第四十六回
風姿花伝 その六
花修云(かしゅうにいわく) その三の三
弱き能、強き能、幽玄、荒き能を演ずる場合に重要なことはすでに述べたが、ただ、もう一つ心得ておかなければならないことは、申楽というものは、何といっても観客あってのもの技芸であるので、そのときどきの流行りや気分や演りようのようなものが自ずとある。幽玄を好む見物衆が相手の場合は、強き能の演り方を、多少、物真似から外れるようでも、幽玄に近づくように演るとよい。このように工夫すべき場合もあり、またそのような意味では、演目の作者もまた心得ておいた方が良いことがある。
申楽の大本とも言うべき本木(もとぎ)を書くに当たっては、あくまでも幽玄を演じる体はもとより、心も言葉も、優しくあるということを心がけて書かなければならない。さらにそれにたがわないように演じた場合に、観客に、幽玄の為手として映るものであって、幽玄とは何かを、それはどういうものであるかということを知り極めれば、自ずと、強き、ということがどういうことかも分かるはずである。そうして全てにおいて、良く似せることを心がければ、誰の目にも危うく映ることはない。危うくないということは、すなわち、強いということにほかならない。
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