第五十六回
風姿花伝 その七
別紙口伝 その五
また大切なのは、もし十體(じってい)を習得したならば、歳をとるにつれて得るものや失うものがあるにせよ、それに応じた花、すなわち年々去来の花というものを身につけることを忘れてはならないということである。年々去来の花というのは、たとえば幼い頃であれば、幼いからこそ表れる粧(よそお)いがあり、初心の時には、その時分ならではの態(わざ)があり、いよいよ盛んな、演技に脂が乗り切った手盛りの頃には、やはりその時ならではの振舞というものがあり、年老いてからでもそれは同じであるが、大切なのは、そのときどきに自分が体得した花を、常に今の演技の中に反映させることである。
そうすれば、あるときには稚児や若者の能にも見え、またあるときには、盛りの時の為手にも見え、またあるときには、いかにも臈長(ろうた)けた、とんでもなく長いあいだにわたって修行を重ねてきた老練な為手にも見える同じ人が演じているとはとても思えないような、そんな花のある能を演じることができる。そのような年々去来の花をめざしてこその能であり、幼少の時から老後に至るまでの芸を一度に持つというのはそういうことであって、だからこそ、年ごとに去り、あるいは来る花、という言葉があるのである。
しかしながら、そこまでに至った為手というのは、上代にも、末代にも、見聞きしたことはなく、ただ、亡き父が若い盛りの時に演じた能には、まさしく臈長けた風情があったと聞いている。四十の頃から父の能をいつも見てきた私には、それはそうであっただろうと思われるが、自然居士を演じた時の物まねや、その時の高座の上での立ち居振る舞いは、人々が口々に、まさしく十六、七の若者が演じているように見えたと言ったほどであり、人もそう言い、自分自身も現に見て納得できることであってみれば、父はまさしく、そのような位に達した達者であったと思われる。
亡き父のように、若い時分には、やがて歳を取って年々去来の境地に達した為手のように見え、年老いてからも、すでに過ぎてしまった若かりし頃の風體を残すような、そんな為手は二人とはおらず、そのような達者は、ほかに見た事も、話に聞いた事もない。
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