第三十七回
風姿花伝 その五
奥儀讚歎云(おうぎにさんたんしていわく) その六
どのような人を相手にしても、どのような場所で演じても、誰からも愛され喜ばれるような演技が出来るようになってはじめて達人と言いうるからといって、そのようなことを、初心者が、それほど苦労もせずに極められるはずもなく、最初からそれを極めようとしても、めげて諦めることになってしまうだけであるから、大切なのは、能というものはそういうものだということを心の奥底に置いて、その理由や理(ことわ)りを少しずつ理解し、体得しながら、そういうことを極めようとする気持ちや意志を大切にし、自分の力量に応じて工夫することである。
つまり、ここで言っている方法や工夫というものは、大体において、初心者というよりは、上手な人の故実、すなわち作法や工夫のことを言っているのであって、たまたま評価の高い上手な為手になったからといって、それに溺れて、名声にたぶらかされて、ここで言う故実なく、ただいたずらに名声ばかりが高くて、寿福に欠けた演者が多いが故に、そのことを嘆いて、敢えて言っているわけである。
会得したと思えるようなことがあっても、さらに工夫がなくては本当の上手になることは叶わないし、会得してなお工夫を極めれば、花に、さらに種を伴うようなものである。たとえ天下から名人と称されるような達人になったとしても、どこか力が及ばないようなことがあったり、あるいは万が一、力が衰えるような時があったとしても、田舎や遠国の人々に花を感じさせることが出来るうちは、決して道を諦めてやめてはならない。道を歩き続きさえすれば、いずれまた、天下の評価を得る時にめぐりあうことがあるはずである。
|