第28回:ウイルカーおじさんの思い出
その2<最終回>更新日2006/09/14
私は自分の犯した間違い、ウイルカーおじさんをここへ連れてきて、引き裂かれた大地を見せてしまったことに気づきました。ウイルカーおじさんの小屋も、馬小屋も何もかも、昔を思い起こさせるものはすべて消え去っていました。
お祖父さんの牧場はキャメロンの町が買い取り、大きなゴミ捨て場になっていたのです。ウイルカーおじさんは急に寡黙になり、顔から表情がなくなってしまったかのように反応を示さなくなったのです。
私自身も、自分の幼年期を錆付いた刃物で切り離されたような痛みを受けましたが、ウイルカーおじさんの受けた大きなショックにはとても比べることはできないでしょう。潤んだウイルカーおじさんの目は開いていても、もう何も見ていない目になっていました。
私は、「ウイルカーおじさん、こんなことになっているなんて知らなかったの、ごめんなさい」と何度もあやまりました。おじさんは、「いや、いいんだよ、グレース。古いものはなくなっていくものさ。時代は変わっていくのだからね。」と、私を慰めてくれるのでした。
ほとんど会話もないまま、老人ホームへ帰ってきました。ウイルカーおじさんは車から降り、建物の中まで送ろうとする私を押し留め、「グレース、お前に会えて本当によかったよ。しっかり勉強して偉くおなり。今日のドライブありがとうよ」と、震える声で言い、別れたのでした。
バックミラーを覗くと、ウイルカーおじさんがやせた体でボックイのように立ち、そこから突き出た枝のような腕を揚げ、大きな手の平を振っていました。私は、その無骨だけど優しく力強い手で、心臓をグイッとワシ掴みされ、揺さぶられたような感情の波に襲われ、とめどなく涙が流れ前が見えなくなりました。角を曲がったところに車を止め、泣きました。自分では決して泣き虫ではない、と思っていますが、あの時は自分をコントロールするすべがなく、堰を切ったように涙があふれ、嗚咽を止めることができませんでした。
実家への帰り道、ローゼンバーグさんのところへデイジーに会いに寄り道しました。私が大声で「デイジー、デイジー」と呼びながら、刈り取られた牧草畑を歩いていくと、私のデイジーが見えない目で探るように首を振りながら雑木林の中から出てきたのです。
デイジーは私に鼻先をこすりつけるように寄り添ってきました。デイジーはしっかりと私を覚えていました。もっともデイジーが私を忘れるなんて想像だにしませんでしたが。ヘザーはどこかに売ってしまったとかでローゼンバーグさんのところにはいませんでした。

ディジーと私。これはそのときに撮ったものではありません。
休みで実家に帰るたびにディジーに会いに行くのが
習慣になっていました。
◇◆◇◆◇
年が明け、ミシガン州の大学へ戻り、アルバイトと授業に追われる生活をしていたところ、まだ春には遠い3月始めに父から手紙があり、ウイルカーおじさんが亡くなったこと、葬儀には3人しか来ず、父がお祈りをし、お祖父さんの残していったギアの入りにくい例のトラックで、お棺を墓地まで運んだことを知らせてきました。
そんな知らせを受けても、まるで遠い国の出来事を聞くように、なんの感情も沸き起こらなかったことに自分でも驚いたくらいでした。老人ホームの玄関で別れ、バックミラーの中に小さく写っていたウイルカーおじさんが最後の姿でした。あの時、私のなかでウイルカーおじさんはすでに亡くなっていたのでしょう。
老境に入りつつある今、ウイルカーおじさんの小屋のポーチに下がっていたスイングベンチでおじさんと過ごした夕暮れ時のことをよく思いうかべることがあります。と同時に最後におじさんに会い、養老院から連れ出して農場を見に行った、あの辛い出来事のことを何度となく繰り返し考えます。
今になって少しは分かるような気がするのですが、あの時、養老院のホールの老人臭さは、体臭というより彼らの希望のなさ、根強く体内に染み込んだあきらめが吐き散らす息っだったのではないか思うのです。
そしてウイルカーおじさんも、私に会うのをとても喜んでくれたとはいえ、ドライブして農場になぞ行きたくなかったのではないか、ただ私を喜ばすためだけに昔の農場に一緒に行ってくれたのではのではなかったか、むしろ暖房の効きすぎたホールで他の老人たちと他愛のないゲームをしながら、午後を過ごしたかったのではないか、と思うのです。
私は、ウイルカーおじさんが期待したように、しっかり勉強もせず、また偉くもなりませんでしたが、彼が私を“Good little Grace”と呼んだ暖かく柔らかな、ヒヨコのようなものを心のどこかに抱き続けて生きてきたように思います。
それから4ヶ月経った夏に、私にとって未知で神秘の国、日本へ旅立ったのでした。
Grace
Joy
コロラドにて
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