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■現代語訳『風姿花伝』
  ~世阿弥の『風姿花伝』を表現哲学詩人谷口江里也が現代語に翻訳
更新日2010/07/01



第二十一回
風姿花伝 その三
問答集 その三
申楽の勝負について

 
問 ほかの座と共演し、能の優劣を競い勝負しあう申楽の立合(たちあい)に関しては、どのようにすればよいでしょうか。

答 これは非常に大切なことであって、まず何より、演目の数を多く持ち、敵方の能とは違う演目を、やり方を変えて行うことが肝要である。

 序のところで言った「歌道を少し嗜め」というのはこのことである。この芸能においては、作者が別人である場合には、どんなに上手な人であっても、自分の思うように演るわけにはいかないが、自分の作品であれば、詞(ことば)にせよ振舞(ふるまい)にせよ、自分が考えた案の内にある。したがって、能を上手に演じることができるほどの者に、和の才能があれば、申楽を自分で創ることは、それほど難しいことではない。これはこの道にとっての命とも言うべきことである。

 つまり、どんなに上手な為手であっても、自分の能を持っていない場合は、それを戦にたとえるなら、たとえ一騎当千の兵(つわもの)であったとしても、自陣に鎧兜や武器を待たないのと同じ。あれこれ言っても、技の優劣は結局のところ立合ではっきり表れるものであるので、もしも敵方が色めいた花やかな能を演じた場合は、あえてそれとは模様の異なる閑静な能を演じて、観客の心を惹き付けると良い。そうして敵方とは違う能をすれば、たとえ敵方の能が良いできであったとしても、それほど負けたりするようなことはない。もしこちら側の能が良い出来であれば、もちろん勝負は定まったと見て良い。

  もちろん、立合の能ではなく、自分の座だけで申楽を演じる場合も、実際には、その演じ方の出来に上・中・下の区別が、つまりは常に勝ち負けがあると考えるべきである。すなわち、誰もが知る物語などを正しく解釈しつつ、それに新たな珍しい要素を加え、それを幽玄と成して、面白い所を創りだすのが良い能であるが、そういう良い能を上手に演じることが出来たとして、それを第一とするなら、第二は、本説に忠実に、特に悪いところもなく上手く演じることであり、そして、本そのものの出来が良くなくても、それが拠り所とする本説の、あるいはその解釈の悪い点を、なんとか良くする手がかりを見つけ出し、それを苦心して、なかなかと想うような技や骨折りによって良い能に仕立て上げることができれば、それが第三の、いわば勝ち方である。そのようなことが上手くできるかどうか、そしてその出来具合によって、上中下の違いは自ずと現れる。

 

 

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谷口 江里也
(たにぐち・えりや)
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詩人、ヴィジョンアーキテクト。言葉、視覚芸術、建築、音楽の、四つ の表現空間を舞台に、多彩で複合的なクリエイティヴ・表現活動を自在 に繰り広げる現代のルネサンスマン。著書として『アトランティス・ ロック大陸』『鏡の向こうのつづれ織り』『空間構想事始』『ドレの神 曲』など。スペースワークスとして『東京銀座資生堂ビル』『LA ZONA Kawakasi Plaza』『レストランikra』などがある。
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