第五十七回
風姿花伝 その七
別紙口伝 その六
ようするに大切なことは、能を習い始めた初心の頃から身に付けてきたさまざまな芸能を忘れないようにし、習い覚えた芸を用いることが必要になったその時々に、それを思いだして用いることである。若い時に年寄りの風體を表すことが、あるいは、歳をとってもなお、盛りの頃の風體を能にとどめることができれば、それこそ大変に珍しくも新鮮なことであって、芸能の位が上がるにつれて、過去の風體を過去のものとして捨て去り忘れ去ってしまうのは、それは花の種を失うに等しい。
その時その時に、たまたま花を咲かせたというだけのことで終わらせてしまうというのは、その花を咲かすことができた、その元の、花の種を見失ってしまうことだから、それは花のついた木の枝を手折ってしまうようなものである。種さえ残っておれば、毎年まいねん、時に応じて花というものにまた巡りあうことができる。繰り返して言うが、とにもかくにも、大切なのは初心を忘れてはならないということで、それを心掛けなくてはならない。
若い演者を、「若いのに早くも大人のように演ずることができるようになった」とか、「なかなか老練だな」とか言い、また年寄りの演者に対して、「ずいぶん若やいでいるな」と評したりするけれども、そういうふうに演技を見比べたうえでの判断である批判がしばしばなされるのは、、そういう珍しさのなかにこそ花が生まれ得るという、理ことわりがあるからにほかならない。
十体を極めてそれにさまざまな工夫を凝らせば、そこで咲かせる花は百色にもなりうるが、それに、年々去来、すなわち、歳を重ね、歳に応じて身につけたさまざまな風情を一つの体の内に持ち続け、それを時に応じ必要に応じて用いることができれば、どんなに多くの素晴らしい花々を咲かせることができるだろう。
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