第五十二回
風姿花伝 その七
別紙口伝 その一の三
物まねの鬼の段のところで、鬼だけを上手く演じる事が出来る者の鬼は、実は、その鬼そのものも面白くはない、と述べたけれども、習得した物の数を尽くして、新鮮で珍しい鬼を表現することができれば、その珍しさは、花と言ってもよいくらいに面白いものになり得る。ほかのことができなくて、観る者に、あの為手は鬼は上手だけれども鬼ばかりやっている、と思われたのでは、どんなに上手いと思われたとしても、新鮮で珍しく思われることはないので、その見どころには花はない。
「まるで巌(いわお)に花が咲くようだ」というのも、鬼を演ずる場合は、強く、また恐ろしく、肝が縮こまって消え入るようでなければ、そもそも鬼になってはおらず、これを巌とするならば、そこに咲く花というのは、鬼は鬼らしく、ほかの要素が混じらないほどに鬼らしく、幽玄の極地と思われるほどに上手だと、人がつくづく思っているところに、思いもよらないような鬼を演ずることができれば、それは新鮮で珍しく、これこそ花と言うべきである。そうではなくて、ただ同じように鬼ばかりをうまくやっても、それは単なる巌であって、そこに花を咲かせることはできない。
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