第84回:史実と贋作
更新日2008/06/19
読み散らした数多くのブッチ関係の本、文献、史料のすべてにこの有名な"書置き"のことが書かれており、当然、ダグ・プレストンがその"書置き"を持ち帰ったか、彼のメモワーに書かれた史実だと思っていた。ダグ・プレストン自身はこの置き手紙のことには一切触れていないことに気がついてはいたが、あまりに良くできた"史料"に目を奪われ、頭ごなしに信用していたのだ。
ところが、ところがなのである。ブッチの研究家でとりわけ南米に渡ってからのブッチとサンダンス・キッズの動向と彼らの最後を追った研究では他の追従を許さない調査をしている、アン・メドウーズ(Ann Meadows,"
Digging up Butch & Sundance"の著者)は彼女のホームページで、かの有名なブッチの"書置き"はほぼ確実に贋物で、贋物作家のマーク・ホフマン(Mark
Hoffman)が書いたものだと、さまざまな状況証拠を並べ立証しているのだ。他に2通、ブッチが弟のダンに宛てた手紙も、この贋物作家マーク・ホフマンが書いたものだと……と言うのだ。
ブッチの"書置き"をすっかり信用していた(だまされた?)のは私だけでなかったにしろ、出典を確認せずに鵜呑みにし、"孫引き"することの恐ろしさを知らされた。このような贋物の史料は考古学に始まり、歴史学には付き物だそうだが、好き者のアマチュアと本物の歴史学者が渾然一体となっている西部開拓史のさらに極狭い分野、アウトローとローマン歴史学会は学問としての摺り合わせが十分なされていない非常に若いフィールドなので、ことさら贋作史料が多いと言ってよい。
私はブッチや彼の仲間たちの動向を厳格に追っているのではなく、西部開拓時代をアウトローとして駆け抜けた一人の青年のイメージを形作ろうとしているだけなのだが、贋作史料に踊らされた自分を恥じた。
戦前、乃木将軍の贋の"書"が大量に出回ったことがある。それを見た乃木将軍は、「これは私よりずーっと達筆だ」と言ったそうだ。得てして贋物は本物より優れ、信じられやすくできているものだ。
もう一つ付け加えれば、坂口安吾の偽者が銀座のバー、クラブ(当時はキャフェーと呼んでいた)に現われ、女給たちに大いにもて、成果を上げていた。後日、そんなことを全く知らない、さえない風采の御本人がそのキャフェーに行ったところ、「偽者の方が苦味ばしったいい男だったわよ」と言われたそうだ。
ロースト・ソルジャー会談の失敗を知っても、判事のパワーはブッチ救済をあきらめなかった。鬼判事とまで呼ばれ、検事時代に4,000件もの重婚を摘発してきた(パワー判事は当時のユタ州でモルモン教徒でない少数派のアウトサイダーだった)順法精神だけが彼の血に流れているような人物と思われていたのだが、ブッチを更生させるために、文字通り奔走した。
パワー判事の次の手は、ブッチの旧友であるマット・ワーナーをメッセンジャーとしてブッチの元に送り込み、説得させるというものだった(マットとはブッチの初仕事であるテリュライドの銀行強盗以来の朋友だった。No.16〜20、40)。
ちょうど折りよくマット・ワーナーはムショ暮しを終え、釈放されたばかりだった。マットとならブッチは即座に会うだろうし、彼の言うことなら一も二もなく信用するだろう。まだユニオン・パシフィックの幹部たちの熱が冷めないうちに、ブッチをユニオン・パシフィックに鉄道公安官として雇う話を進めるにはマットしかいないと、マットを最後の切り札として送り込むことにしたのだ。
ユタ州知事ウエルもパワーの"マット派遣"案に賛成し、マットの旅費、諸経費として175ドルを計上している。マットは出所後、更生の意志を固めていたし、ブッチに更生の道を開くためなら労をいとわなかった。と言っても、ブッチがどこに潜んでいるか、ワイルドバンチのサークルに入り内部情報をつかまなければならない。
8月の最後の週、マットはブッチの居所を突き止めるためソルト・レイク・シティーから列車でワイオミング州のロック・スプリングへ向かった。
列車がブリジャーの駅に停車しているとき、駅員がマットに電報を手渡した。電報はウエル知事からのもので、「すべての協約は破棄された。ブッチはティプトンで列車を襲った」とあった。
ブッチ更生の道は永遠に塞がれたのだ。
…-つづく
第85回:ティプトン列車強盗

