第78回:静かなる男_エルジー・レイ
更新日2008/05/08
ウィルコックでのひとシゴトの後、超人的スピードでニューメキシコ州、アルマ近くのWS牧場に帰ってきたブッチとエルジーは、また平穏な牧童の生活に戻った。その時、ハービー・ローガンも一緒に来たのか、後からWS牧場に着いたのかは不明だが、ブッチの推薦に一も二もない牧場主のフレンチがすぐにハービーを雇った。ハービー・ローガンは、少なくとも6月末にはWS牧場に居た。

静かなる男、エルジー・レイ。
ブッチの一番下の妹・ローラは、ブッチが一番の朋友と
していたのはエルジー・レイだったと書き残している。
付け加えて、映画や小説がブッチ・キャサディと
サンダンス・キッズではなく、ブッチとエルジーになって
いたらよかったのに…と言っている。
6月の末にトム"ブラックジャック"ケッチャムの使いで、彼の弟・サムがWS牧場のブッチの元にやってきた。ブラックジャック・ケッチャムとブッチとはどこかですでに見識があったのだろう。ブッチをアウトローの道に導いたトム・マッカティーとブラックジャックは古くからのダチだったから、トム・マッカティーを通じて何度か接触があったと思われる。
ブラックジャック兄弟は、アリゾナ、ニューメキシコでとかく悪評の高いアウトローだった。雑貨屋、サロンバー、郵便局、鉄道の駅などを襲い、今で言えばコンビニ強盗のような小さな犯罪を無計画に重ねていた。アリゾナ、ニューメキシコで彼らの逮捕状が出ていない郡はないとさえ言われていた。
サムは、大金を積んだ列車襲撃、しかも"鶏の首をひねるより簡単なシゴト"をブッチに待ちかけてきたのだ。列車強盗対策の警備が充分でない南コロラド鉄道を襲うのは成功間違いなし、保障付き、朝飯前のシゴトだ…というのだ。大酒飲みで、やたらに6連発をぶっ放したがるブラックジャックをブッチは嫌っていたようだ。それに、計画そのものがズサンな上、逃走計画もまるでなっていなかった。逃げる手段を確実にせず強盗を働くほど愚かなことはない。ブッチはどんな理由をつけたのだろうか、ともかくブラックジャック兄弟のプランに乗らなかった。
ところが、ブッチの右腕で作戦本部長格のエルジーが企画に乗ったのだ。エルジーがどうしてブラックジャック一味と行動を共にすることにしたのか分からない。この静かな男は、サロンバーで大酒を飲んで騒ぐ趣味もなければ、ギャンブルにのめり込むでもない、娼婦に揚げ入れていた様子もない。この読書好きなアウトローの内部に、危険をかいくぐることにのみ喜びを感じる精神が宿っていたのだろうか。一度味わうと中毒になる種類の緊張感と、成功した時の開放感に囚われたのだろうか。もともと血の気の多いハービーは、一もニもなくこの計画に加わった。
1899年7月11日にフォルサム(Folsom, New Mexico)で、南コロラド鉄道の列車が襲われた。ワイルドバンチの参謀格エルジーが作戦を立てたのだろう、アウトロー史で"ブッチスタイル"とまで呼ばれているやり方で遂行された。機関車と郵便列車を貨客車から切り離し、何マイルか運転させ、一味が逃走用の馬とダイナマイトを持って待ち構えている地点で停車させ、郵便列車と金庫をダイナマイトで爆破するやり方を踏んでいる。

フォルサムの博物館、といえば聞こえはいいが、
古道具を集めたような小屋。
"アメリカのゴーストタウン"に載るほどの寂れようで、
現在、人口75人が31軒のあばら家に棲んでいる。
1895年には鉄道駅のおかげで、この町がテキサス、フォート・ワース以北では一番大きな畜産物取引所だったのが夢のようだ。
決断力と統率力のある隊長の下ではじめて発揮できる参謀の能力というものがある。エルジーは優れた作戦立案者であり、参謀副官だったし、常に冷静に行動できる人物だったが、決然と命令を下し、部下をコントールし、統率する性格を持ち合わせていなかった。その後、"ブッチスタイル"の列車強盗が頻発するが、ブッチ自身がかかわらなかった強盗は、歴然とするほど失敗に終わっている。
ここまでは、ブッチの列車強盗マニュアル通りだったが、なんと金庫がカラッポだったのだ。列車強盗のやり方自体はブッチスタイルだったが、事前の情報収集はお粗末だったのだ。尽きるところ、自分たちを責めるしかない。ブラックジャック兄弟、エルジー・レイ、ハービー・ローガン、4人の腹立ちは想像に余りある。4人組はシマロン(Cimarron)方面へ逃走を開始した。
ここでも彼らは間違いを犯した。フォルサムは、コロラド州まで5マイル、オクラホマ、テキサスまで20マイルの地点だから、まず州境を越え、オクラホマかテキサスに行き、そこからメキシコへ逃げるのが常套だ。
だが、彼らはそのままニューメキシコ州内に留まり、コロラド州との州境沿いに西に走り、シマロンへ向かったのだ。南コロラド鉄道会社の基地があるコロラド州のトリニダッドの町へ、まるで近づくような逃走路だ。実際、南コロラド鉄道の公安は、トリニダッドで追跡団を組織した。
強盗グループは、シマロンから10マイルのターキー峡谷にリレー地点を設定し、元気のよい馬や食料、銃弾を補給する手はずになっていた。恐らくブラックジャックがこの界隈をよく知っているとの理由でターキー峡谷を選んだのだろう。彼らは、このターキー峡谷のキャンプ地が非常に安全な隠れ家だと信じていたとしか思えない。というのは、そこから動かずに5日間、16日に追跡団に襲われるまで、ノウノウとキャンプしていたからだ。
ブッチはウイルコック列車強盗の後、1,000マイルになんなんとする4州にまたがる逃避行をし、ニューメキシコ州のWS牧場に戻ったが、ブラックジャック兄弟とエルジー、ハービーはまるで追跡団など存在しないかのように、フォルサムから西へたった70マイルしか離れていない第一リレー地点、ターキー峡谷に留まっていたのだ。
コロラド州、トリニダッドで組織された追跡団は、シェリフのエドワード・ファー(Edward Farr)を隊長格に、鉄道公安官、ボランティアの速成保安官補たちで構成され、この手の追跡のプロとはとても呼べない集団だった。にもかかわらず、強盗4人組の足跡をまるでこちらへどうぞと案内でもされたように容易にたどり、16日の夕方5時にターキー峡谷に着いている。
…-つづく
第79回:フォルサム列車強盗始末

