比べると、はるかに立派な
マンションと呼んでいいくらいの大きな家です。
何かの機会に家族が集まったときのものでしょう。


この青年が父方のお祖父さんの父。
1890年に撮った写真です。


5人のカントリーレディー、一番右がお祖父さんの母です。


お祖母さんの両親。こちらはスコットランド系です。
 

-…つづく

 

 

第21回:家系の話 その2


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