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■現代語訳『風姿花伝』
  ~世阿弥の『風姿花伝』を表現哲学詩人谷口江里也が現代語に翻訳
更新日2010/07/08



第二十三回
風姿花伝 その三
問答集 その五
能の位の上下を知るには

 
問 能の位の上下を知るにはどうすれば良いでしょうか。

答 これは目利きの眼には、簡単に見分けがつくことである。大体において、位が上がるというのは、能の鍛練に鍛練を重ねて次第に上達することであるけれども、ただ不思議なことに、たとえ十歳の能の演者であっても、この位が自ずと上の方にあるような風體を見せることがある。もちろん、それに重ねて稽古をしなければ、持って生まれたような位の持ち主であったとしても、やがてそれをいたずらに無駄にしてしまうことになる。

まず何より稽古に励むことで、位を上げていくのが常道であって、持って生まれた位というものは、言ってみれば、その人に生来備わった品格、すなわち「長たけ」というべきものであって、芸の幅や奥行きの大きさを表す、いわゆる「かさ」とは、また別のものである。かさというのは、ものものしく、また勢いのある形かたのことであって、よく言われることだが、それは能の一切のことがらにおよぶもので、位や長とは別のものである。

例えば、もし生まれつき幽玄に通じるものを備えているとすれば、それは位である。しかし幽玄を備えていない為手に、長たけが備わっているとすれば、それは幽玄のない長である。それにつけても初心者が心すべきは、稽古をするさいに位のことを考えて行っても、それが身につくことは決してないということである。そんなことをすれば、ますます位は身につかず、その上、稽古をすればするほど、むしろ位は下がってしまう。所詮、位や長は生来のものであって、もしもともと備わっていないとすれば身につけることは基本的に難しい。ただ、稽古に励むことによって垢が落ちれば、自ずと位がにじみ出てくることもある。

稽古とはすなわち音曲、舞、働き、物まねなどであって、これらの基本的なことを極めていくことである。よくよく考えてみるに、幽玄の位は生得のものであり、長たけという位は、稽古を重ねることで備わるものなのか。このこと、心の内で考えをめぐらせるとよい。

 

 

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谷口 江里也
(たにぐち・えりや)
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詩人、ヴィジョンアーキテクト。言葉、視覚芸術、建築、音楽の、四つ の表現空間を舞台に、多彩で複合的なクリエイティヴ・表現活動を自在 に繰り広げる現代のルネサンスマン。著書として『アトランティス・ ロック大陸』『鏡の向こうのつづれ織り』『空間構想事始』『ドレの神 曲』など。スペースワークスとして『東京銀座資生堂ビル』『LA ZONA Kawakasi Plaza』『レストランikra』などがある。
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