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第554回:帰るには早すぎる - 交通科学博物館 -

更新日2015/06/18



日帰りの大阪出張であった。2014年1月21日。品川駅を9時過ぎに発車する新幹線に乗って、大阪駅前のビルのショールームを訪ねた。そこで1時間ほどインタビューしたあと、スマホゲームを使った実験の実演を取材した。あとは東京に戻って原稿を書き、写真を整理して編集者さんに送るだけだ。

今回は、取材先が大企業で、ビジネス色が強い。そこで、もと会社員で営業上がりの私が起用されたようだ。いや、ただの年の功かもしれない。いずれにしても、編集者も同行して要点をしっかり聞いている。完璧に近い取材だった。

私の仕事はほとんど鉄道分野になってしまったけれど、ゲームライターも細々と続けている。そしてどうやら「杉山は電車が好きだから、電車で遠くへ取材に行くと言えば、どんなネタでも喜んで引き受けるだろう」と思われているようだ。まあそのとおりである。


今回の旅の目的地はこのビルだった……

だから大阪に来て午前中で仕事が終わっても、明るいうちに帰るわけがない。「杉山は出張を喜んで引き受ける」という認識は正しいけれど、「行ったらまっすぐ帰ってこない」というリスクも承知していただきたい。以前も大阪のIT企業でインタビューしたあと、大阪モノレールに乗った前科がある(第240回)。

大阪駅へ歩きつつ、遠慮がちに編集部のM氏に切り出す。
「ちょっと寄りたいところがあるんですが……」
「いいよ、どこ?」
「交通科学館という……4月に閉館が決まったようで……」
ちょっと驚いて、ああ、そうか、仕方ないな、という表情になった。
「いいよ。原稿を明日までに送ってもらえれば」
「ありがとうございます。よかったら一緒に行きませんか」
「いや、僕は戻って仕事があるから……」
「恐縮です……」


弁天町駅。ガラスの壁の向こうに博物館が見える

というわけで、私は帰りの新幹線のきっぷを受け取り、それを財布にしまってIC乗車券で改札を通った。そこでM氏と別れる。もしかしたら、M氏は帰りの車中で記事の構成を打ち合わせたかったかもしれない。申し訳ない。しかし、この時期に大阪に来て、交通科学博物館を素通りできない。明るいうちに帰りの新幹線に乗るなんて野暮というものだ。


リニアモーターカーマグレブML500型
最高時速517キロを達成した

大阪環状線の内回り電車に乗って弁天町駅で降りる。弁天町駅のホームにピッタリと寄り添う形で交通科学博物館の建物があった。大阪環状線には数回しか乗った経験がなく、博物館の建物の位置まで気にとめていなかった。こんなに近い立地だったか。それなら今までにも立ち寄る機会があったかもしれない。


151系こだま先頭車。実物ではなくモックアップだそうで

ずっと昔、30年ほど前に交通科学博物館を訪れようとして見送った。高校時代の話だ。同級生と青春18きっぷで関西の鉄道を乗り歩いた。歓楽街の安いビジネスホテル。部屋の窓から向かいのラブホテルの様子が丸見えで、私はずっとその様子を観察していた。同級生のT君はテレビのニュースを見ていた。そして「たいへんだ、岩倉高校が甲子園の決勝に進んだぞ」と声を上げた。そういえば彼は軟式野球部に所属していた。


運転体験コーナーは比較的新しい221系電車

岩倉高校は上野駅のそばにある高校で、普通科と鉄道科がある。鉄道マンを志望する少年にとって夢への第一歩として有名だ。しかし野球ではあまり知られていなかった。そういえば鉄道学校が甲子園進出というニュースには驚いた。私たちが旅をしている間に勝ち進み、ついに決勝である。しかも、相手は強豪のPL学園だ。

「東京人として、鉄道ファンとして、同世代の岩倉高校チームを応援すべきだ。こんな機会はめったにない。博物館などいつでも行ける」


自動車、航空、船舶関係の展示物はどうなるだろう

そのT君の提案に納得し、私たちは阪神甲子園球場に行った。そしてなんと、岩倉高校はPL学園を破り優勝した。PL学園応援席の人文字が「岩倉、優勝、おめでとう」になった。私たちは岩倉高校の応援席からそれを見た。負けた時を想定して、相手に敬意を表する文字まで用意するとは、清々しい学校だと思った。


ジオラマの線路はゆったりした配置だった

それが1984年、春の選抜高校野球の決勝戦だ。PL学園のエース投手は桑田真澄、4番ファースト清原和博。その後の活躍は誰もが知るとおり。私はプロ野球に興味はないけれど、同世代の二人の活躍は、ときどき私自身の励みになっている。だからあの時、甲子園に行って良かったと思った。


京都駅ホームを模した屋外展示場

しかし、あれから30年、「いつでも行ける」はずの交通科学博物館が、ついに閉館の時を迎える。廃止ではなく発展解消で、京都の梅小路にできる新しい鉄道博物館に統合されるという。梅小路蒸気機関車館にも行っていないけれど、交通科学博物館は行き損なったという想いがある。


金太郎塗装の80系電車

平日の昼間とあって、博物館は空いていた。閉館まであと3ヵ月もあるから、まだ名残惜しむ人々の混雑もない。おかげで展示車両、展示物をじっくりと眺められた。リニアモーターカーの宮崎実験線の試作車両はここにあったか、と思う。実物車両の佇まいもよかった。しかし、展示物のうち、ボタンを押すと動くような仕掛け物のいくつかが壊れたままだった。いつからかは知らないけれど、壊れても修理するつもりはなかったようだ。いかにも末期の無常観である。


旧型客車の1等寝台車。昭和のよき時代を残す

ジオラマ運転を楽しみ、屋外展示もじっくり眺めて、約2時間の滞在だった。時刻は16時15分。まだ明るい。どうしようか。そうだ。以前から気になっていた駅を見物に行こう。スマートフォンで経路を検索する。約40分で行けるようだ。行ってみるか。

なんだか、行き当たりばったりである。糸の切れた凧ともいうべきか。いや、違う。原稿締め切りという糸が東京から延びている。切ってはならない生命線。しかし、今の私にとっては細い糸であった。

-…つづく

 


杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。

<<杉山淳一の著書>>

■連載完了コラム
感性工学的テキスト商品学
~書き言葉のマーケティング
 
[全24回] 
デジタル時事放談
~コンピュータ社会の理想と現実
 
[全15回]

■鉄道ニュース(レポーター)
マイナビニュース
ライフ>> 「鉄道」
発行:マイナビ

 

■著書
『列車ダイヤから鉄道を楽しむ方法: 時刻表からは読めない多種多彩な運行ドラマ!』


列車ダイヤから鉄道を楽しむ方法
杉山淳一 著


『ぼくは乗り鉄、おでかけ日和。』 ~日本全国列車旅、達人のとっておき33選~』

ぼくは乗り鉄、おでかけ日和
杉山淳一 著


『みんなのA列車で行こうPC 公式ガイドブック (LOGiN BOOKS)』

みんなのA列車で行こうPC 公式ガイドブック
杉山淳一 著


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