第86回:ティプトン列車強盗 その2
更新日2008/07/03
4人組の強盗団は人を殺すことなく、ケガ人すら出さずに鮮やかにシゴトを終え、逃げ去った。ユニオン・パシフィック鉄道会社は、当初被害総額を明らかにしたがらなかったが、数日後55,000ドル盗まれたことを認めたうえ、その上もともとフィリピンへ送金する100,000ドルをその列車で送る予定であったところ、オマハで積み込みに間に合わず、不幸中の幸いで積み残したことを打ち明けた。
ブッチが何らかの手段で、ユニオン・パシフィック鉄道の内の人間から100,000ドル輸送の情報を掴んでおり、このシゴトで南米へ行く費用を一気に捻出しようとした可能性が高い。
ブッチ、ハービー・ローガン、サンダンス・キッズの3人がティプトン事件にかかわっていたのは確かだが、第四の男は確定できていない。さらにブッチ方式で、リレー地点で馬の確保をしていた第五の男がいたことまでは分かっているが、それが誰であったかも分かっていない。ティプトン列車強盗団は見事に掻き消えてしまったのだ。
ティプトン事件には鉄道関係者以外もう一人重要な目撃者がいる。ティプトン近くテーブルロックの牧場主が(ユニオン・パシフィックのレポートでは故意に名前を伏せている)事件の2週間前にすばらしい馬に乗り重装備をした4人組を目撃していのだ。しかも望遠鏡で4人組の顔まではっきりと見ていた。牧場主は以前ブッチと面識があり4人組の一人はブッチに間違いないと証言している。
追跡団の反応は早かった。即座に犯人一人ひとりに1,000ドルの賞金を掛けたうえで(生きていようが、殺そうがという西部のお尋ね者スタイルの賞金だった)USマーシャルのフランク・ハドゼル(Frank
Hadsell)とジョー(Joe Lefors)は25人の追跡団メンバーを組み、ユニオン・パシフィックがこの日のために特別にあつらえた列車に馬、弾薬、食料、キャンプ用品などを積み込みロウリンズを出発し、犯行現場へ向かった。

ユニオン・パシフィック鉄道は、列車強盗に対応するために
このような特別列車を主要な町に配置していた。
この写真はロウリンズからティプトンへ向かう時のもの。
ネブラスカ州、オマハにティプトン列車強盗の報が届いたのは夜の11時だった。ユニオン・パシフィック鉄道は、すぐにティプトンに一番近い鉄道基地の町ロック・スプリング(ブッチとワイルドバンチ指定弁護士ダグ・プレストンの事務所がある)へ追跡団を組織するよう指令を出している。町のシェリフ、ピート・スワンソン(Pete
Swanson)の対応も早かった。追跡団を組織し、特別列車でティプトンに急行した。ピートのグループが現場に着いたのは夜明け頃だった。
先に出発したフランクの方は、機関車の故障で一日遅れの朝8時半にティプトンに着いている。このときを想定して訓練を繰り返したとしか考えられないスピードで追跡団を組織し捜索に乗り出している。
追跡団には決定的な不利がある。乗り換えるための馬を何頭か引き連れてはいるが、ブッチ方式のように何箇所かのリレーポイントに前もって十分休養させた馬を準備しておくわけにはいかないからだ。フランクの追跡団は、ピートたちと合流したが数日後には半数以上の馬が脱落した。また、追う方は常に逆襲される危険があるので、逃走者の足跡をなぞるように突っ走るわけにはいかないのだ。自分の身を常に安全な物陰に確保しながら馬を進めなければならない。
ウイルコックス列車強盗で煮え湯を飲まされたフランクが執念に燃えていたであろうことは想像にあまりある。フランクは犯人どもの足跡を的確に追い、コロラドとの州境にあるリトル・スネーク・リバーの北川岸に出た。そこから、対岸で馬を進めている強盗団を目撃してさえいるのだが、すでに夕暮れが迫っていたので、そこでキャンプすることにしたのだった。
この界隈は両岸とも急な斜面になっており、夕闇を押して崖を下り、川を渡るのは標的になるだけだし、追跡団はすでに3分の1以下の12名に減っていた。20時間眠らずに足跡を追ってきたので、人間も馬も限界だったのだろう。
翌日、夜明けとともにフランクとジョーは追跡を開始した。対岸に渡って藪のなかに乗り捨てられた馬とキャンプ跡を見つけたが、そこまでだった。疲れきった追跡団はすでに深追いし過ぎていたくらいだ。フランクとジョーは追跡を打ち切ったのだった。
…-つづく
第87回:ウネメッカ銀行強盗

