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■現代語訳『風姿花伝』
  ~世阿弥の『風姿花伝』を表現哲学詩人谷口江里也が現代語に翻訳
更新日2010/06/10



第十九回
風姿花伝 その三
問答集 その一
座敷を見るとは

 
問 申楽を行う当日、演技を始めるにあたって、まず座敷を見て、あらかじめ吉凶を知るというのは、そもそもどういうことなのでしょうか。

答 これは大変大事なことで、その道を会得した人ならではの心得(こころえ)である。

その日の座敷が設けられている庭を見れば、今日は、能が上手く行くだろうなとか、どうも上手くいかないかもしれないなという兆(きざ)しのようなものが必ずある。これは説明しにくいことではあるけれども、おおよそ、こうではないかと思うところを言えば、申楽というのは、神事であり、また貴人(きじん)をむかえて、その御前で行うものだが、それを多くの人々が集まって見る座敷が、もし、演技が始る頃になってもざわついて静まらない場合には、それをなんとか静めて、見物の衆が、申楽を待ちかね、座敷に座る人々がみな、いまかいまかと楽屋のほうを見やるようになった、まさにその瞬間に舞台に出て、そこで 一声あげれば、やがて座敷も、申楽を見るその時の調子となり、万人の心も、為手の振舞と和合して、しだいにしみじみとなっていくものであって、そうなってしまえば、その日の申楽が、何をしても上手くいくような状況が、早くもでき上がったと言ってよい。

 しかし申楽(さるがく)は基本的に、貴人がお出でになられるのを待って始めるものであるから、もしも貴人がはやく席に着かれた場合には、それほど間をおかずに始めざるを得ない。ところがその時に、見物衆の座敷がまだ定まっていなかったり、おくれて駆けつけた人が、まだ立っていたりして、万人の心が、まだ能の方に向かっていないような場合には、そんなに簡単に場が静かになるわけもない。そのような場合、最初の能では、演技が始り、演ずる役として舞台に出たときに、いつもより、動作、振舞などを目立つようにし、声もより強く出して、足の運び方もいつもよりは大げさにするとよい。そうして、立ち居振る舞いにしても、醸し出す風情にしても、とにかく目だ立たせて、生き生きと演ずるとよい。

 これは座敷のざわめきを鎮(しず)めるためにほかならない。ただそうはいっても、あくまで主賓である貴人の心に添うものとなるよう心がけなければならない。こういうときの能を、十分納得できるだけのものにするのは、どうやったところで難しいけれども、貴人を納得させることが出来るようなところまで持っていこうとすれば、これは必要なことである。

 もちろん、始めようとするときすでに、早くも座敷が静まって、場がおのずと、しみじみとした様子になっていれば申し分ないのだが、ただ、座敷の観衆の気が乗っているか、そうでもないかというようなことを見るのは、その道に長けた人でなければ、簡単には見抜けない。

 また、よく言われることだが、夜の申楽は急に雰囲気が変わってしまうので注意しなければならない。夜にやる場合は、あまり遅くから始ると、どうしても湿っぽい陰気なものになってしまう。したがって昼間の二番目に良かった演目を、夜の最初の演目である脇としてやると良い。脇の申楽が湿っぽくなってしまったのでは、そのあと、舞台を立て直すのは容易ではない。したがって、とにもかくにも良い能を効果的に用いるべきである。夜は人の声などで、たとえ騒がしかったとしても、演者の一声で静まるものなので、昼の申楽は良い演目を後に、夜の申楽は、最初に良い演目を持ってくると良い。しょっぱなの演目である指寄(さしより)が湿っぽくなってしまったのでは、それを立て直す時分を得る機会は、そうそうない。

 また秘儀として、一切(いっさい)は、陰・陽の調和の堺(さかい)を表してはじめて、良い能を成し得たことになるのだといわれており、それは知っておくべきことである。

 それで言えば、昼の気は陽であり、それに応じて、なんとか座を静めて能を演じようとするその企(くわだ)ては、陰の気である。陽気の時分に、陰の気を生じさせること、これが、陰・陽を調和させるという意味であり、これが良い能を成就させる始りであって、それがあってこそ、見る者の心に面白さをもたらすことが出来る。

 陽の気に陽を重ね、陰の気に陰を成せば、陰・陽が出会い調和することはなく、したがって良い能が成就するはずもない。それを成し遂げられなければ、それを見ても、面白いはずもない。また、昼であっても、時によっては、どうしてかは分らないけれども、座敷が湿っぽく、何だか寂しいようであれば、これは陰の気だと心得て、沈み込まないまないよう心がけて行わなければならない。このように、昼は時に陰気になることがあるけれども、夜の気が陽になることはほとんどあり得ない。座敷をあらかじめ見るというのは、つまりはそういうことにほかならない。

 

 

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谷口 江里也
(たにぐち・えりや)
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詩人、ヴィジョンアーキテクト。言葉、視覚芸術、建築、音楽の、四つ の表現空間を舞台に、多彩で複合的なクリエイティヴ・表現活動を自在 に繰り広げる現代のルネサンスマン。著書として『アトランティス・ ロック大陸』『鏡の向こうのつづれ織り』『空間構想事始』『ドレの神 曲』など。スペースワークスとして『東京銀座資生堂ビル』『LA ZONA Kawakasi Plaza』『レストランikra』などがある。
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